2
轟音はメインホールの方向から聞こえてきたようであった。
イーサンとランドルフは目を合わせ、ともにメインホールの方に走り始めた。
先ほどのような轟音ほどではないが、何かの破壊音と、建物の振動は続いている。
ババッと電気のショート音がし、館内の明かりが消え、非常灯に切り替わった。
天井からは、振動にあわせてぱらぱらと石粒が落ちてくる。
幸いにも大きな石ではなかったため、体に降ってくる石粒を2人とも気にせずに走った。
地震ではない。地震であれば、轟音や連続した破壊音は起こらないはずだ。
ガス爆発か? いやメインホールにはガスを使うような設備は無いはずだ。
イーサンの頭の中にはさまざまな考えが現れては消えていった。
恐らくランドルフも同様であったのであろう。
2人とも何が起こったのか全く分からず、一言も声を発せずにいた。
やがて2つの展示室を抜け、メインホールへ繋がる入口が見えた。
メインホール入口まであと5mほどに近づいたところで、
展示室入口から見えるメインホールに、目を疑う物が見えた。
巨大な脚。
灰色と黒の長い毛で覆われている、2足歩行していると思われる巨大な脚であった。
入口の高さは2m程であるが、見えるのは腰から下の部分のみであり、
全高は5mを軽く超えるように見えた。
人間は、本当の恐怖や理解できない物を目にしたとき。
体の震えすらせず、あたかも蛇に睨まれた蛙のように一歩も動けなくなるという。
そして2人も入口から見える物から目が離せず、その場所から一歩も進むことができなくなった。
「館長・・・。あれは一体・・・。」
イーサンが力なくつぶやいた。
「わからん。見たことも聞いたことも無い・・・。」
まさしく異形。
異形であるが、確かに生きている”何か”である。
イーサンとランドルフに気付いたのかどうかはわからないが、異形はこちらの入口を向いた。
足を動かしただけで振動が伝わってくる。
それだけでも、相当な重さであることが伝わってきた。
手が見えた。
手首から下であるが、足と同じようにに長い毛で覆われている。
そして巨大な毛に覆われた指の先には、長く鋭くとがった黒い爪が見えた。
明らかに異常な事態だ。
イーサンは思ったが、視線を外すことはおろか体を動かすこともできなかった。
そして、異形は入口に向かって体当たりをしてきた。
鈍い轟音とともに足元が振動で揺れ、入口の横にあった展示ケースが倒れて、ガラスが粉々になった。
「逃げるぞ!」
我にかえったランドルフが口を開いた。
イーサンの腕を掴み、もと来た方向へ体を向けた。
イーサンも体が動くことを思い出し、体を向けようとした瞬間、
異形が2回目の体当たりをした。
入口の壁が轟音とともに吹き飛び、石の破片が二人の方向に飛んできた。
幸いにも二人には当たらなかったが、周りのガラスが粉々に吹き飛んだ。
そして、吹き飛んだ入口の湧き上がる土煙の向こうに、異形の存在の全身が見えた。
狼のような頭で耳の上からバッファローのような角が生えており、
その下の大きく裂けた口からは巨大な歯が出ており、ぼたぼたと涎が滴り落ちていた。
そして、赤く邪に光る巨大な目が、二人をじっと見つめていた。
こんな生き物は絵本の中でしか見たことが無い。
まさに聖書に出てくる「悪魔」と呼ばれる存在そのものであるように思えた。
「ミツケタ」
と言わんばかりに、長く赤黒い舌で舌なめずりをし、
目が心なしか笑ったように見えた。
異形は体当たりのため前屈みになっていた体を起こした。
全身、灰色と黒の長い毛で覆われてはいるが、
内側には分厚い筋肉があることは一目でわかる。
そして、破壊した入口を左手で掴み、軽く前屈みになりながら、展示室に入ってきた。
二人との距離5m。
異形は二人の目前に立っていた。
ランドルフとイーサンは、はっと我にかえり、
そのまま元来た方向に走った。
「バックヤードから逃げるぞ!」ランドルフが叫んだ。
イーサンは次への部屋への入口を通過する瞬間、後ろを振り返り、
異形が走ってこちらを追ってくるのを見た。
距離は10mほど。
飛びかかられたら、捕まってしまいそうな距離である。
二人は入口を通過し、数歩走ったところで、
後ろから、轟音がし、異形が壁に体当たりしてきた。
そして、周りの展示物を巻き込みながら、今度は一度で壁が吹き飛んだ。
二人は後ろを振り返らず、バックヤードへの扉がある次の展示室を目指した。
壁を突き破った異形はそのまま二人に向け駆け出した。
壁に足止めされたときにできた15mほどに広がった二人との距離は、一瞬で10m程まで詰められた。
異形が一歩進むごとに距離が縮む。
異形が手を伸ばせば二人に届きそうになった瞬間、二人はバックヤードへの扉がある次の展示室に飛び込んだ。
体を左方向に返し、扉へ行こうとした瞬間、背後から轟音とともに、異形が壁に体当たりする音が聞こえた。
そして、バックヤードへ続く扉横の巨大なガラスケースが吹き飛び、扉を塞いだ。
「っつ!」
バックヤードへの扉の向い側。つまり入口の向こうにはメインホールに戻るための通路があるが、
次の体当たりで、完全に壁が破られることは分かっている。
恐らく、体当たりをかいくぐって人間の足で通路に飛び込むことは不可能だろう。
二人は同じことを考えていた。
足を止めることなく体を右方向に向け、次の展示室に向かって走った。
幸いにもこの展示室は部屋一杯に大きな展示ケースが並んでいるため、
気休め程度の足止めにはなると思われた。
ただ、次の展示室は行き止まり。つまりそれ以上の逃げ道が無いことを意味していた。
「先住民族展示室」
部屋の入り口にプレートが貼ってある。
ランドルフの個人収集物を中心に展示されている部屋であり、
来館者が少ない博物館の中でも、もっとも人気が無い部屋である。
その為、通常の館内ルートから外れた部屋に、配置されているのである。
次の展示室に向かって走りながら後ろを振り返ると、
壁を破って進入してきた異形は、案の定、大型ケースに阻まれて、
先ほどのように走ることができずにいるようであった。
二人は、異形が手こずっている間に、「先住民族展示室」に駆け込んだ。
そして、部屋の最奥まで行き振り返ると、入口から展示物を手を振り回して破壊しながらこちらに向かってくる異形の姿が見えた。
ランドルフが口を開いた。
「イーサンすまん。あいつが何者かは分からんが、こんなことになって申し訳
ない。」
イーサンが横に首を振った。
ランドルフが続けた。
「ここにいたら二人とも間違いなく死ぬだろう。だから、私が囮になる。
隙を見て逃げろ。」
「そんなことは・・」
イーサンが言いかけた瞬間、轟音とともに壁を突き破って異形が部屋に侵入してきた。
奥の壁際にいる二人を見て、かすかに異形の口が緩んだように見えた。
これ以上に逃げ場が無いことが分かったように見えた。
異形は入口から一歩進み、両腕、両手を広げた。
長く延びた黒い爪が鈍く光を反射した。
「ニゲルナヨ。タノシマセロ」
あたかもこう言っているように見えた。
少なくとも思考する知能は持っているようであった。
二人には銃はおろか、手に持てる棒すらない。
戦う手段すら持たないイーサンは、ここに来て初めて恐怖で身震いした。
パン、パン、パン
異形がさらに一歩足を進めようとした瞬間、異形の背後から発砲音が聞こえた。
二人の場所からは見えないが、守衛が駆けつけたようだった。
異形は銃弾を受けたであろうが、何も感じていないように見えた。
パン、パン、パン
さらに3発銃声が聞こえた。
異形はゆるりと後ろに振り返った。
銃弾を受けたであろう背中には、鈍く光る、灰色と黒色の毛以外には何も無い。
血などは全く出ていないように見えた。
異形は頭をかがめ、隣の部屋に入った。
パン、パン、パン、パン、パン
5発の銃声
異形は銃弾など意に介さず、左手を後ろに振りかぶり、
そのまま横にあった展示ケースの瓦礫ごと手を振りぬいた。
大小構わず瓦礫が吹き飛んだ。
「うあああっ!」
ガラスや瓦礫が衝突する音とともに、守衛と思われる叫び声が聞こえた。
そして、何も聞こえなくなった。
異形はゆるりと二人に向き直り、そして再度展示室に進入した。
そして改めて両腕、両手を広げた。
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