第10話 あなたと出会えてよかった

 目が覚めた。

 何時だろうかと枕のわきに置いたスマホを傾けると、そろそろ昼になろうとしている。

 ねこはベッドから起き出すと、パジャマ姿のまま、リビングへ移動した。

 里美は仕事に行ったようだ。テーブルの上には「ご飯つくれなかった。これでコロッケでも買ってきて」というメモと千円札が置いてあった。

 しん、とした部屋の中、寝起きの働かない頭でなにをしようかと考える。

 とりあえず台所で水をコップに注いでから、それを持ってソファに座ってテレビをつけた。

 ぼんやりとしながらワイドショーを見る。

 水を何口か飲むと、すこし頭がはっきりとしてきた気がする。

 ワイドショーでは、SNSでの誹謗中傷のニュースをやっていた。

「そっか。ネットでつながってる人もいるかも」

 良太が亡くなったことを教えてあげたほうがいいだろうと思って、両親の部屋へ向かった。

 たまに使わせてもらっていたので、ノートパソコンがしまってある引き出しの場所は心得ている。パソコンを持ってリビングに戻り、電源を入れた。

 パスワードは知っている。スムーズにログインも完了。

 良太のアカウントでブラウザを開くと、お気に入りバーに、たくさんのブックマークが並んでいた。

 その中からSNSのブックマークを開く。

「なんだこりゃ」

 開いたアカウントのプロフィール欄には、「動画配信者です! ゲーム実況で世界に挑戦中!」と書かれていた。

「ほんとに良太くん?」

 ゲームが好きなのは知っていたし、小学生の頃はよく一緒に遊んでいたが、まさか動画配信までやっていたとは。

 にわかには信じがたく、投稿内容を確認しようとスクロールする。

 その手が止まった。


「娘が落ち込んでるみたいだったから声をかけたら、ほっといてって言われちゃった。でも、また声かけるよ。いろいろあるだろうけど、がんばれ娘。ちょっとコンビニ行ってくる」


 息ができない。

 溢れだす涙と嗚咽で、溺れてしまいそうだ。

「ひっ、ぐっ……わたし、リョウタくんの、最後の顔も、見てない……ごめ……ごめんね……ごめん」

 だれもいない部屋の中。

 膝を抱えたまま、ねこは泣きじゃくった


 ***


 スーパーくまおかの休憩室。

 丸山と一緒に昼休憩を取っていると、「わたし、今月いっぱいで辞めるから」と何気ない口調で言われた。

「と、とつぜんですね」

「そお? 雅親くんも店長に、いつまでもいるわけじゃないって言ってたじゃない?」

「それはそうですけど。まさか、こんなに早くとは。理由を聞いてもいいですか?」

「うん。動画の収益が大きくなってきたから、そっちに集中しようと思って」

 雅親は、さきほど丸山に入れてもらったお茶をひと啜りした。

 ふうと息を吐いてから、もういちど聞き直す。

「なにが大きくと?」

「動画の、収益よ」

「動画投稿してたんですか!?」

 驚く雅親に、丸山は「そうよー」と答えた。

「どんな動画かお聞きしても?」

「わたし、前はおもちゃ会社で開発やってたって言ったでしょ」

「はい」

「その経験を活かして、おもちゃ紹介をしてるの」

 そういえば、すこし前にそういう話をした気がする。

 しかし、仕事を辞められるほどの収益とは。

「参考までに、登録者は何人ぐらい?」

「五万人を超えたところかな」

「五万人……五万人!」

 脳みそが理解するのに、一拍、必要だった。

「ねー。びっくり」と、またもや何気ない口調で丸山が答える。

「チ、チャンネル名をお聞きしても?」

「もちろんよ。雅親くんとねこちゃんに影響受けてはじめたんだもの。あとでリンク送るわね」

 丸山が、お茶を啜ってから続ける。

「SNSもやってるんだけど、ねこちゃん博士ちゃんねるの紹介してもいいかしら?」

「ぜひ! ありがとうございます!」

「おっけー。じゃあ、どんどんつぶやいていくわね」

 いつもと変わらない丸山の笑顔だが、いまの雅親にとっては神々しさすら感じられた。


 大学近くのカラオケ店。

 その一室で、雅親と映美が雑談していた。

「五万人はやばい」

 丸山の話をすると、映美も驚いてくれた。

「まだ千人すら突破できてない弱小配信者からしたら、雲の上の存在になってしまった」

「その人、昨日までバイト先の同僚だったのにね」

「すごいってのもそうなんだけど、俺達は、なんで同じように伸びないんだろうとか考えちゃって、ちょっとヘコむ」

 雅親は手で頭を抱えた。

「あははっ。でも、最近がんばってるじゃん。投稿頻度たかいし」

「映画の撮影がなくなったからね。バイト以外の時間は、ぜんぶゲーム実況に費やしてる。おかげでチャンネル登録者数の延びもいいよ」

 まあ、陣たちと出会う前に戻っただけとも言える。

 映美が、オレンジジュースを飲みながら続けた。

「ねこちゃん博士にも、そのうち会わせてね。わたし、すっかりファンよ」

「うん」

 ねこは人見知りだが、菊乃とは仲良くなっていたし、意外と年上と相性がいいのかもしれない。もっとも、菊乃の社交性によるところも大きいだろうが。

 そんなことを考えていると、部屋に陣が入ってきた。

「ごめん! 遅くなった!」

 十月になったとはいえ、今日はだいぶ気温が高い。そのうえ、走ってきたらしく、陣は汗だくになっていた。

「おつかれです」

「編集お疲れ様でした。すこし休んでください」

「うん。ありがとう」

 冷房の風にあたりながら、陣が、ふう、とひと息つく。

 その間に、雅親はノートパソコンを立ち上げて、陣と共有しているクラウドストレージを開いた。

 モニターへのケーブル接続は完了している。

「最近のカラオケってすごいね。映画の試写までできちゃうなんて」

 感心したように陣が言う。

「パソコン画面をモニターに映してるだけですけどね。ゲーム実況の撮影でも、よくカラオケ使ってますよ」

「時間あまったら歌っていこうよ」という映美の提案に、男ふたりは首を横にふった。

「あそう?」

 陣の呼吸が整ったので、部屋を暗くして、陣が編集したばかりの映画の試写を開始する。

 映画の長さは約十分。

 三人とも言葉を発さず、最初から最後まで真剣な眼差しで見終わった。

「どうだったかな? 気になるところある?」

 陣の質問に映美が答えた。

「彼氏のナレーションで違和感のあるところが、いくつかありました。わたしは、そのぐらいかな」

「了解。卯之くん、追加で声もらうことできる?」

「ぜんぜん大丈夫です」

「ありがとう。卯之くんは? 気づいたことある?」

「俺は……」

 雅親は恥ずかしさに口元を手で抑えた。

「なんか、涙をこらえるのに精一杯で」

「あははっ。わかる」と映美が笑う。「裏の苦労を知ってるから、そこじゃないってところで感動するよね」

 陣も笑顔を浮かべた。

「じゃあ、あとででもいいから、気付いたところがあれば教えてね。ファイルは置いとくから、見返してみて」

「はい」

 さっそく帰ったら見てみよう。

 ただし、ねこに寝不足を怒られない程度に。

「そういえば、タイトルは決まったんですか?」

 雅親の質問に陣は「うん」とうなずき、胸を張って発表した。


『恋人が異世界転移しましたが、年に一回、電話できるので定期報告しあっています』


「めちゃくちゃ、いま風に寄せてきましたね」

「見た人に怒られそう」

 雅親と映美の感想に、監督は「ふっふっふっ」と笑った。

「怒るならば怒ればいい。見せてさえしまえば我々の勝ちなのだ!」

 こぶしを握り、いずこかに向けて宣言する陣。

「サムネ詐欺する人って、こういう発想なんだろうな」

「陣先輩って、映画のこととなると、ちょっとぶっ飛ぶんだよね」

 ともあれ、今週末の学園祭に向けて着々と作品はしあがっていた。


 ***


 良太のSNSをさかのぼる。

 最初の投稿は一年前だった。

 ゲーム実況動画を作りはじめて初投稿するまでの苦労や、はじめてチャンネル登録してもらえた喜び。はじめてコメントをもらえた嬉しさなどが、細かく投稿されていた。

「楽しそう」

 泣き腫らした目で投稿内容を読んでいく。

 父親は、普段はこのような顔を見せなかった。

「違うか。わたしが心を閉ざしてたんだ」

 中学校に入ってからのねこは、いつもピリピリとしていて、さぞや扱いづらかっただろう。それでも、がんばって声をかけてくれていたのだ。

 ふいに空腹を感じた。

 そういえば、起きてから水しか飲んでいない。


 近所のスーパーにやってきた。

 ここのコロッケがおいしくて、良太も里美もよく買ってきてくれた。羽黒家の定番おかずだ。

 他に買い物はないかと、店内を見て回る。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日はカレーセットがお安くなっております。じゃがいも、にんじん、たまねぎ、ぶたにくが三割引。特設コーナーにございますので、ぜひ、お買い求めくださいませ」

 店内アナウンスを聞きながら、「カレーか」と玉ねぎを手に取る。

「わたしがご飯作ったら、さとさん助かるかな」

 料理に関しては、できないこともない、といった程度だ。

 今日まで意識していなかったが、良太が亡くなってからも、食事はずっと里美に任せきりにしていた。すこしでも手伝った方がいいだろう。

 カゴを持ってきて、三割引きになっているというカレーセットを入れた。千円しかないので、安くなっているのはありがたい。

「雅親くん、最初は噛み噛みだったのに成長したわね」という店員同士の会話を聞きながら惣菜売り場に行き、コロッケもカゴに追加する。

 いつもにこやかに対応してくれる女性の店員さんにレジを打ってもらって、スーパーの外に出た。

 四月の風はすこし冷たかったが、その分、日差しは暖かかった。

 ひとりぼっちの家に帰る気にもなれず、スーパーの駐輪場でコロッケを食べることにした。

 壁にもたれかかって、ひと口かじる。

 頭の中は別のことでいっぱいで、味はしなかった。

「もし、わたしが学校を楽しめてたら」

 一緒に笑って過ごせていたら。

 一緒にゲーム実況をやっていたら。

 一緒にハンバーグを作っていたら。

 一緒にコンビニに卵を買いに行っていたら。

「良太くん、いまも生きてたかな」

 すくなくとも、家を出る前に顔を見て話せたかもしれない。

 コロッケが喉を通らなくなる。

「やりなおしたいな」

 ぽつりと呟いたその言葉が、心を締めつけた。

 世界が灰色に塗り替わっていくような感覚。

 胸がつまって息ができなくなる。

 このまま、後悔の海に溺れて死んでしまうのではないかと思ったそのとき、横から「あの」という声が聞こえた。

 見上げると、背の高い男の人が立っていた。

 さっき店内アナウンスをしていた、スーパーの店員の人だ。

「だいじょうぶ?」

 そう問いかける表情が、あの日の父親と重なり、思わず涙がこぼれていた。

 やりなおしたい。

 ねこは、強く強く、そう思った。 


 ***


 ざわざわとした声が大学全体を覆っている。

 焼きそばやたこ焼き、クレープやチョコバナナなど、縁日のような屋台が並んでいる空間を、学生や一般参加のお客さんたちが窮屈そうに歩き回っていた。

 雅親と映美は、大学の正門に立って人が来るのを待っていた。

「あ、きた」と雅親が言うと、映美は背伸びをして雅親の視線の先を追った。

「どこ?」

 指を差して方向を示す。

 ねこ、菊乃、丸山の三人が仲良く話しながら、こちらに歩いてきていた。

「いらっしゃい」

 雅親に続いて、映美がぺこりとお辞儀をする。

「はじめまして。砂映美と申します」

「今日の映画の役者さんなんだ」

 雅親が紹介すると、菊乃が「へー」と妙な目になった。

「違うからな。そういうんじゃないからな」

「わかってるって。アニキがモテるなんて思ってないし」

「あ。妹さん? 田崎さんの紹介ありがとうございました! すごくすごく助かりました!」

 お礼を言う映美に、菊乃が「こちらこそです。映画、楽しみにしてました」と返す。社交性の高い組み合わせなので、やりとりがなめらかだ。

 ちなみに田崎は、仕事と重なってしまったそうで今日は不参加だった。一緒に打ち上げをして仲良くなっただけに残念だ。

「あなたがねこちゃん博士?」

「は、はい」

 次に、映美はねこに声をかけた。

「やっと会えたあ! 声もだけど、見た目もかわいい!」

「あ、ありがとうございます」

 映美の放つ陽のオーラにやられている。

 映美から解放されると、ねこは、すっと菊乃の後ろに身を隠した。人見知り全開だ。

「で、こちらが丸山さん」

 雅親は手で丸山を示した。

「ガバメント夏子さんですね! 登録者六万人おめでとうございます!」

「うふふ。キャラがあるから、声を小さくしてね」

 以前、丸山が勤めていたおもちゃ会社とは、トイガンメーカーのことだった。

 てっきり女児用おもちゃの紹介などをしていると思っていたのだが、おもちゃの拳銃やライフルを試射しては評価をおこなうチャンネルだったのだ。

 軍服姿の教官風キャラクター、ガバメント夏子として人気上昇中で、チャンネル名は「ガバメント夏子のぶーと★きゃんぷ」

 本人は「星が入ってるからトカレフ夏子の方がよかったかしら」と言っていたが、意味がよくわからなかった。

 いつの間にか、雅親の横に移動してきていたねこが、ぽつりとつぶやく。

「まさか、丸山さんの口から、いいかキサマら! なんてセリフを聞くとは思わなかったよね」

「ほんとだよな」

 ねことふたりでチャンネルを見たときは、目が点になってしまった。

 いまでもどういう感情を抱いていいのか、よくわからない。

「はい。じゃあ、わたしについてきてください。試写室までご案内します」

 一行は、映美に先導されて大学構内へと入っていった。


 ここの大学は、立派な試写室を持っていた。

 映画館ほどではないにしても、壁一面のスクリーンと、段になった客席があり、同時に三十人は収容可能だ。

 映研が作成した作品と、陣が作成した作品を、交互に上映していくスケジュールになっている。

 お客さんの入りは半分ほど。学生と一般参加者の割合も半分ほどだった。

 そのお客さんを前にして、マイクを手にした陣が立っていた。

 これから上映される映画の舞台挨拶だ。

「こ、こんにちは。監督の牧ヶ野です。本日はお越しいただき、ありがとうございます。ええと、ちょっと緊張してるんで、深呼吸させてください」

 客席から笑いが漏れる。

 雅親と映美は、いちばん後ろの席で見ていた。

「こっちまで緊張するな」

「陣先輩、がんばー」

 映美が小声でエールを送っている。

 深呼吸が終わった陣は、すこし落ち着いたようだ。

 しっかりとした口調で話しだした。

「ぼくは、卒業したら実家の会社に入社します。いまのように、映画づくりに集中することはできないでしょう。だけど、ぼくはそれを諦めとして捉えたくはない。むしろ、次の映画のための、重要な経験だと思っています。っていうと両親に怒られそうですけどね。撮影に会社まで使わせてもらってるのに」

 くすくすと、また客席から笑い声があがる。

「この作品は、ぼくがいま作れる精一杯を形にしました。これまでのぼくの経験と、これからのぼくの思い。そのすべてを詰め込んだつもりです。手伝ってくれた砂さんと卯野くんには、とても感謝しています」

 陣が雅親と映美に向けて拍手をすると、観客席もそれにならった。

 気恥ずかしくて、映美とふたりでペコペコと頭をさげる。

「それでは、ご覧ください。タイトルは『恋人が異世界転移しましたが、年に一回、電話できるので定期報告しあっています』です」

 あはは、と笑い声があがった。

 映美とふたりで、「ほら、やっぱり」「笑いが起きちゃったよ」と、こちらも身内視点で笑いあった。

 試写室が静かに暗くなる。

 映画がはじまる。


「あなたが消えてから一年が経った」

 映画は静かなBGMとともに、主人公である映美のナレーションからはじまった。

 登場人物によるセリフはなく、映像とナレーションだけで進んでいく作りになっている。

 主人公は流れる川を眺めていた。

「もしかしたら、なにもなかったかのように、川辺にたたずんでいるんじゃないかと思って、同じ時間に、同じ場所へやってきた」

「とつぜん電話が鳴る」

 主人公がスマホを取り出し、耳に当てる。

 視線は川に向けられたままだ。

「出てみると、どこかのんびりとした、変わらぬあなたの声が聞こえた」


 彼氏役である、雅親のナレーションが入る。

「もしもし」

「こちらはひどい有様だよ。変な動物がやってきては人を傷つけていくんだ」

「まずい。親子が襲われそうだ。助けないと」

「また電話する」


 主人公は耳からスマホをはずして、その画面を見る。

 映美のナレーション。

「その日から、毎年、同じ日時、同じ場所で電話をすることが、わたしたちの約束となった」


 シーンが切り替わり、主人公の学生生活を映しだす。

 大学の講義を受けている様子を、前方から撮影している。

 主人公は講義の内容を聞きながらノートをとっている。

 彼氏のナレーション。

「もしもし」

「そうなんだ。ぼくのスマホはバッテリーがなくならないんだよ。不思議だよね」

「不思議といえば、このまえ、勇者という人が現れて、このあたりの危険な動物を倒してくれたんだ」

 主人公は大学構内のベンチに座り、缶コーヒーを飲んでいる。

 散り始めた桜を見上げる。

「巨大な剣をふるっていたんだけど、魔法のような力も使っていた」

「こちらは、そちらとだいぶ違うみたいだ」

「またね。身体に気をつけて」


 リクルートスーツを着た主人公が、就職活動をしているシーンに切り替わる。

 自己紹介をしている様子から入り、きびきびとした動作で椅子に座る。

「もしもし」

「世界は平和になって、この村もだいぶ大きくなったよ」

「ぼくも仕事をもらった。鍛冶屋の見習いなんだ」

 主人公が、面接官になにかを答えている。

 明るい表情で、はっきりと話しているのが伝わってくる。

「以前は武器ばかり作っていたけど、いまは農器具を作っている」

「それが嬉しいって、親方が酔っ払ったときに泣いていたな」

 面接官になにかを言われて笑っている。

「きみも就職おめでとう」

「お仕事がんばって」


 スーツ姿で、ビル街を歩きながら電話をしている主人公。

「もしもし」

「ぼくがこちらに来たあの日、きみに別れを告げられた日のことをいまも考える」

「ぼくは、ぼくのことに一生懸命で、きみの気持ちを汲み取ることができなかった」

「だけどたぶん、きみも同じだったんだと思う」

 夜の会社でパソコンを叩いている。

「だから、ぼくたちは似たもの同士だったね」

「うん。そう」

 ふと、窓の外に視線を移す。

 物思いにふける横顔。

「ぼくは結婚するよ」

「最初に電話がつながった日。あのとき、助けた親子と家族になる」


 ウェディングドレスを着た主人公の、背中からカメラが近づいていく。

 ゆっくりとこちらを振り返る。

「もしもし」

「子供は大きくなったよ。そろそろ、そちらでいう小学生だ」

「習い事をはじめてね」

 カメラは主人公の顔を撮ろうとするが、照れ笑いを浮かべた主人公に手で邪魔をされる。

「剣の修練なんだけど、勇者と一緒に世界を救ったという人が教えてくれている」

「まだ小さい娘は魔法に興味があるみたいだ」

「きみも結婚おめでとう」

 カメラマンが転んだようで、視点がさがって映像がぶれる。

 主人公は微笑みながら、手を差し伸べる。

「ぼくは会うことはできないけど、きっと、いい人だろうね」

「お幸せに」

「怒らないで聞いてほしいんだけど」

 指輪を嵌める手のカットが入る。

「正直……ちょっとだけ、胸が痛いよ」


 救急車の赤色灯が画面いっぱいに映し出される。

「もしもし」

「街が焼かれた」

「魔王軍という連中が襲ってきたんだ」

 救急車が走り去っていく。

「ぼくは無事だ。息子と娘が助けてくれた」

「だけど、これからどこに行けばいいんだろう。勇者はもういない」

 マンションの一室。

 薄暗い部屋の中から、ぼんやりと外を見ている主人公。

「謝らなくていい。ぼくもきみを助けることができないんだから」

「お子さん、残念だった」

「泣かないで」

「また来年、話せるように頑張るから」

「きみも頑張って」

 画面がフェードアウトして、暗くなっていく。


 画面は暗いまま、ナレーションだけが流れる。

「もしもし」

「この世界はとてもひどいことになっている」

「ぼくも歳をとった」

「ははっ。きっと、きみはおばあちゃんになっても素敵だよ」

「うん」

「また来年」


 画面がフェードインし、玄関に置かれた杖が映し出される。

「もしもし」

「魔王軍をついに撃退した」

「ぼくの子供たちも帰ってくるはずだ。噂によると、だいぶ活躍したらしい」

「妻は……魔王軍が襲撃してきた日に殺されてしまったんだ」

 主人公の後ろ姿。

 髪には、白髪が混じっている。

 杖を掴み、片足を引きずるようにして玄関から外に出ていく。

「ありがとう」

「つらいことが多すぎる」

「きっと、きみもそうだろう」

「また来年。元気で」

 玄関がしまる。


 杖を持ち、夕暮れ時の川辺に立つ主人公の横顔。

 歳をとって、その顔には皺が刻まれている。

「もしもし」

「たぶん、今年で最後かな」

「もう、あまり身体が動かないんだ。ほとんど寝てばかりいる」

 空を飛んでいくカラスの群れ。

「孫たちは元気に走り回っているよ」

「振り返ってみれば幸せな人生だった気がする」

 川を背景に、風に揺れる背の高い草むら。

「だけど、きみと別れたあの日のことが忘れられない」

「一生かけて煮詰めた未練だから、すこし吐き出させてほしい」

「あのとき、あんなことを言わなければ。いや、あのとき、あの言葉を口にしていれば」

「もしかしたら、ぼくはいまでも、きみの横に立っていられたのかもしれない」

 ぱっと昼間のシーンに切り替わる。

 若い姿に戻った主人公の隣には、あごから上が見切れた背の高い男性が立っている。

「うん。とても子供や孫には聞かせられないな」

「きみのおかげで、ぼくは、なんとかこの世界で生き延びることができた」

「ありがとう。きみと出会えてよかった」

 ふたりを背後から映しているカットになる。

 ふたりは川を見続けている。

「さようなら」

「またいつか」


 夕方のシーンに戻る。

 歳をとった主人公の横顔。

 映美のナレーションが入る。

「ありがとう」

「あなたのおかげで、わたしは、なんとかこの世界で生き延びることができた」

「あなたと出会えてよかった」

 主人公が目をつむり、画面がゆっくりとフェードアウトしていく。

「さようなら」

「また、いつか」

「どこかで」


 映画が終わり、試写室の明かりが戻り始めた。

 観客たちから、まばらな拍手が起きる。

 雅親は、この作品を繰り返して見たことで気づいたことがある。

 この映画は「別れ」を表現している。

 例えば、楠部檸檬とは、もう以前のように一緒に遊びに行くことはないだろう。実家に帰った彼女とは、このあとの人生で、あと何回、連絡を取りあうだろうか。

 異世界に行ってしまった彼氏は、出会っては別の人生を歩んでいく、現実世界の人間関係をあらわしているのだろう。

 だが、それを悲観的に描いているわけではない。

 出会い、別れて「あなたに出会えてよかった」を積み重ねながら、人は生きていくのだ。

 一般受けするかどうかはわからないし、試写室の中には、期待と違ったという感想を抱いている人もいるかもしれない。

 だが、雅親はこの作品が好きだった。

「すごいな、陣先輩」

 横を見ると、映美が涙をぬぐっていた。

「ね。映画の道に進めばいいのに」

 映美は、最初からずっと関わってきたからこそ、さまざまな思いがあるのだろう。

 ふたりには幸せになってほしいと、心の底からそう願った。

「ん?」

 そのとき、試写室を足早に出ていく人物に気づいた。

「ねこ?」

 なにか様子がおかしい。

 雅親は急いで席を立つと、ねこのあとを追いかけた。

 廊下に出ると、学園祭を楽しむ学生たちが壁のように立ちはだかった。ぶつからないように気を付けながら、ねこの後ろ姿を追いかけていく。

 だが、その小柄な身体は、人の波に消えようとしていた。

「ねこっ!」

 ここで見失うと、なにか取り返しのつかないことになるような恐怖を感じて、雅親は大きな声を出した。

 あたりが静まり返り、まわりの学生たちが、なにごとかと視線を向けてくる。

 動きを止めた人々の間を進んでいくと、人ごみの中で、ねこがこちらを向いて立っていた。

「マサチカくん」

 手を後ろに組んだねこが口を開く。

「わたし、明日から学校いくことにするね」

 笑顔を浮かべながら、そう告げた。

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