第11話 たすけて
コンビニで朝飯を買った帰り、「デイサービス さくらの花」の前に座り込んでいる高齢者男性を発見した。
今日は日曜日ではないものの、まだスタッフが出勤していないような早い時間だ。
慣れたもので、雅親は膝を曲げて目線の高さを合わせると、「大村さん。おはようございます。お隣いいですか?」と話しかけた。
「おう」と許諾をもらったので、横の地べたに腰を下ろす。
月に一回ぐらいは、こうして話をして、暑い日であれば涼しい場所に避難させるようにしていた。
「いい天気ですね」
「秋晴れってやつだな」
大村と一緒に空を見上げると、うろこ雲が高いところに浮かんでいた。すっかり秋の空になっている。
季節は十一月に入ったところだ。
あと一ヶ月とすこしで今年が終わってしまう。
「大村さんは、左官屋さんだったんでしたっけ」
「ああ」
「なんで左官をやろうと思ったんですか?」
「なんでもなにもねえよ。親父がやってたからさ。子供の頃から手伝ってたのよ」
しゃべり方はぶっきらぼうだが、自分のことを話すのは楽しいようだ。にこにこしながら教えてくれる。
「仕事は好きでした?」
「考えたことねえな。他にできることもなかったしな」
「そうですか」
どこに向かうでもない会話をしていると、「なに? 社会勉強?」という声がかかった。
見上げると里美が立っていた。
「いえ、さとさんを待ってました」
飲みにつきあう日を合わせるのに、何度かシフトを見せてもらったことがあったので、夜勤に入る日の傾向を把握していたのだ。
「ストーカーはやめなさい。聞きたいことがあるなら、電話すればいいじゃない」
「いやあ、そっちの方が重たい感じがして」
しばらくすると、デイサービスのスタッフが出勤してきたので、大村に挨拶して、ふたりで歩き出した。
羽黒家に向かいながら里美と話をする。
手にはコンビニ袋を提げたままだ。
「ねこはどうですか?」
「元気よ。ま、学校の話はしないけどね」
軽い口調で里美が言う。
「やっぱり、無理してますよね。なんでいきなり学校行くなんて言い出したんだろ」
「あの子なりに、いろいろ考えたんじゃない?」
「俺、なにかできることありますかね?」
「過保護すぎ」
「でも、ねこになにかあったら……」
つれない返事をする里美に食い下がると、里美は足を止めて、くるりと雅親に向き直った。
しかりつけるように言う。
「そのときはわたしの責任。きみは、きみの人生のことを考えなさい」
「うぅ」
たじろぐ雅親に、今度は表情を和らげて告げた。
「前にも似たようなこと言った気がするけど、あの子が助けを求めるなら、わたしじゃなくて雅親くんだと思うから」
ぽん、と肩を叩かれる。
「そのときはよろしく」
「はあ」
結局、いまできることはなにもない、と言われた気がする。
「見送りはここまででいいわ。おやすみ」
「……おやすみなさい」
歩き去っていく里美の背中を見ながら、なんだか突き放されたような寂しさを感じた。
家に帰り、朝飯を済ませてからスーパーくまおかに出社した。
品出しやカゴの整理を終え、レジに入る。
今日はお客さんも少なく、出入り口の自動ドアばかり見ていた。
「なんだい? ぼんやりして」
近くを通りかかった熊岡に話しかけられる。
「丸山さん、辞めちゃいましたね」
「そうだね。動画はすごい人気だね」
「なんか……俺のまわりから、どんどん人がいなくなってるような気がして」
そう言うと、熊岡が真剣な表情を浮かべた。
雅親の肩に、どしりと力強い手を乗せる。
「雅親くん」
「はい」
「ぼくがいるじゃん? あ、なに、その優しい微笑み」
特に慰めにはならなかった。
***
帰りのホームルームが終わり、ねこは帰り支度を整えていた。
えんじ色の上着とリボン、チェック柄のスカートという制服で、女子生徒たちからは可愛いと人気だが、どうしても着慣れない。
逃げ出すように教室を出ようとしたところで、担任の鳴門に声をかけられた。
「羽黒さん、ちょっといいかな?」
まさか、またこの先生と顔を合わせることになるとは思わなかった。
嫌そうな顔にならないように気をつけながら「なんでしょうか?」と答えるが、そんな気遣いなど無意味なぐらい、ねこに対する鳴門の態度は及び腰だった。
いつぞやのダメージが、いまだに残っているようだ。
「校長先生がお話ししたいんだって。申し訳ないんだけど、すこし時間いい? ほんと、ごめんね」
「はあ」
校長がねこになんの用があるのか、さっぱりわからなかった。
カバンは教室に置いたまま、校長室のドアを叩いた。
後ろには鳴門も同行している。
「どうぞ」という声を聞いてから中に入る。
「失礼します」
校長は小仲という女性だった。年齢は五十歳半ばぐらいだろうか。
眼鏡をかけた細身の人物で、白いジャケットと紺色のスカートという落ち着いた服装をしている。胸元には真珠のネックレスが光っていた。
「いらっしゃい。どうぞかけて」
校長室には、校長が使用するデスクの他に、応接のための革張りのソファが置いてあった。
小仲にうながされ、そのソファに座る。
鳴門も、ねこの隣に腰かけた。
「ちょっと待ってね」
なにかの仕事のやりかけだったらしい。
パソコンのキーを叩く音が聞こえていたが、しばらくして「ふう」という息とともに立ち上がった。
ねこたちの反対側のソファに腰かける。
「お待たせしました。羽黒さんは学校に復帰して一ヶ月経ったけど、困っていることはない?」
「はい。とくにありません」
以前、鳴門にも同じことを聞かれた気がする。お決まりの質問なのだろうか。
「わたしは、あなたが学校に戻ってくれて良かったと思ってるわ。あまり時間が空くと、勉強に追いつくのが大変だもの。いまならまだ間に合うからね」
にこりと笑顔を向けられる。
ねこは、どう反応していいかわからずに黙っていた。
「お休みの間はどういうふうに過ごしてたの? よければ教えて」
「夕飯を作ったり、あとは……友達と動画を作ったりしてました」
「動画?」
「羽黒さんは映像クリエイターを目指してるんですよ!」
横から鳴門が興奮気味に口を挟む。そういえばそんな嘘をついたのだった。
雅親と早朝撮影をした日を思い出す。遥か遠い昔の出来事のように感じられた。
「あら、それはすごいわね。どういう作品を作ってたの?」
「ええと」
うまい嘘を考えようとして、面倒くさくなった。
正直に言うことにする。
「ゲーム実況です」
「それは、どういうもの?」
「ゲームをしている画面を撮影して、投稿サイトにアップしていました」
「え、そうなの?」
鳴門がショックを受けたような声を出す。
ちょっとだけ罪悪感をおぼえた。
「ふうん」
小仲は、どうやらピンときていないようだ。
「つまり、ゲームをしてたってことかしら?」と、確かめるような質問をした。
「まあ、そうなりますね」
「そう。それはちょっと、時間がもったいなかったかな」
一瞬、なにを言われたのかわからず、「は?」という声を出してしまった。
小仲が、子供に言い聞かせるように続ける。
「あなたの時間はとても貴重なものよ。どんどん勉強や運動をして将来に備えないといけないの。その大事な時間を、ゲームなんかに使っちゃうのはもったいないわ」
後頭部を殴りつけられたような、視界がぶれるような感覚。
雅親と一緒に作り上げてきた動画や、一緒に過ごしてきた時間を否定されたような気分になった。
「わたしにとっては、大事な時間でした」
噛みつくように言うが、小仲には、まったく理解できないらしい。
「そうかもしれないわね。だけど、遊んでばかりじゃ大人になってから困るもの。学校に戻ってくれて、お母様もほっとしたと思うわ」
ねこは心の中で「ああ、そうか」とつぶやいた。
この人とは会話が成り立たないのだ。
ねこが苦手と感じている学校の雰囲気や、制服への違和感。その中心にいるのが、目の前の人物だった。
そう理解した瞬間、ねこはにこりと微笑んだ。
「はい。校長先生のおっしゃるとおり、今後は勉強や運動に励みたいと思います。そろそろ、夕飯を作らないといけないので、失礼してもいいでしょうか」
「あら、ごめんなさい。ご家庭のことも大変だと思うけど、学校もがんばってね。なにかあったら遠慮なく相談して」
「はい。ありがとうございます」
笑顔を保ったままでソファから立ち上がり、「失礼します」と校長室を退室した。
廊下に出ると、鳴門が出てくるのも待たずに、いちばん近くのトイレに駆け込んだ。
個室に入り、便器に向かって身体を曲げる。
「お、ぇ……こほっ」
胃が痙攣して、食べたものを戻そうとする。
その苦しさと、小仲に言われたことが悔しくて、涙がこぼれてきた。
「ははっ、マサチカくん。これ……なかなかキツいね」
雅親の苦しみが、いまさらながら理解できた。
家の玄関を開けると真っ暗だった。
里美は帰っていないのかと思ったが、靴はあるので、おそらくまだ寝ているのだろう。
電気をつけて中に入ると、案の定、里美があくびをしながら部屋から出てきた。
「おかえり。すっごい寝ちゃって、夕飯作りそこねたわ」
「なんか作ろうか?」
「今日は惣菜ですませちゃお。スープだけ作るから、くまおかでコロッケ買ってきてくれる? お金渡すから待ってて」
「コロッケ代ぐらいならあるから、あとでいいよ。行ってくるね」
ねこはカバンを置くと、制服姿のまま、家を出た。
***
立ち上がって部屋の電気をつける。
冬が近づき、だいぶ暗くなるのが早くなった。
雅親は折りたたみテーブルに乗っているパソコンの、管理者画面に視線を戻した。
ねこちゃん博士ちゃんねるは休止中。次の動画投稿は未定。
それでも、登録者数は伸び続けていた。
「丸山さんのSNSのおかげだな」
ガバメント夏子の影響力はすさまじかった。
「ガバメント夏子のぶーと★きゃんぷ」の登録者数は、そろそろ七万人に届くのではないだろうか。十万人を超えるともらえるという、銀の盾は確実だろう。
ねこちゃん博士ちゃんねるに追い風が来ているとも言える。
いま動画を投稿すれば、もっと伸びることが望めるが、肝心のねこちゃん博士がお休み中なのだ。
学業に専念と言えば聞こえはいいが、ねこに関していえば、おそらく、そんなにいい状態ではない気がしてならない。
ねこは、陣たちと作った映画を見て飛び出した。
そこにヒントはないかと何度か映画を見返してみたが、なにも気づきはなかった。
こういうときに気軽に相談できた丸山は、ちょっとだけ遠い人になってしまった。どうしていいかわからず、ぼんやりとガバメント夏子のSNSなど眺めてみる。
トイガンの紹介動画の告知が並ぶそれを見ていて、ふと気がついた。
「SNSか」
ねこは、父親のSNSを見て実況を始めたと言っていた。
それを見たら、なにかわかるのではないだろうか。
「でも、どうやって?」
結局、ねこにはアカウントを教えてもらえていなかった。
ゲーム実況者のアカウントなんて星の数ほどある。ひとつずつ見ていくわけにはいかない。
それでも、雅親の指はパソコンのキーボードを叩き始めていた。
これまで動画にしてきたゲーム名で検索するが、ヒット数が多すぎる。ゲーム名と「ゲーム実況」などのワードで検索。それでもヒット数が多くて、とても見きれない。
「ダメか。うー」
頭を抱えて考える。
ねこの父親のアカウントを絞り込む方法。
「……訃報」
亡くなったのは今年の三月のはずだ。
ゲーム実況。亡くなった。
そういうワードで検索していくと、「好きなゲーム実況者さんが亡くなった。悲しすぎる」という投稿を発見した。
「この人がフォローしているアカウントだ」
フォロー中、というテキストをクリックしてアカウントの一覧を開く。
ここからは、ひたすら見ていくしかない。
スクロールして、順番にアカウント名とプロフィールをチェックしていく。
「ねこパパ。これか」
アカウントをクリックすると、「動画配信者です! ゲーム実況で世界に挑戦中!」というプロフィールが表示された。
正解だろうか。えらく情報の薄いプロフィールだが。
確信を得るために、さっそく内容を読んでいこうとスクロールする。
その投稿を見た瞬間、ぞくりと鳥肌が立った。
「娘です。ねこパパは昨夜、交通事故で永眠しました。これまでかかわっていただいたみなさま、ありがとうございました。わたしは、最後に父にぶつけた言葉を後悔しながら生きていきます」
娘が最後に父親にぶつけたという言葉は、その前の投稿を読んでわかった。
どんどんと過去に遡って読んでいく。
ねこが雅親に説明してくれた動画づくりに関する知識はもちろん、ねこちゃん博士ちゃんねるでプレイしてきたゲームまで、すべて良太が投稿した内容をなぞっていた。
「そっか」
雅親は、畳の上に仰向けになった。天井の模様がぐるぐると回っているような錯覚に陥る。
ねこは最初からずっと、父親への後悔を背負って動画を作っていた。
そのことを母親にすら言えず、ひとり、自分の胸の中にだけ抱え込んでいたのだ。
「わたしと一緒に、動画配信者やらない?」
雅親を救ってくれたあのひと言は、大きすぎる後悔に耐えきれなくなった悲鳴だったのだ。
雅親が「やる」と答えたときの、ねこの笑顔を思い浮かべると、涙で天井がにじんだ。
「ダメだ」雅親は自分の頬を叩いた。「俺が泣いていいところじゃない」
上半身を起こす。
ねこに会おう。
そう決めたとき、電話が鳴った。
スマホの画面を見る。里美からだ。
「はい」
「ねこ、そっちに行ってない? くまおかに買い物に行ったまま、帰ってこないの。店に電話したけどいないって言うし、スマホも電源切ってるみたいで」
里美にしては珍しく、慌てたような口調だった。
「来てません」と言うと、「そう」と落胆した声が帰ってきた。
「俺、探しにいきます」
「でも、どこにいるかわからないわよ」
「それでも見つけなくちゃ」
電話を切ると、ハンガーにかけてあった薄手のダウンコートを着て、玄関から飛び出した。
「……雨」
いつの間にか、外では冷たい雨が降り出していた。
傘を取りに部屋に戻る。
するとスマホの着信音が鳴った。
また里美だろうかと思って画面を見ると、ねこからのメッセージだった。
「マサチカくん。たすけて」
雅親は、すぐにねこに電話をかけた。
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