丘にいるもの 改訂版
望月遥
第1話
「わー、いい天気」
「ほんまに!」
写生大会と校外学習を兼ねて、私たちの学年はバスに乗り込み学校を出発した。高速道路と下道を走ること二時間と少しで目的地に到着。エンジンを大きく唸らせたバスが広い駐車場へと車体を滑りこませた。秋の一日、絶好の日和だ。
「こっから公園までちょっと歩くけど、遊歩道から外れたらあかんでー」
揃いの制服の生徒たちが全員降りたのを確認し、担任の先生が声をかける。
四百メートルほどの遊歩道は平日の午前中だというのに犬を連れた人やウォーキングをする人がたくさんいて、皆同じ方向へと向かっている。私たちもそれに続いた。
「ここ初めて来たわ。面白そうやなあ」
祖父母と同居かつ親戚のほとんどが地元に住んでいる私はここを訪れるのは初めてで、ちょっとわくわくしている。
県北部に立地するこの史跡公園は考古学的に貴重な古墳群を保存する為に作られたもので、広大な敷地全域が博物館施設となっている。色々なものを展示している博物館の他に、数百基の古墳、復元した竪穴式住居、移築された古民家、植物園など様々な施設があり、地元住民の憩いの場に、近隣の学校の校外学習場所に、と長年愛されている場所のようだ。
「私、おばあちゃん家こっちやから、ちっさい頃からなんべんも来てるんやけどさ。なーんにもないでー」
そんな私の期待を打ち砕くように友人が手を前後に振りながら笑う。そんな言い方しなくてもいいのに!
遊歩道の終点、エントランスへと続く通路の両側には、施設を象徴するようにたくさんの埴輪が並んでいる。もちろん本物ではなくここを訪れた人たちが「埴輪作り体験」なるイベントで作ったものがほとんどだ。よくある埴輪の形だけでなく、現代人ぽかったり動物の形だったり装飾がたくさんついていたりと、バリエーションがたくさんあってなかなか面白い。そんな中、一際古ぼけた埴輪が一つ倒れているのに私は気がついた。なんだか放っておけなくて、駆け寄って元に戻した。立てた高さは私の腰よりちょっと低いくらい。無表情な顔の両側に垂らされた部分は髪だろうか。首のあたりには丸がたくさん並んでいて、首飾りを表しているっぽい。他の埴輪たちはどちらかというと明るいオレンジ色がかった土でできていて、表面もしっかりと滑らかな質感なのに、この子だけなんだか様子が違う。色ももっと薄い土色で触った感じもざらざら凸凹、ヒビもたくさん入っている。
そこまで観察したところで埴輪がまたぐらりと傾いた。よく見ると足にあたる円筒形の部分の、左側が大きく欠けている。
(あらら)
このまま何度も倒れては割れてしまうだろう。何か支えになるものはないかと辺りを見渡す。砂利敷きになった通路脇の少し離れたところに、欠けた部分と思われるパーツが落ちていた。手を伸ばして掴み、元の場所に嵌めてみるとぴったり収まった。気持ちがいい。
(よし)
軽く手で抑えてから離すと、ぽろりとまた外れてしまう。ちょっと考えてから鞄を探り、外ポケットに入れてあった絆創膏を取り出した。人差指の先をぺろりと舐めて唾をつけ、その指で切断面をなぞる。少しだけ色が変わったことを確認し嵌め直してから、継ぎ目に絆創膏をぺたり。今度は手を離しても外れなかった。元の場所に静かに立て、埴輪の頭をそっと撫でた。
「ちっさいころから、唾つけといたら治るってじいちゃんによく言われたんよ。あんたもくっついたらええな」
生き物じゃないんだから、接着剤もなしにくっつくはずもない。なのについそう言ってしまったのが可笑しくて、一人でふふっと笑う。
「おーい、なにしてんのー」
私の行動に気づかず先に行ってしまった友人が戻ってきた。振り返ると周囲にはもう誰もいない。
「ごめんごめん」
慌てて追いつくと、先生が学芸員さんに挨拶をしていた。
写生の前に資料を見学させてもらうということで、空調の効いた博物館内に入る。古墳から出土した様々なものが展示されていて、一際大きいのがたくさんの埴輪の並んだ展示ケースだった。実はこの館の一番の見所は、日本でもここでしか出土されていないという珍しい埴輪たち。それが一つの頭部の前後に顔のついた首から上の両面人物埴輪と、翼を広げた形をした鳥の埴輪だ。
私は鳥の埴輪が気に入って、しばらく眺めていた。失われた部分は粘土で補完されているが、亀にも似た丸っこい頭と目、尖った口が可愛らしい。
一方クラスメイトたちは両面顔の埴輪を見て盛り上がっている。
「両面…ってあれやん」
「漫画のな」
「うっそこんな田舎にあんのヤバない?」
確かに今人気の漫画に出てくるキーキャラクターがそのような特徴を持っている。私も漫画は読んでいたので興味本位で見てみたが、ぽかりと空いた目の中の暗闇に気味悪さを感じたのですぐに目を逸らす。
他には家や動物、人型の埴輪がたくさんあった。さっき入り口で直した埴輪ととてもよく似たものが並んでいて一瞬ぎくりとしたが、あれがもし本物ならここに並んでいるはずだからそんなはずはない、と自分に言い聞かせた。
写生はここからしばらく上に登った丘陵部分の高台で行われるので、出発する前に少しのトイレ休憩となった。
トイレの近くにはベンチが並んでいて、その近くに人だかりができていた。
「なんやこのガチャガチャ」
「うわー変なん出た!」
「俺もやろ」
どうやらガチャガチャの機械らしく、クラスの男子たちが大ウケしている。私たちも気になってのぞいてみると、子供向けのテレビアニメのキャラクターマスコットの他に、ものすごく独特のフィギュアが入っている一台があった。『歴史ミュージアム 土偶と埴輪』と名前のついたそれは、可愛らしい埴輪ではなく、リアルな造形で再現された、埴輪と土偶の小さなフィギュアだった。さすが博物館、置いてあるガチャガチャまで渋い。
面白がって男子が、SNSのネタになるかもと女子が、みんなで盛り上がって回すものだから私もついやってみたくなる。財布を探すとちょうど100円玉が数枚あった。
「ガチャガチャって現金じゃないとできんよね。私今日スマホしかないわ」
電子マネー時代の弊害である。こういう時現金主義は強いのだ。
「うち小銭ようさんあるから、貸したげよか」
「ほんま!? ありがとう~」
硬貨を三枚友人に渡す。彼女がダイヤルを回すと薄い緑色のカプセルが一つ転がり出た。私も続いて回す。
「「せーの」」
声を合わせて一斉に開けると、友人のカプセルからは馬の形の埴輪が、私のカプセルからはつり上がった目をして腕のない女性型の土偶が出た。
「やった、馬かわいい」
喜ぶ友人。私はがっかりだ。
「私のやつ、なにこれ。微妙…」
一緒に入っていた説明書にはヴィーナス土偶と書いてある。
「いいやんヴィーナス」
「全然ヴィーナスっぽくない」
どうせならさっき見た鳥みたいな可愛いのがよかったな。
悔しいのでもう一回回そうかと考えながら件のヴィーナスを胸ポケットにしまい、空きカプセルを回収箱に放り込む。外から笛の音が聞こえてきた。
「また帰りにしよ」
「うん」
友達の慰めに頷いて、博物館を後にした。
小高い丘をしばらく登り、展望台のあるあたりまでやってくる。ひらけた頂上からは市街が一望できて、格好の写生ポイントだ。まずはお昼ご飯ということで各自お弁当を広げた。果物王国の県民性か、どの子のお弁当にも果物率が高い。しかし学生の校外学習なんてお弁当よりメインはお菓子である。持参の小菓子を交換し、あれが美味しいこれもいいと盛り上がる。そして先生の合図でそれぞれ写生に適した場所を探し、陣取って絵を描き始めた。
私と友人はちょうどいい高さの二つ並んだ石に腰掛けて、木々の向こうに見下ろす町並を描くことにした。いい場所なのに他に誰もおらず、貸切りやねと二人でほくそ笑む。
「あれお城ちゃう?」
「え~こんなとっから見えるかなあ」
「見えたことにして描いたろ」
空は青く風は爽やかで心地よい。私たちはしばらくスケッチに没頭した。しばらくして。
「あっ」
突然の突風に、私の描いていた絵が飛ばされた。
「あーあ、ちゃんと押さえとかへんから」
と笑う友人に
「もーしょうがないなあ。とってくるわ」
私は声をかけて立ち上がった。すぐそこの茂みの上に乗っているだけなので、ひょいと手を伸ばす。ところがまた風がふいて、画用紙は飛んでいってしまう。
「えー!?」
「行ってらっしゃーい」
大笑いする友人に見送られ、私は画用紙を追いかける。ところが不思議なことに、手が届きそうになる度に風が吹いて、友人のいる場所からどんどん離れていってしまう。もういい加減諦めようと思った時、茂みの陰にある古墳が見えた。こんもりと盛られた土の合間に覗く、ぽっかりと四角く切り取られた入り口。画用紙は風に乗ってそこの中へ吸い込まれていく。
(うわー。あんなとこ入ってもた)
公園の中にあるとはいえ、どこでもここでも入っていいわけじゃない、ということは私にもわかる。正直諦めたいが、絵を一からまた描きなおすのもなんだか癪なので、入らなくてもすぐ取れるんだったら取ってみようと一応中を覗き込んでみた。
(…見えん…)
意外と中は真っ暗で、どうなっているのかわからない。入り口の辺りはきちんと石が積まれているが、奥までは続いてなさそうだ。
どうしようかと思案していると、ぐらり。足元の石が土ごと大きく崩れて私はバランスを崩した。がくんと前のめりに膝が落ちる。
「いったー…」
両手を突いてなんとか顔面激突を免れたが、勢いよく前に倒れてしまった。
内部には土と石がごろごろしているおかげで、打ち付けた掌と膝からは血が出ていた。結構、いやかなり痛い。こういう時女子はスカートだから損だ。立ち上がって土を払うと、真っ暗な古墳の奥に落ちている白い画用紙が目に入った。
中に入ってしまったのならついでだと、画用紙を取りに一歩足を踏み出した。途端にぐらりと視界が歪む。なんだ、これ。違和感を感じた途端、急激に背筋が寒くなった。
(やばい!)
なんだかわからないけどものすごくやばい気がする。これは…そうだ、夏に従兄弟と一緒に裏山に入って何者かに追いかけられた、あの時の感じに似てないか?
恐怖に駆られた私は進むのをやめようとする。でも、止まらない、止められない。よろけながらも二本の足は勝手に奥に向かって進んでいく。一歩。二歩。まるで糸か何かで引っ張られいるように。狭い入り口から古墳の中に風が吹き込んで、低い音を立てる。
おおん。おうん。
音は私を呼んでいる声。冷たいような生暖かいような風が頬に当たり、首に腕に巻きついて私を奥へと
誘う。このまま奥へ、奥へ行かなくちゃ。奥へ…。
その時、ぴぃっ!と甲高い音がして、顔の側を羽音が横切った。突然目の前に現れた白い鳥は、一度奥に向かってから、私の視線を誘導するように入り口側へ戻っていく。
「行っちゃだめ! 戻って!」
暗がりから鳥を追った私の目には、古墳の入り口が明るい光を四角く切り取ったように見えた。そこから聞こえた悲鳴のような声に、私ははっと正気に戻る。慌てて奥に背を向けて戻ろうとしたが、足の裏が地面にくっついたようになって動かない。
「ぐっ…」
それでもなんとか足を動かし、靴底をずりずりと滑らせるようにして入り口へ向かって少しづつ進む。
「捕まって!」
声の主が手を差し出してくれたので、私も手を伸ばす。なんとか届いた掌から温かさが伝わってきて、すごく安心する。思いのほか強い力にぐいと引っ張られて、私は古墳の入り口に引き戻された。
「あ、わた、わたし」
「大丈夫?」
まだ呆然としている私を助けてくれたのは、一人の子供だった。白い鳥が肩に止まっている。さっき飛んできたのはこの鳥に違いない。ウエストを軽く絞ったワンピースのような服を着て、髪を両サイドで結んでいるので女の子かと思ったが、声と先ほどの力から男の子だろう。よく日に焼けた黒い肌に、少し目尻の下がった優しげな目が印象的だ。あれ、この顔、見覚えのあるような気がする。どこかで会ったことがある…?
「ここは立ち入り禁止だったはずだよ」
私の思考をよそに、少年が訝しげに聞いてくる。
「あ、あの、えっと、絵を…絵を取りに…。そんで」
「あー、ロープが外れちゃってるのか」
近くの茂みに引っかかっている立ち入り禁止と書かれた紙と、それに絡みつくロープを少年は横目で確認して舌打ちする。
「ここは良くないんだ。あれがいる」
「あれ…?」
「うん。両面の…。普段はじっとしてるんだけど、君の血を吸っちゃったから」
少年の視線が古墳の奥へ向かう。さっきまで見えていたはずの奥の壁は真っ暗な闇に覆われていて、画用紙の影も形もない。そして、その闇が徐々に動き出していた。ぼこぼこと不定形に盛り上がりながら地面をゆっくりと滑り、こちらへ向かってくる。
「このままにしておけないな、どうしよう…。そうだ、なにか形代になるようなもの持ってない?」
男の子が切羽詰まった表情で聞いてくるが、私にはその言葉の意味がわからない。
「かたしろ? かたしろってなに?」
「身代わりになるもの。ひとの形をしてたらいいんだけど」
「人形とか?」
「そう。紙で折ったものでもいいんだ」
突然言われてもそんなもの今は持っていない。普段の通学カバンにはマスコットやぬいぐるみをいっぱいぶら下げているけれど、大量の教科書を入れ替えるのが面倒で今日は大きなリュックを持ってきている。入っているのは食べ終わって空になったお弁当箱だけだ。どっちにせよさっきの場所に置いてきているので同じこと。
「そんなん、今持ってるわけ…」
そうこうしているうちに闇の塊はさらに大きくなって、こちらへ近づいてきている。青ざめた少年の顔が一刻の猶予もないことを証明している。
(あっ!)
無いとわかっていながらありったけのポケットを探っていた私の手が止まった。胸ポケットに入っていたものが指先に触れたのだ。
「これっ、これ、どう?」
彼に渡すと目の高さに持ち上げて確認している。それはさっきガチャガチャで出てきたヴィーナス土偶のフィギュアだった。小さいけれど間違いなく人の形をしている。少年は深く頷いた。
「ごめん」
「いたっ」
そしていきなり私の髪をひっぱり毛を抜いて、フィギュアにぐるぐる巻きつけた。ふ、と息を吹きかけてから、肩に止まる鳥に話しかける。
「頼んだよ。なるべく奥へ」
差し出されたフィギュアを器用に足で掴んだ鳥は羽ばたいて浮かんだ。少年が口元に人差指を当ててぴぃっと鳴らすと、それを合図にすいっと古墳の奥へ向かって飛んでいく。
私の足元に向かってざわざわと蠢きながら広がり続けていた地面の闇が、一瞬にして動きを止めた。そして突然、なんの音も立てず、でも、すごい勢いで奥へ向かって引いていった。鳥を追うように。
周囲はしんと静まりかえり、何事もなかったかのように元どおりの空間が残る。ただ、土の上に私の靴が片方、ころりと転がっていることだけが入ってきた時と違っていた。
「あれは諦めて」
少年が呟く。
「今のうちに出よう」
「鳥は? 鳥は大丈夫なん」
答えぬ彼に背を押され、古墳の外へ出る。明るい日差しと助かったことへの安堵で目がくらみ、その場にへたりこんでしまった。私の目の前に少年の足がある。
暗がりではわからなかったが、少年は素足だった。そして何も履いていないその左の足首に見覚えのある物があった。
「えっ」
絆創膏。しかも、最近SNSで流行りのキャラクターの柄。この間友人とお揃いで買ったものだ。一箱に入っている柄は全部違っていて、目の前にあるこの柄は確か、今日、この公園に入る前…。
「それ、って」
弾かれたように顔を上げる。その時ぱたぱたと羽音がして、白い鳥が戻ってきた。当たり前のような顔をしてまた肩に戻る鳥の頭を撫でる少年が私に笑いかける。
「 り 。 て 」
「…! …おーい!」
彼の言葉とどこかから聞こえた声が重なって、はっきり聞き取れない。
「どこー? 大丈夫ー!?」
友人が私を呼ぶ声だ。
「ここー! ここにおるよー!」
友人に返事をしてから振り返ると、そこにはもう誰の姿もなかった。
友人と二人で元の場所に戻り、新しく描き直した絵をだいたい仕上げたところで集合時間になった。先生やみんなには、靴は転んだ拍子に脱げて見当たらなくなったと説明した。山道を片方靴下で下るのは歩きづらかったが仕方ない。帰りる前にもう一度休憩があったので、ガチャガチャを確認してみると、売り切れのサインが表示されていた。
エントランスをくぐり、来た時と同じように通路を歩いてバスへ向かう。
「あっ」
友人が声をあげて、小走りで駆け出した。
「これ、靴!」
「えっ」
友人の指差した先には、確かにさっき古墳の中に残してきた私の靴があった。
「なんでこんなとこにあんねやろ。誰かが見つけてくれたんかな」
片方だけの靴は、たくさん並んだ埴輪の中の一つに引っ掛けられていた。
「この子が取ってきてくれたんやわ」
頭に靴を被って、土台に絆創膏が貼られた埴輪。
「こちらこそ、助けてくれてありがとう」
改めて『彼』にお礼を言う私を、友人は不思議そうに見ていた。
丘にいるもの 改訂版 望月遥 @moti-haruka
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