第5話 相棒と決めなさい
スーパーくまおかの休憩室は事務所も兼ねていた。
店舗側から入って左側には書類を収納する棚と、熊岡が事務仕事で使うためのデスクとパソコンが置いてある。
右側は流しになっており、「名前を書きましょう」という貼り紙のついた冷蔵庫、その上に乗った電子レンジと湯沸かしポットなど、ひととおりの給湯セットがそろっていた。
部屋の中央には、同時に六人が休憩できる長机と人数分のパイプ椅子が置かれているが、シフトによって勤務時間がズレるので、すべての椅子が埋まることはめったにない。
雅親はその長机に突っ伏して、どんよりとしたオーラを放っていた。
「チャンネル登録してもらえないんですよ」
雅親は、早朝番の人が取得できる、お昼の小休憩中だった。
向かいでお茶をすすっている丸山は遅番で、いま出社したばかり。レジに入る前の一服中だ。お茶とコーヒーは、福利厚生の一環として飲み放題となっている。
「投稿本数は何本だっけ?」
「七本です」
「すごいわね。先月はじめたばかりだから……週に二本ぐらいのペース?」
「がんばってるんですけど、こう反応がないとモチベが維持できなくて」
「そうねえ。モチベーション大事よね」
うんうんと丸山が理解を示してくれる。
以前はおもちゃメーカーで開発をやっていたというぐらいだから、同じような経験があるのだろう。
「ねこちゃんは?」
「ねこも、最近、口数が少ないです。このままでいいのか迷ってるみたいで」
「そっか。ちょっと見させてもらうわね」
丸山が自分のスマホを操作する。
ねこちゃん博士ちゃんねるのホーム画面をチェックしているようだ。
「高評価はついてるわね。視聴数も増えてる」
「ですね。だれかしらは見てくれてると思うんですけど」
「なら、だいじょうぶよ」
丸山は、スマホをしまいながら明るい声を出した。
「ちゃんと企画たててるもの」
「企画ですか?」
「ねこちゃん博士と助手くんっていう設定。ゲーム実況チャンネルはたくさんあるけど、他と差別化できてるし、ちゃんと見てて楽しいしね。ねこちゃんの声かわいいわよね。雅親くんの声もすてきよ」
「ありがとうございます」
お礼を言いながらも、雅親が背負っている負のオーラは消えない。
「なにか、できることないですかね?」
「あとは時間の問題だと思うけど、焦る気持ちもわかるわね」
丸山が、すこし目線をあげて考える。
しばらくして、なにかを思いついたようだ。
「ねえ、雅親くん」
「はい」
「映画館って知ってる?」
「バカにしてますか?」
もちろん映画館ぐらいは知っている。
とうぜん行ったことはない。
「気分転換に映像のプロの作品を見てきたら? ねこちゃんも誘ってさ」
「なるほど」
先日、ねこと一緒に早朝撮影をしてから、すこし映像というものに興味が出てきた。
ここでプロの作品を見ておくことは、たしかにゲーム実況にもいい影響があるかもしれない。
「丸山さん」
「なあに?」
「俺、映画って見たことないんですけど」
「あ。やっぱりないのね」という丸山の声を聞きながら頭をあげる。
「どういうマインドセットで見たらいいでしょうか?」
「ただ楽しんで見たらいいんじゃないかしら」
雅親は頭を抱えながら、ふたたび長机に突っ伏した。
「それができたら苦労はないんですよ。ゲームなら、動画配信はビジネスなんだ論法でいけるんですけど、映画は初めてで」
「趣味アレルギーって、なかなか消えないものなのね」
丸山が不憫がってくれる。
「じゃあ、ひとつ宿題を出しましょう」
「宿題?」
「映像の編集について、なにか気づきを得ること。これならお仕事っぽくセルフ洗脳できるでしょ」
「マインドセットと言ってください」
洗脳と表現されると、ちょっと微妙な気分になる。
「あと、もうひとつ聞いていいですか」
「なあに?」
「俺は、なんの映画を見たらいいんでしょうか?」
「そのぐらいは相棒と決めなさい」
丸山にあきれられてしまった。
その二時間後。
雅親とねこは、隣街にある大きな映画館の前に立っていた。
「まさか、即日くることになるとは」
「こういうのはノリと勢いでしょ。いくよ」
ねこのあとに続いて、映画館の中に突入する。
アルバイトから帰ると、雅親はすぐにねこに電話をかけた。
「えいがー? 配信でよくない? お金もったいないし」
「それ、怒られるから実況で言うなよ。丸山さんから宿題もらったんだ」
雅親が丸山から出た宿題の内容について説明すると、ねこは「なるほどね」と言った。
「マサチカくんの勉強になるなら悪くないかも。で、なに見るの?」
「それがわからない。ねこは見たいものあるか?」
「わたしは配信でいいじゃんって言ってる人間だよ」
「だよな。俺も映画って初めてだし、なに見ていいかわからないんだよな」
「ふうん。じゃあ、こうしよう」
そんなやりとりがあって、いまふたりは映画館にいるわけだ。
「上映時間がいちばん近いものを強制的に見る」
それがねこの提案だった。
なにを見るのか迷っているぐらいなら、現地に行ってすぐに見られるものを見る。シンプルな解決方法だ。
「面白くない映画だったらどうするんだ?」
「マサチカくんは、どれが面白い映画か知ってるの?」
たしかに。
どれが面白いかわからないのだから、面白くないものがわかるわけもない。
映画館のロビーでは、天井近くの高い場所に、電光掲示板で上映スケジュールが表示されていた。
来たことがないから客数が多いのか少ないのかよくわからないが、「満席」となっているものはなさそうだ。平日の午後なので、たぶん空いている方なのだろう。
「いちばん時間が近いのはどれだ?」
「ええと、十五分後のやつがあるね。『玉響城の釣り道楽』だって。アニメ映画みたい」
「アニメなら、俺もゲームと同じ感覚でいけるかな?」
「わたしがわかるわけないでしょ」
ごもっとも、と思いながら、自動券売機でふたり分のチケットを購入する。誘ったのは雅親なので、今回は雅親が支払うということで、ねこと話はついている。
時間の短いショートムービーらしく、他の映画よりも、すこし料金が安かった。
チケットを渡すと、ねこが雅親に尋ねた。
「ポップコーン買ってくるよ。味どうする?」
「ポ、ポ、ポップコーン!」
「え、なに、いらない?」
雅親の過剰反応に、ねこがビクリとする。
「映画館でポップコーン食べるなんて、まるで映画を見に来てるみたいじゃないか」
「大丈夫? なんか錯乱してる?」
本気で心配そうな表情を浮かべるねこ。
雅親は、両手を合わせて呪文のように唱えた。
「俺は、あくまで丸山さんから提供された宿題をやりにきているだけだ。映画を楽しむために来ているわけじゃない」
「あ、いつものか。じゃあ、塩味ということで」
すっかり、雅親のマインドセットに慣れてしまったねこは、興味を無くして売店の方へと歩き去っていった。
すこし寂しかった。
映画の予告編が終わり、シアター内の暗さが増していく。
なにかの会社のロゴが画面いっぱいに表示され、それが静かにフェードアウトすると、画面は暗いままで、しばらくの間があった。
やがて、ギッ、ギッと、なにかが軋む音が響きだす。
画面の下から、うっすらとした明かりがにじみ出て、どうやら誰かが木の階段を降りているのだとわかった。
白くて細い足が見える。
着物のような服につづき、ほっそりとした少女の全身が現れた。
少女が持っている釣竿がゆれている。
視点が切り替わり、少女の背後から景色を映す。
木材で作られたその空間は船着き場のようだ。
画面は薄暗いが、水の底から漏れる明かりが、水面の動きと合わせてゆらゆらと揺れていた。
気がつけば映画を見終わっていた。
隣の席では、ねこが、んー、と伸びをしている。
「なかなか面白かったね。たまには映画館もいいかも。どしたの?」
雅親のポカンとした表情を見たねこが、首をかしげる。
「編集を意識しようと思ってたのに、話の内容に集中してしまった」
「いいじゃん、べつに。よくできてたってことでしょ」
「そうなんだろうけど……」
ふたりはシアターを出て、またロビーに戻ってきた。
映画を見終わった人たちが、パンフレットやグッズが置いてあるコーナーを見たり、次の予定に向けて足早に映画館を出たりと、それぞれの時間を過ごしている。
雅親とねこも、映画館の出入り口を目指して歩いていた。
「くまおかで夕飯の買い物していくね」
「ああ」
返事をしてから、雅親は足を止めた。
振り返って、電光掲示板のスケジュールに目をやる。
「ねこ。ごめん」
「なに?」
「俺、次の映画も見ていくから帰っててくれ。丸山さんの宿題、クリアできてないから」
ねこが、真面目だねえ、と苦笑気味に言う。
「わたしも付き合おうか?」
「いや、もう暗くなるから大丈夫。ありがとな」
「そっか。無理しないでね。じゃね」
手を振って、ねこと別れた。
次はアメリカの実写映画だった。
ハリウッド映画、という言葉は、アメリカの映画全般を指すのだろうか。よくわからない。
もしかしたら、ゲーム実況はアニメよりも実写の方が近いのかもしれない。ゲームプレイも演技といえば演技なのだから。
映画は、女性がベッドで寝ているシーンからはじまった。
カメラは真上から撮影していて、ゆっくりと回転しながら女性に近づいていく。
切り替わって、なにかの物音で目を覚ます女性の顔のアップ。
ベッドから抜け出すと、下着姿のまま、恐る恐る音の方へ歩いていく。
女性の背後から撮影していて、観客も一緒に部屋の中を歩いているような気持ちになる。
画面が切り替わる。バスルームの中で蛇口から水がポタポタと垂れている。
女性の手が画面外から現れ、それをキュッと締めた。
ほっと安堵の息を吐く女性の顔。
バスルームから出ようと振り向いた瞬間、背後にいたなにかが頭にかじりついた。
「ぉ!」
びっくりして声が出そうになった。
よく確認せずに入ったが、まさかのホラーだった。
ねこと映画館に来たときに、この映画を見ることになっていたら、どうしていただろうか。
ホラーならまだしも、性的なシーンがあるような作品だったら、とてもいたたまれなかったに違いない。ヘタしたら、里美にひどい目にあわされてしまう。
もし次があれば、ちゃんと作品を選んで来ようと心に決めた。
映画が終わって、またロビーに戻ってきた。
まだ心臓がバクバクいっている。
「くっ。展開が激しすぎて、編集どころじゃなかった。時間的にもう一本いけるかな?」
スケジュールを確認すると、レイトショーという時間帯になっているようだ。
「安く見られるのか。ラッキー」
空腹を感じてきたのでホットドッグとコーラを購入し、三本目の映画に突入する。
しかし、さっきのホラー映画はすごかった。怪物の正体もそうだが、最後の決着の付け方が秀逸だ。
ホットドッグをかじりながら、次はどんな作品だろうかと考えて、ふと我に返った。
「あれ? 俺、いま、映画を楽しんでる?」
気づいた瞬間、吐き気に襲われて雅親は身体を半分に折った。
貧血症状によって視界が狭くなる。脂汗が額を流れていく。
「ダメだ」
マインドセットをしている余裕はない。
席を立って、よろめきながら階段になっている通路に出る。さいわい、遅い時間なのでお客さんは、ほとんど入っていなかった。
映画は始まっているが、いまはとにかく脱出することだけを考える。
シアターの出入り口まで来たところで、視界の端に、スクリーンに大きく映し出された写真が見えた。
目を向ける。
やさしい微笑みを浮かべた男性が写った写真が、木枠の写真立てに収められていた。
家の中を紹介するように、カメラが進んでいく。
静かな、それでいて弾むような雰囲気のピアノ曲が、BGMとしてゆっくりと入ってくる。
アメリカなのかイギリスなのかはわからないが、どうやら田舎の一軒家が舞台らしい。
カメラは、窓から朝日の差すキッチンに到達し、母娘が朝食の準備をしている場面を映している。
娘はまだ幼く、母親は若い。
母親は冗談を言いながら朝食の皿をテーブルに並べていき、娘をケタケタと笑わせていた。
写真の父親は、どうやら亡くなっているようだ。
どこか、羽黒家を彷彿とさせた。
気がつけばアレルギー症状は収まっている。
雅親は通路を登りかえして自分の席に戻ると、ホットドッグもコーラも忘れて、映画に集中しはじめた。
九十分後。
「お客さま? ご気分悪いですか? 横になりますか?」
異変に気づいた掃除スタッフに、ものすごく心配されていた。
「いえ、ひっく、だいじょぶ……です。すいません」
映画が終わっても、雅親は号泣しつづけていた。
父親を亡くした、母娘の人生を綴ったコメディ映画だった。
最後は、すっかり大人になった娘が、両親のお墓に思い出のシロツメクサを供えるのだ。
「く、うぅ」
シーンを反芻して、また涙が出てきた。
掃除スタッフは、とても困っていた。
丸山がお茶をすすりながら尋ねる。
「で、どうだったの?」
「申し訳ありません。宿題に関して、まだご報告できることがございません」
ぐっと、事務所の長机に手をついて軽く頭を下げる。
「それはどうでもいいんだけど、映画、楽しかった?」
「たのしかったです! あんなに感情を揺さぶられるものだと思いませんでした!」
パアッと明るいオーラを撒き散らしながら答えた。
「それはよかった」
「え、雅親くん、映画、見にいったの?」
なにかを取りに事務所に現れた熊岡が会話に加わった。
「じゃあ、いまやってるヒーローもののやつ、お勧めだよ。アメリカのヒーローたちがごった煮みたいに出てくるの」
「お、おれのお勧めはですね!」
「おお、前のまえりじゃん」
「はい!」
我ながら、変な脳内麻薬でも出ているかのようなテンションだった。
休憩を終えて売り場に戻る。
カゴの補充をしていると、ねこがやってきた。
「まいど。マサチカくん、映画どうだった? って、ちょっと!」
ねこを見た瞬間、雅親は滂沱の涙を流していた。
「こわいんだけど!」
「いや、すまん。昨日の映画を思い出して、ちょっと涙腺にきた」
「楽しめたようでよかったよ」
苦笑気味に丸山と同じようなことを言われた。
ねこはいつものように夕飯の買い物に来たようだ。野菜を選び、手に持ったカゴに入れていく。
「で、丸山さんの宿題はどうだったの?」
「それが、三本見てもわからなくてさ」
「そっか。あ。このセロリ、ちょっと傷んでるよ」
「回収する。さんきゅー」
ねこからセロリを受け取り、そして気づいた。
「映画館で上映されるような作品は、どれも鮮度のいい野菜なんだよな」
ねこが首をかしげる。
「どういうこと?」
「うん。宿題の解き方がわかった気がする」
アルバイトが終わると、急いでアパートへ帰ってきた。
押し入れを開き、以前、作った資料を探す。
ねこと最初にさくら公園で打ち合わせしたときに出した、動画投稿を一年以上続けているが、あまり伸びていないチャンネルの一覧だ。
「あった」
資料を発見した。
次にパソコンを立ち上げ、動画投稿サイトを開く。
資料を見ながら順番に検索していくと、更新がストップしているチャンネルや、アカウントごと削除しているチャンネルが一定数あり、すこし物悲しい気持ちになる。
その中で、まだ更新を続けているチャンネルの、現在の状態をチェックしていく。
伸びているチャンネルもあるが、あまり多くはない。
低空飛行しているチャンネルの動画をいくつか再生し、その編集内容を確認した。
以前はわからなかったが、いまなら編集の良し悪しが理解できる。
出だしがいきなりすぎる。無言のまま、ゲームの映像だけが流れている。なんとなく、ダラダラとしている。
「うん。よくわかる」
映画館で上映されるような作品は、どれもプロが作ったものだ。
編集するうえで、やってはいけないことはやっていないし、やるべきことは、ちゃんとやっているのだろう。
まったく違和感なく作品を見ることができてしまい、編集するうえで気を付けるべきポイントが発見できなかった。
参考にさせてもらったチャンネルには、たいへん申し訳ないが、プロの映像と比較させてもらうことで、ようやく気づきを得ることができた。
細かいところまで雅親が理解できるとは思えないが、理解できるところもある。
丸山への回答内容が決まった。
翌日。
「ということで、宿題のご報告です」
いつものようにお茶をすすっている丸山の向かいに座って、報告をおこなう。
「はい、どうぞ」
「編集は、無駄なものをカットして、意味のあるシーンだけをつないでいく作業だと理解しました。これをゲーム実況に当てはめるならば、面白いと思えるシーンだけで動画を作ることだと思います」
「なるほど。基本のようだけど、意外と気づけていない人も多そうね」
「はい。たぶん、漫画も小説もテレビ番組も、プロが作るものは、どれも、そういう意識がされているんでしょうね」
編集作業は、もっと深いものだろうと思っているが、いまの雅親にとっては、これに気づけただけでも、かなりの進歩だった。
それに、映画を見る楽しさについても知ることができた。
「丸山さんのおかげで、いろんなことがわかりました。ありがとうございます」
「わたしは、雅親くんとねこちゃんの気分転換になればいいなって思っただけよ。そんなことより、チャンネルのチェックしてる?」
宿題をこなすのに気を取られて、すっかり忘れていた。
スマホを操作して管理者画面を開く。
チャンネル登録者数が、二人から四人になっていた。
「増えてる」
「ね。時間の問題だったでしょ」
丸山はやさしく微笑むと、休憩を終えて売場へ戻っていった。
見知らぬだれかが、ねこちゃん博士ちゃんねるを発見して、見てくれて、気に入って登録してくれたのだ。
「ははっ」
嬉しくて、急いでねこに「登録者数が増えてる!」とメッセージを送る。
すぐに「知ってるって」と、つれない返事がきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます