ふっくらふわふわパンケーキ

 兵太郎の朝は早い。



 サラリーマン時代も残業やその合間に通う料理教室などで夜は遅くなることが多く、朝の時間は貴重だった。今はそのどちらもないのだが店はまだ形ができただけ。やることは山のようにある。


 そんな忙しい最中ではあったが、兵太郎は鼻歌を歌いながら朝食を作っていた。


 料理をするのは嫌いではない。試作品が上手くいけば嬉しくもある。だが誰かのために料理を作るというのはやはり格別だ。心が弾むような嬉しさがある。


 鍋から小皿に取った真っ赤なジャムを味見して、兵太郎はその強い酸味にきゅっと口をすぼめた。


「うん、おいしい」


 二人とも喜んでくれると思うが、先に浮かんだのは紅珠の顔。一緒に蜂蜜添える蜂蜜を多めに想像すると、今度は藤葛の笑顔が浮かんだ。


 ジャムをとろ火でさらに煮詰めながら、卵の白身を泡立ててメレンゲを作る。途中で砂糖を加えながら硬めにするのがコツだ。


 出来上がったメレンゲを卵黄、砂糖、薄力粉、牛乳で作った生地と泡をつぶさぬようざっと合わせたら、フライパンで焼き上げる。



 別皿にベーコンエッグとピクルス。


 飲み物は紅茶。ダージリンがいいだろう。



「お早うございますじゃ、お前様」


「お早うございます兵太郎。何だかよい香りがしますわね」



 丁度紅珠と藤葛が店内へとやってきた。



「紅さん、藤さん、おはよう。さあ座って座って」



 促されるままに紅珠と藤葛がカウンターに座ると、出てきたのは焼きたてのパンケーキ。



「まあ素敵」


「ふわぁ。どこぞの異国のお姫様のご飯のようじゃ」



 ずらして重ねられた二枚のふっくらふわふわのパンケーキを、粉砂糖が雪化粧。真っ赤なジャムがたっぷりと添えられています。



「スフレ風のパンケーキだよ。ジャムは山で採ったグミの実。美味しいけど酸っぱいから気を付けて。蜂蜜はお好みでね」



 しっとりふわふわの分厚いパンケーキにナイフを入れて、一口分にジャムを乗せてぱくり。



「ふぉっ。すっぱっ。甘っ、旨っ!」



 気を付けて、という兵太郎の忠告も聞かずに、見るからにおいしそうな真っ赤なジャムをたっぷりつけて頬張った紅珠が、驚きと喜びの声を上げました。



 山で採ったというグミのジャムは想像を超える強い酸味。でもそれが砂糖をたっぷり振りかけられた柔らかなパンケーキにはピッタリです。



「おいしい。蜂蜜もよく合いますのね。不思議ですわ。甘いものに甘いものが合うなんて」


「そうだね。言われてみたら不思議かも。でもメープルシロップとかコンデンスミルク、アイスクリームなんかも合うよ。今度作ってみるね」


「まあ、楽しみですわ」


「ジャムは温かいのじゃのう。これがまた旨いのじゃ」


「うん。冷やしてもおいしいんだけど、出来立てのあったかいの食べれるのは作った時だけだからね。あったかい料理と紅茶によく合うんだ」



 その言葉を証明するかのように、パンケーキの横に紅茶が置かれます。


 一口飲んで藤葛がほっと息を吐きました。



「紅茶もおいしいです。凄くよい香りですのね」


「うむ。ジャムとも合うのじゃ」


「紅さん、ジャムお代わりいる?」


「いただくのじゃ!」


「はあい。あとはこれもね。一緒にどうぞ」



 豪華な朝食の二皿目はベーコンエッグと色鮮やかなピクルス。


 いくらでも食べられそうなパンケーキでしたが、それはそれとして。甘未になれた口と目に、ベーコンの塩気はとても魅力的です。


 黄身にナイフを入れると、流れ出す寸前のとろりとした半熟。対照的にカリカリに焼かれたベーコン。水を使わずにじっくり弱火で焼かれることで濃縮された旨味


 ピクルスは彩り豊かな胡瓜、パプリカ、セロリ、カリフラワー。漬けることのより水分が抜けた野菜のシャキシャキとした食感とハーブの香りが口の中と気持ちをリフレッシュしてくれます。



「「ごちそうさまでした」」



 パンケーキ二つとベーコンエッグは、食べることを思い出した二人の胃袋にしっかりと納まりました。



「この後なんだけど。今日はちょっとお買い物に行ってきます。二人には留守番をお願いできるかな?」



「お買い物ですか。お供をしたいところですが流石に敷地の外までは出られません。お気をつけていってらっしゃいませ。家のことはお任せください」


「藤さんがそう言ってくれると安心だねえ」



 藤葛の本体はこの家そのものです。留守番にはもってこいでしょう。



「ううむう。儂も山を下りることは難しいのじゃ。お前様、お早くお戻りくだされ。なんぞ留守の間にしておくことはあるかの?」


「いやいや。神様二人にそんなこと。じゃあ行ってきますね」



「ああ、お前様」



 玄関を出る兵太郎に、ふと思いついたように紅珠が声を掛けます。



「お前様は妖に好かれやすい体質をしておる。くれぐれもおかしな輩にかかわるのではないぞ?」


「ちょっと紅さん。変なフラグはやめてくださいまし」


「むっ。しまったこれがフラグというものか。現世の呪いは厄介じゃの」


「私からもお願いしますわ。面倒なモノは本当に面倒ですので。どうぞお気を付け下さいまし」


「あはは。大丈夫だって。妖怪になんてそうそう遭わないよ。じゃあ行ってくるね」


「…………」


「…………」



 特大のフラグに絶句する二人を残して、兵太郎は出かけていきました。



「儂、次に兵太郎が出かける時には思いっきり行ってらっしゃいのちゅうでマーキングするぞ。年齢制限など知ったことか。おかしな輩に手を出されてはかなわん」


「誰の物かしっかり記しておくのは必要なことですわね。流石に今日の今日で何か憑けて帰っては来たりはしないと思いますが」



 …………。



 現世の文化には疎い二人には、これがフラグのとどめとなっていることに気づく由などないのでした。



 ******


 あとがき


「行ってらっしゃいのおまじないと言えばアレじゃな。火打石でカチカチと」


「絶対にやりませんわ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る