甘い香りに誘われて
山のふもとにある郊外型の大きなショッピングモール。
果物を眺めて締まりのない顔でにやにやと笑う兵太郎を、店員やほかの買い物客は奇妙なものでも見る様に眺めた後、苦笑しながら離れていきます。
確かにちょっと不気味かもしれません。
でもね。
兵太郎から視線を外した後のあなた、とっても優しい顔をしていますよ。
食材を見れば誰かの喜ぶ顔を思い浮かべてしまう兵太郎。家に人が増えて、それも美人の奥さんがいっぺんに二人ともなれば、気持ちも弾むというものです。
今日は良いものが手に入りました。真っ赤な苺とツヤツヤのアメリカンチェリー。
苺をたっぷり入れたショートケーキと、アメリカンチェリーをぎっしり入れたタルト。きっと二人はとても喜んでくれるでしょう。
家の修理のための追加の素材や掃除用具、それに食料を小さな車に詰め込めるだけ詰め込んで、兵太郎はふうと一つ大きく息を吐きました。
買い物は凄い量になっています。気持ちはよくわかりますが、借金だらけの身だというのにこんなに買い込んで大丈夫なのでしょうか?
買い物も楽しくて、つい時間が掛かってしまいましたがそろそろ家に戻らなければいけません。早く帰ってくるようにと、件の二人の奥さんから何度も言われています。
あれ、そういえばあともう一つ、なんだか注意を受けたような気がします。
兵太郎は頭をひねってみましたが何だったのか思い出せません。思い出せないということはさほど重要なことでもないのでしょう。
兵太郎は気にしないことにしました。
荷物を積み終えた兵太郎が運転席に入ろうとすると、ふと誰かに見られているような気がしました。なんだろうときょろきょろとあたりを見回します。
すると駐車場の隅に小学生くらいの男の子がうずくまっているのを見つけました。
いつからでしょうか、ずっとこっちを見ていたようです。男の子は兵太郎と目が合うと、とてとてと小走りにこちらにやってきました。
浅黒い肌に真っ黒でぼさぼさの髪。大きな目も黒目がち。
男の子は兵太郎のすぐ近くまで来ると、不思議そうな顔で兵太郎を見上げました。
買い物についてきて、親とはぐれてしまったのでしょうか?
「どうしたの? お母さん居ないの?」
男の子は兵太郎の問いには答えず、すんすんと鼻を鳴らし始めました。
「お兄さん、いい匂いがする」
すんすんしながら男の子はさらに近寄ってきます。どんどんどんどん近寄ってきて、やがて兵太郎の足にピッタリとくっつくと、ズボンに鼻をつけて直接ふんふん匂いをかぎ始めました。
「甘くてすっぱくて美味しい匂い」
今朝作ったパンケーキの匂いが残っているのでしょうか。ずいぶん鼻のいい子です。
「ううん、でも怖いヒトのにおいもする」
困った顔で小さな形の良い眉毛を寄せながら、男の子は兵太郎のズボンから離れました。
恐い人とは何のことでしょうか。兵太郎にはとんと思い当たる節がありませんが、買い物の間に誰かとすれちがったのかもしれません。
でも怖い人のにおいはどんなにおいなのでしょうか。兵太郎にはわかりませんでした。やっぱりこの子はとても鼻が利くのでしょう。
パンケーキの匂いにつられて兵太郎のところまで来たのなら、もしかするとお腹が空いているのかもしれません。そういえば兵太郎は、チョコレートをたくさん買い込んでいました。
「ちょっと待っててね」
男の子にそういうと、兵太郎はごそごそと車のトランクを漁りだしました。
材料用のチョコレートはそのまま食べてもおいしくはありませんが、混ぜて使うために市販のチョコレートもちゃあんと買ってあります。
きっとこの子はチョコレートが大好きです。だってチョコレートを食べて嬉しそうにするこの子の顔が浮かぶもの。
「はい、これ。どうぞ」
兵太郎が板チョコを差し出すと、男の子は黒い目をまん丸にして驚きました。
「いいの?」
「うん、だいじょうぶだよ。いっぱい買ったからね」
男の子は目をきらきらとさせて喜ぶと、大事そうにチョコレートを胸に抱いてびゅーんと走っていきました。
ずいぶん遠く、大きな駐車場のはしっこまで行ってから思い出したようにこっちを振り返り、赤い箱に入ったチョコレートを兵太郎に向かってぶんぶんと振って見せました。
「お兄さん、ありがとう!」
兵太郎もそれに手を振ると、今度こそ奥さんたちの待つ自宅へと向かったのでした。
去っていく兵太郎の車を見つめながら、男の子はぽつりとつぶやきます。
「あの人の家の子になりたいな」
******
あとがき
ヒロインが女の子だけというのは不平等だと思うんですよ。
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