第8話 こういうのはもう、お腹いっぱい

 雅親が休学している大学の最寄り駅。

 そこから徒歩十五分ほどで、檸檬から連絡のあった河原へ到着した。

 季節は七月に入り、歩いているだけで汗が吹き出す気温になっている。

「本当に映画つくってみない?」

 ファミレスで別れるときに、檸檬はそう切り出した。

「大学で自主映画を作ってる友達がいるんだ。といっても、監督と役者のふたりだけなんだけどね。手伝いはいつでも大歓迎みたい」

 雅親の返事に迷いはなかった。

「ぜひ紹介してほしい」と答えると、檸檬は嬉しそうにうなずいた。

 監督と役者のふたり、ということだったので、二人組を探しながら堤防につくられた舗装道を登っていった。

 登りきると、幅のある川と、あざやかな緑に覆われた堤防が、ずっと先まで続く光景が広がっていた。

 東京で生活をしていると、こんなに遠くを見る機会はあまりない。

 途中で買ったお茶で水分補給をしつつ、風景を楽しんでいると、すこし離れたところに、両手でカメラを構えた男性が立っているのが目に入った。

 カメラの先には、川に視線を向けて、じっとしている女性の姿。

「撮影だよな。あの人たちかな?」

 二人組に向かって歩いていくと、会話が聞こえてきた。

「はい、カット。オッケー」

 カメラを持つ男性が声をあげる。

 撮影されていた女性が、伸びをしながら尋ねた。

「先輩。つぎは、どういうシーンでしたっけ?」

「隣に彼氏が立つ場面なんだけど、ええと、そろそろ」

 言いかけて、雅親に気づいたようだ。

「卯之くんですか?」

 雅親は背筋を伸ばして、緊張しながら答えた。

「はい、卯之雅親です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。ぼくは牧ヶ野陣。まきがのって言いにくいだろうから、陣でいいよ。カメラマンと監督やってます」

 陣は、眼鏡をかけた小柄な人物だった。監督というから、もっと怖い人を想像していたのだが、線が細くて華奢な見た目だ。

 髪の毛は、しばらく床屋に行っていないのかな、という感じでボサっとしている。

 陣が持っているカメラは、雅親の知識では普通の写真を撮るカメラに見えた。だが、映画を撮っているのだから、おそらく動画撮影もできるのだろう。

 陣は、横に立っている女性を手で示した。

「こちらは砂映美さん。役者をやってもらってるんだ」

「ども、檸檬の友達です。陣先輩が四年で、わたしが三年ね」

 映美は大学で見かけたことがあるような気がする。

 色白で目が細く、スラッとしたスタイルということもあって、どことなくキツネのようなスマートさを感じた。明るい色に染めた髪の毛をポニーテールにしており、クリーム色のワンピースを着ている。

「あ。仲介してもらって、ありがとうございました」

「いえいえ」

 檸檬の友人の映美が、陣に口を聞いてくれたことで雅親が見学できる運びになったわけだ。

 自己紹介が終わったので、撮影が再開されるのだろう。しっかり勉強しよう、と思っていると、陣から「じゃあ、さっそく映美さんの横に立ってくれるかな」と言われた。

「はい?」

「見学ついでに手伝ってくれるんでしょ? 演技から編集までなんでもできるって聞いたけど?」

「デマです!」

 檸檬の無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶ。

「たのむよ。芝居ってほどのことはしなくていいからさ。表情も映さないし」

「そ、それなら」

 演技をしろと言われると困るが、ただ立っているだけなら、なんとかこなせるだろう。

 撮影のポジション指示が出る。

「映美さんと横並びで川を見てるシーンね。そう。まっすぐ前を向いてるだけでいいよ。映美さんメインで撮るから。卯之くんはアゴから下だけもらうね」

 なにもしなくていいとはいえ、撮影されていると思うと緊張する。

 すこしでもふらついてはいけないと、身体をこわばらせて、ピクリとも動かないように頑張った。

「はい。オッケー」

「ふう。いきなり撮影されるとは思いませんでした」

 息を吐きながら隣りにいる映美に話しかけると、「あははっ」と明るい笑い声があがった。

「ありがとね。わたしたち二人でやってるから、手伝ってくれる人には大感謝なの。あと、ため口でいいよ」

 年齢は同じはずなので、遠慮なくそうさせてもらう。

「うん。うちの大学って映研なかったっけ? 結構、人数いたと思うけど」

「二人とも最初は映研にいたんだけどね。陣先輩が、ひとりで好きなようにやりたいって言って飛び出しちゃったの」

「砂さんも?」

「映美でいいよ。わたしは、陣先輩についていった方が楽しそうだなって思って」

「なるほど」

 陣から、また声がかかった。

「あと、後ろ姿だけ撮らせてもらっていいかな? あんまり緊張しないでね」

「あ、はい」

 雅親は返事をしてから、また川に視線を向けた。


 今日、予定していた撮影は終了したらしい。

 駅の近くにあるファミレスで、すこし話をすることになった。

 まさに先日、檸檬にふられなおした場所だ。心の底から落ち着かないが他に妥当な店がないのだから仕方がない。ラーメン屋で、ゆっくりと会話とはいかないだろう。

 陣と映美が同じシートに座り、向かいに雅親が座っている。

「なんで映画づくりに興味もったの?」

 映美がオレンジジュースを飲みながら尋ねた。

「えっと、先月、はじめて映画を見たんだ」

「映画館でってこと?」

「じゃなくて、生まれてはじめて、映画というものを見た」

「へえ。そんな人いるんだね」と映美が驚く。

 雅親は話を続けた。

「それで、その日に立て続けに三本も見ちゃって。気づいたらハマってたんだ」

「すばらしい!」

 映美の横に座っている陣が前のめりになる。

 その勢いに、ちょっとのけぞってしまった。

「陣先輩、落ち着いてください」

「あ。ごめん」

 映美にたしなめられて、陣がしっかりと座り直す。

「見た映画の本数を自慢するような輩はたくさんいるけど、きみみたいに、数本で映画の面白さを理解して、しかも作る側に興味を持つなんて、なかなかできることじゃないよ。卯之くんはただものじゃないね」

「いやあ、ただものだとは思いますが」

 どちらかというと、陣の映画への情熱がただごとでないことは理解できた。

「ぜひ、これからもぼくたちを手伝ってくれないかな」

「え? いいんですか? 俺、完全に素人ですけど」

 すこし手伝わせてもらえるかも、とは思っていたが、しっかりと参加させてもらえる流れのようだ。

 そうなると、自分が足手まといにならないか心配だった。

「大丈夫だよ。できるところだけ力を貸してくれればいいから。あ、でも、お金は出ないけど」

「それはぜんぜん。俺も勉強させてもらうつもりなので」

「よかった。じゃあ、さっそくお願いしたいことがあるんだけどいいかな?」

「はい。できることであれば」

 陣は自分のカバンの中からクリアファイルを取り出すと、それを雅親に渡した。

 中の紙を何枚か出してめくってみる。どうやらセリフの一覧のようだ。

「いま撮ってるのは異世界転生ものなんだ」

「いせかいてんせー?」

「知らない? 漫画とか小説とかで流行ってるの」と映美が補足する。

「すいません。先日まで趣味全般ダメだったもんで」

 ふたりが不思議そうな顔をしたので「お気になさらず」と付け加えた。

 陣が説明をつづける。

「正確には異世界転移かな。主人公は映美さんで、その彼氏が異世界に転移しちゃうんだ」

「はい」

「だけどスマホは年に一回だけ、失踪したのと同じ日時、同じ場所でのみつながる」

「なるほど。あ、それがさっきの川ですか」

「そのとおり」

「異世界のシーンは出てこないんですね」

 異世界転移というからには、そういうのが出てくるのだと思っていた。

 映美が、ふふ、と笑った。

「卯之くん、異世界の入口を知ってる?」

「いえ、知りませんけど。小道具とか使って……無理ですね」

 ゲーム実況とは違って、異世界を撮影したいのなら、それらしい空間を自分たちで作らねばならないのだ。

 そしてそのためには、当然、お金がかかる。

「うん。CGバリバリで作りたいのは山々だけど、ぼくらにそんな経済力はない」

「だから、わたしひとりの演技で作れるようなシナリオになってるんだ」

 役者が増えたとしたら、それもまたコストが上がるだろう。

 お金の話だけではなく、スケジュールの調整や認識のすり合わせなど、撮影以外に取られる作業量が増えていく。

 だから、陣が今回撮っている作品は映美だけが登場するように作られている、と理解した。

「あれ? でも、さっき俺も撮影されましたよね」

「それは、卯之くんが来てくれると聞いて急遽変更したんだよ。好きで少ない素材で作ってるわけじゃないからね」

「なるほど」

 ゲーム実況とはだいぶ違う。勉強になる。

「音声についても同じことが言えて、ぼくがひとりで撮影しつつ、音響機材を扱うことは難しい」

「でしょうね」

「だから、今回はアフレコした音声を、あとで編集で合わせることにする。言ってることわかるかな?」

「はい、わかります。動画編集ソフトはすこしさわったことあるので」

「いいね。心づよい」

 動画ファイルに、あとで音声ファイルを重ねるということだろう。

 編集ソフトの画面まで頭の中に浮かべることができて、すこし誇らしい気持ちになった。

「なにか作ってるの?」と映美が尋ねた。

「友達とちょっとゲーム実況など」

「へー。よければチャンネル教えて」

「うん。あ、でも、相棒の許可とってからでいいかな?」

「もちろん。無理にとは言わないから」

「ありがとう」

 物を作っている人だからか、作品を見せる見せないについての距離感が上手な気がする。

「じゃあ、声の収録も経験あるよね?」と陣が期待を込めた声をだした。

「ですね」

「ありがたい。お願いの内容なんだけど、さっき渡したセリフを、次までに録音してきてくれないかな」

 もう一度、リストを確認する。

 まあまあの量ではあるが、そんなに時間はかからないだろう。

「わかりました。スマホでいいですか? マイクも借りればありますけど」

「スマホでいいよ。他に、なにか質問ある?」

 そうですね、とすこし考える。

 撮影内容については、いま聞いてもわからないだろう。実際に見せてもらうしかない。

「完成した映画はどこかで発表するんですか?」

「大学の学祭に出そうと思ってる」

「俺、詳しくないんですけど、先輩は個人での活動ですよね? 場所って貸してもらえるもんなんですか?」

「それはね」と映美が説明してくれた。「試写室があるから、映研と一緒にそこを貸してもらうの。時間を決めて交互に作品を流す感じ」

 映研を辞めはしたが喧嘩したわけではないので、ちゃんと話し合いが成立したらしい。陣というよりも、映美の社交性のおかげだろうと推測した。

「もうひとついいですか?」

「うん」

 横並びのふたりを見たときから気になっていたことを質問する。

「もしかして、おふたりは付き合ってるんでしょうか?」

 陣と映美は同時に赤面した。

「え? いや、そんな」

「やだ。いきなり、なに聞くのよ」

 陣はアイスココアに視線を落としたまま固まり、映美は頬に手を当てて、嬉しそうに照れている。

 変な地雷を踏まないように確認しただけなのだが、なんか微妙な感じらしい。

「あ、やっぱり大丈夫なので忘れてください」

 自分から聞いておいてなんだが、こういうのはもう、お腹いっぱいだな、と思った。


 ゴーヤが入荷すると夏を感じる。

 雅親は、丸山と一緒に品出しをしていた。箱に入ったゴーヤを、一本ずつ野菜売り場に積み上げていく。

「映画づくりはどうだった?」と、同じようにナスを箱から出している丸山が尋ねた。

「あれ? なんで知ってるんですか?」

「このまえ、ねこちゃんが来て教えてくれたの。あと、雅親くんが趣味アレルギーを克服したって、すごく嬉しそうだったわよ」

「ゲーム実況の作業効率あがりますからね」

「ヒネくれたこと言うわね」

「いえ、冗談です。ねこには感謝してます」

 ねこと菊乃の前で倒れたことは、いま思い返しても恥ずかしいが、いろいろな面で助けてもらったので本当に感謝している。

 今度、羽黒家に行くときにケーキでも買っていこう。

「映画づくりは、まだ見学させてもらっただけですけど、すごく勉強になったし、楽しかったです」

「ふうん。雅親くんは、そっちの道に進むの?」

「そっちの道?」

「そう。映画づくりを仕事にしたいのかなって思って」

 雅親は手を止めて丸山を見た。

「……考えたことなかったです。だって俺、映画なんて見はじめたばかりですよ」

「そんなの、これからたくさん見たらいいんじゃない?」

「いやいや。監督やってる先輩なんて、子供の頃から映画好きって言ってたし」

 そこまで言って、陣の言葉を思い出した。

「きみみたいに、数本で映画の面白さを理解して、しかも作る側に興味を持つなんて、なかなかできることじゃないよ」

 考え込む雅親を見ながら丸山が微笑む。

「いっぱい悩んだらいいと思うわ」

 そう言い残して、ナスを出し終わった丸山は事務所に戻っていった。


『Dark Frontier: Rebellion of the Stars』

 愚かな反乱者どもよ、聞くがよい。

 吾輩が着任したからには、貴様らの好きにはさせぬ。

 荒れ果てたこの惑星の政治を根本から作り変え、貴様らを恐ろしいまでの笑顔に導いてやろう。

 未来で待ち構える幸福に、恐れおののけ。


 すっかり通い慣れたいつものカラオケ店。

 今日は珍しく、雅親ひとりで利用していた。

 スマホを手に持ち、先日、陣から渡された紙を見ながら、順番に読みあげていく。

「もしもし」

「それが嬉しいって、親方が酔っ払ったときに泣いていたな」

「ぼくは会うことはできないけど、きっと、いい人だろうね」

 一時間ほどで、だいたい録り終えた。

 助手くんのキャラとはだいぶ違ったが、ねこちゃん博士との掛け合いのようにアドリブを求められないので、かえって楽だった気がする。

 どちらかというと、スーパーの店内アナウンスに近い作業だった。

 持ってきたノートパソコンを開いて、スマホから音声ファイルを取り込んでいく。

 陣にもらったリストには、ファイル名の指定まで書かれていたので、そのとおりに名前をつける。

 最後に、陣から共有されたクラウドストレージを開いて、そこにコピーしていった。

 ねこと一緒に動画づくりをやってきた経験値があるので、とてもスムーズだ。

「ついでに、実況の編集もやっていくか」

 ねこちゃん博士ちゃんねるの編集は、交代で担当するようになっていた。

 雅親が編集を担当し始めた最初の頃は、公開したあとに「あ。ここミスってる」という発見が多く、粗が目立ったが、最近はだいぶクオリティが安定してきているように思う。

「おっ。いつの間にか、登録者が百人を突破してる」

 スマホやパソコンを開いたときに、ほとんど脊髄反射で管理者画面をチェックするようになってしまった。

 ねこは気づいているかもしれないが、「百人突破! 目標、あと九百人!」というメッセージを送っておく。

 近頃は固定ファンも増えてきたようで、動画を上げるたびにコメントをつけてくれる人も現れた。

「ねこちゃん博士、今回もかわいいです! 反乱軍の密輸ルートを抑えるのが難しそうですね」

「大事なところは、ぜんぶ助手くんに丸投げしていて草」

「投稿頻度も高いし、もっとのびるべき。助手くんの事前把握能力がパない」

 荒らしやアンチコメは、ほとんどなかった。

 もっとチャンネルが伸びてくればわからないが、いまは投稿者と視聴者が、いい関係を築けているように思う。

 ピコッと着信音がしたのでスマホの画面を見ると、ねこから返信がきていた。

「ほんとだね! すべてはわたしの計算通りに進んでいる! わたしえらい!」

 ずいぶんとテンションが高い。

 やはり、百人突破は嬉しいのだろう。

 こちらもテンション高く、「ねこちゃん博士さまさまだな!」と返しておいた。


 雅親の返信にイイネのスタンプを送ってから、カレー作りに戻った。

 いまは、じゃがいもや人参などの具材を煮ている段階だ。

 ついつい灰汁を取りたくなるが、カレーを作るときは旨味になるから取らなくていいらしい。

「ふう」

 小さくため息をついたのを、里美に聞かれた。

「どうしたの? 元気ないね」と言われ、すこし焦りながら答える。

「そ、そうかな? それより、チャンネル登録が百人突破したんだよ。すごいよね」

「たぶん、すごいんだろうね。そのわりには、あんまり嬉しそうじゃないけど」

「そんなことないし。テンション爆上がりだし」

「ふうん。なんでもいいけどさ」

 里美は冷蔵庫からハイボールを出しながら言った。

 ちゃんと、お酒は週に一回ルールを守っているので、ねこも特になにも言わない。

「雅親くんとなにかあったんなら、ちゃんと仲直りしときなよ」

「喧嘩とかしてないし」

「あそ」

 リビングにいく里美の後ろ姿を見送ってから、ねこは鍋に視線を戻した。

 灰汁は、次々と浮き出てきていた。


 今日から、本格的に映画づくりの手伝いをする。

 陣から送られてきた撮影場所は、自治体が運営している貸し会議室だった。

 午前いっぱい使って数百円とかで借りられるらしい。お金のない学生にはありがたい限りだ。

 雅親と陣は、その会議室で撮影準備をしていた。

 といっても、撮影機材は陣が持っているミラーレス一眼カメラだけなので、照明やレフ板の設置をするぐらいだ。

 あとは椅子や机を並べて、シーンのシチュエーションづくりをして終了した。

 早々に準備が終わってしまったので、更衣室で着替えをしている映美が来るのを待ちながら会話をする。

「先輩からもらったセリフの一覧を見て思ったんですけど」

「うん。すぐにもらえて助かったよ。だいぶ、イメージが固まってきた」

「いえいえ。で、見て思ったんですけど」

「うん」

「いま撮ってる映画。いわゆる異世界転生ものとはだいぶ違いませんか?」

 前回から今回の間に、異世界転生というジャンルの漫画や小説をチェックしてきた。

 その内容と、いま撮影している映画のストーリーには、だいぶ乖離を感じた。

 陣が、はははっ、と笑う。

「でも、異世界転生の映画ってことにしとけば見てもらえるでしょ。見てもらえれば、人によっては面白いと思うかもしれない。卯野くんはシナリオを読んでどうだった?」

「面白いと思いました」

「よかった」

 陣の言うこともわかるが、なんだか人を騙しているような罪悪感がある。

 あくまで監督は陣であって、雅親は手伝いなのだから、文句を言う筋合いもないのだが。

 そんなことを考えていると、パンツスーツに着替えた映美が、会議室のドアを開けて入ってきた。

「おまたせでーす」

「あ、就活っぽい」

「へへへ」

 映美が、その場でくるりと回る。紺色のリクルートスーツが、ばっちりと決まっていた。

 今回は主人公の面接シーンなので、撮影場所が会議室となったのだ。

 役者も来たし撮影開始、と思って陣を見ると、監督はぼんやりと映美に見とれていた。

 小声で「先輩。撮影スタートですよ」と教えてあげる。

「ご、ごめん。面接するシーンだから、自己紹介をしてから椅子に座る。そのあと、座った状態で面接しているところを撮ります」

 雅親と映美が、声をあわせて「はい」と返事をする。

「俺、面接官役やりますか?」

「卯野くんは彼氏役で使っちゃったから大丈夫。それに、あまり人を出すと、映美さんひとりのシーンに違和感でるからね。ここもひとりでやってもらうよ」

「わかりました。……じゃあ、俺はなにしましょう?」

 横から映美が言う。

「向かいに座って面接ごっこしよ。目線を合わせる先が欲しいしさ」

「面接ごっこ?」

「バイトの面接とかしたことない?」

「スーパーのバイトのときにやったけど」

 もちろん相手は熊岡だった。「ちゃんと会話できるからオッケー」で、すぐに決まってしまったが。

 映美の向かいにパイプ椅子を持ってきて座る。

 結局、面接官役をやっている気はするが、カメラに映らないから気楽なものだ。

 まずは、映美が自己紹介をしてから椅子に座る動作を撮影。そのあと、面接するシーンとなった。

「なにか質問して」と映美が言う。

「じゃあ、志望動機をお願いします」

「はい! 社会に貢献するという御社のビジョンと、育休の取得推奨をおこなうなど、社員を大事にする社風に魅力を感じました!」

「おお、すごい。ちゃんとしてる」

「ふふん。貧乏監督の専属とはいえ、伊達に役者やってないわよ」

「悪かったね、貧乏で」

 撮影しながら陣がつっこみを入れる。

「面接官! わたしからも質問いいですか!」

「いいんですかね?」

「音声は録ってないから大丈夫だよ」

「では、どうぞ」

 手でうながすと、映美がにやりと笑った。

「檸檬とはどういう関係だったんですか!」

「ええ……」

「わたしが推測するに、面接官の覚悟が足りずに失敗したと思ってるんですがどうですか!」

「やめて! せっかく傷口がふさがってきたのに!」

 悲鳴をあげながら陣の方を見ると、カメラをおろして笑っていた。

「撮ってないし!」

「いや、こんなにカットいらないから」

「あははっ、ごめんね。ちょっと気になってたからさ。おつかれさま!」

 すぐに片付けを始める。

 映美はまた着替えに行き、雅親と陣は、撮影のために出したものをどんどんと収納していった。

「そういえば、陣先輩は就活してるんですか?」

 大学四年生の夏だから、就職活動の真っ最中のはずだが、そのような様子は見られなかった。

「ん。ぼくは、実家の会社に就職するよ」

 そう言われて驚いた。

「俺、陣先輩は映画の世界に行くんだと思ってました」

「映画は続けるとは思うけど、趣味の範囲になるかな」

「なんか、残念なような」

 勝手なことを言っているのはわかっているが、陣の映画に対する情熱を横で感じているだけに、もったいない気がする。

 だが、当の本人は明るく笑ってみせた。

「まあね。でも、子供の頃から知ってる人たちと働けるっていうのも楽しみなんだ。卯野くんも、やりたいことをやりなよ。後悔しないように」

 持ってきた荷物を廊下に出し終わり、陣が会議室に鍵を掛けた。

「鍵、返してくるね」

「はい。先に外でてます」

 廊下を歩いていく陣の背中を見ながら、雅親は、さっき言われたことを噛み締めていた。

「そっか。俺、趣味アレルギーのせいで、ずっとできないことばかり考えてたな」

 照明やレフ板といった機材を肩にかつぐ。

「やりたいことを考えていいんだ」

 ずっしりとした重さを感じながら、出口に向けて歩き出した。

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