デモンブレイカー
矢口 みつぐ
序
季節は秋。陽が傾くとだいぶ肌寒くなってきた。
ここはアメリカ東海岸沿いの北部にある小規模な街。アーカム。
漁業以外に大きな産業もなく、若者の多くはワシントンやカナダに働きに出ることが多い。
取り立てて観光地などもない物寂しい港街である。
夜になると、海から数メートル先さえも見えなくなるような濃い霧が流れ込むことも多く、より一層陰鬱な雰囲気を醸し出している。
隣町のセーラムを含め、昔から一帯には昔から黒魔術や魔女といったオカルトめいた噂があり、
愛好家の中では聖地のような扱いをされている。
アーカム中心部にあるミスカトニック大学の付属図書館には、稀覯書、魔道書の類が数多く収集、保管されており、
その中には、かの有名な悪名高い禁書。ネクロノミコンのラテン語版も収蔵されている。
アーカム博物館。
アーカムの中央部を流れるミスカトニック川沿いにある市立博物館である。
アーカム由来の遺物を中心に、アメリカ先住民の遺物などが展示されている、小~中規模程度の地域博物館である。
ミスカトニック大学にも民俗資料館があるが、こちらのアーカム博物館は民間から寄贈された収蔵物を中心として展示されている。
ロースクールの課外授業では街の子供は誰しも一度は足を運ぶ博物館ではあるが、
展示物にも特筆するような希少な物は無く、1日の来館者も多くて50人程度といった閑散とした博物館である。
ミスカトニック大学 本館にある教室。
本日最後の授業という事で、窓からは夕日が射し込み、教室をオレンジ色に染めている。
100人ほど入る教室の半分くらいの席が埋まっており、
教師が行う数論の授業を静かに聞いていた。
後ろから3列目。壁際の席に1人の若者が座っていた。
他の生徒の多くは友人同士2、3人で纏まって座っていたが、
その若者は1人でぽつんと座って授業を受けていた。
やがて授業が終わると、生徒達は連れだって、これから遊ぶ予定や、食事の事を話ながら教室を後にした。
その若者は、誰からも話しかける事は無く、教科書をバックに入れると、背中に背負い、無言で教室を後にした。
若者の名はイーサン・コートランド。19歳。
ミスカトニック大学 物理学部2年。
ニューヨーク生まれであるが、幼少のころに飛行機事故により両親が他界。
その後、アーカムに住む母方の祖父母に引き取られ、育った。
比較的運動神経は良く、中学、高校時代はアメリカンフットボールをしていた。
ポジションはウィング、ランニングバック。主にパスレシーバーとして試合に出ていたが、
180cmの身長に対して、65Kgの体重と、アメフトの選手としてはあまり恵まれた体ではなかったことと、
学費のためアルバイトをしなければいけない事もあり、ミスカトニック大学入学を機に辞めることになった。
大学の成績は中程度。比較的丹精な顔つきではあるものの、
言葉が多いタイプではなく物静かな性格であったため、学内に友達と呼べる人間も殆どおらず、彼女と呼べる人間もいなかった。
現在はアーカム・デイリー新聞社で雑用のバイトをしながら、夕刊の新聞配達をしていた。
イーサンは50件程度の配達の最後に、ここアーカム博物館に来ることが日課になっていた。
守衛室横にマウンテンバイクを立てかけると、荷台から夕刊を取り出す。
「お疲れ様です。夕刊です。」
守衛室の奥にあるテーブルに腰掛けていた、歳のころ50程の守衛が立ち上がり、
イーサンに近づいて、夕刊を受け取り、口を開いた。
「ありがとう。イーサン。今日も見ていくんだろ?」
イーサンは、頷き、「はい」と答えた。
守衛が右手の壁にあるスイッチを押すと、通用口の電子鍵からカチャリと音がした。
イーサンは、軽くお辞儀すると、慣れた様子で通用口のドアを開け中に入った。
通用口を入ると、正面と左右方向に通路がある。
正面の通路を進むと、正面玄関とメイン展示室方面。
右方向の通路が、搬入口と収蔵庫方面に出る。
左方向は、事務室、館長室などが並び、その奥に常設展示室の入り口がある。
イーサンは迷うことなく左通路を進み、事務室、館長室を通り過ぎ、一番奥にある鉄製の扉を開けた。
閉館はしているが、まだ消灯はされていない。
イーサンは扉を静かに閉めると、左方向の隣の部屋に進んだ。
「先住民族展示室」
部屋の入り口にプレートが貼ってある。
イーサンは部屋の中ほどの壁際の比較的大きな展示スペースの前に立った。
ガラスの向こうには、アメリカ先住民の生活用具等が展示してある。
特に目を引く物は無く、普通であれば素通りする展示スペースであるが、
食器や服、装飾具といった生活用具の一番奥の目立たない場所にこの展示スペースには似つかわしくない物があった。
茶色に錆びた鉄製の剣
麻の服が石にかかるように置かれており、剣はその後ろに置かれている。
正面からはかろうじて柄の部分が見える程度である。
斜めから見れば、ある程度、剣の全体を見ることはできるが、
敢えて目立たないこと。気付かれないことを意識した置き方のように思える。
イーサンの視線はこの剣に向けられた。
刃渡りは1mほど。柄等もシンプルで、装飾なども見当たらない、ごくごく普通の鉄製の剣である。
なぜかは分からないし説明もできないが、
この博物館に幼少のころにはじめて来て、この剣を見つけたときから、
イーサンにはこの剣に心が惹きつけられる感覚を抱いていた。
以来、学校の課外授業で何度か来ることがあったが、
その度に、一番長い時間見ているのが、決まってこの展示スペース。この剣であった。
一人で来館できる年齢になってからは、時間が取れれば博物館に来ることが多くなり、
自然と守衛や事務員、館長にまで顔を覚えられ、現在に至ることになった。
剣が欲しいとか、手に持ってみたい。という感情ではない。
ただ単に見ていると心が休まるのである。
イーサンにとって不思議な感覚が得られる場所、モノであった。
どのくらい時間がたっただろうか。
後ろの通用口が開き、足音がこちらに近づいてくる音がした。
イーサンが振り返ると、展示室入り口から白髪の老人が入ってくるのが見えた。
イーサンは軽く頭を下げた。
老人はニコッと軽く笑い、右手を上げた。
「大学はちゃんと行ってるのかい?」
老人は話しながらイーサンに近づき、隣に立った。
「まぁ、それなりですね。最近、新聞社の仕事が忙しくなったので、単位を落とさな
い程度には大学には行ってます。」
イーサンはばつが悪そうに頭を掻いた。
「ははは。若いころは働くことも大事だが、まぁほどほどにな。」
老人は続けた。
「もう5年以上になるかな。君がここに来るようになってから。ほんとつくづく、
よく飽きないなと思うよ。」
イーサンは頷いた。
「館長はそういった”モノ”に出会ったことは無いですか?」
老人の名前はランドルフ・カーター。
アーカム博物館の館長を40年以上勤めている男性である。
アメリカ先住民族の研究が専門ではあるが、今に至るまで大きな研究成果なども無く、
研究者としての実績や知名度はほぼゼロである。
25年前、コロラド州のメサ・ヴェルデ国立公園でアメリカ先住民族の遺構を発掘中に、1本の鉄製の剣を発見した。
この時代のアメリカ先住民は石と木製の武器を使っていたという記録はあるが、
このような鉄製の剣については過去発見、確認されたことが無かったため、
嬉々として研究論文を提出したが、考古学界の反応は著しく冷ややかなもので、
当時の研究者から偽物だ。捏造だと言われ、全く相手にされることはなかった。
当然ながら、新聞やテレビなどでも報道されること無く、その剣は誰にも知られること無く闇に葬られることになった。
ただ、ランドルフ自身は、自分自身で発掘した物であるというプライドがあるため、
自身の所有物を集めた展示スペースの中に、説明文もつけず、目立たないように展示をしていたのである。
イーサンのことは、初めはよく見かける子供だというくらいにしか認識していなかったが、
数度目の後に声をかける機会があり、剣についての話を聞いた。
それ以来、来たことを知ると、時折声をかけるようになったのである。
結婚をしておらず、孫はおろか子供もいないランドルフにとって、
あたかも孫や子供と話しているような感覚であった。
「私はそういった経験は無いなぁ・・・。」
ランドルフは剣を見ながらつぶやいた。
刹那。耳をつんざく轟音とともに、博物館の建物が大きく揺れた。
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