第4話 あけぼのじゃない時間
アルバイト終わりの夕方。
雅親は、また羽黒家で夕飯をご馳走になっていた。
今日のメニューは、大葉とベーコンのパスタ。それにコーンスープ。
どちらもねこが作ったものだ。
コーンスープは粉をお湯に溶かしただけだと言っていたが、雅親には品数が多いだけで豪勢な食卓に感じられた。
里美は今日もひとりで飲んでいた。パスタにあわせて白ワインらしい。いろいろな酒を楽しめる人だなと、ちょっと感心する。
スーパーで働いているので、いちばん安い白ワインだということはすぐにわかったが、すこしだけ分けてもらうと甘くて飲みやすかった。今度、ひとり飲み用に買ってこよう。
ねこがパスタをフォークで巻きながら話を開始する。
「二本目の投稿が完了したところで、初投稿動画の視聴回数を確認しておこう」
「一週間が経過した時点で九回。俺は一回見た」
「わたしが二回。丸山さんが一回。お菊ちゃんが一回とすれば、四回ぐらいはだれかが視聴してくれたのかな」
「そのあたりはわからないのか?」
聞いてから、パスタを口に入れる。
大葉の風味とベーコンの塩気が口の中に広がって、大変うまい。
「なんとなくならわかるよ。アナリティクス画面があるから」
「なんだ、それ?」
「チャンネルの分析画面かな。どの動画がどのぐらい見られたとか、どの動画からチャンネル登録してくれたとか」
「チャンネル登録。うちは二人だな」
「これは、あきらかに丸山さんとお菊ちゃんだよね。本人たちがそう言ってたし」
里美がワイングラス片手に会話に加わる。
「わたしがチャンネル登録することに意味ある?」
「ない。知り合いが登録してくれても、動画を見てくれるわけじゃないしね。見ないでしょ?」
「見ないわね」
「俺のアカウントで登録するのは?」
「自分で登録してどうすんの。水増しアカウントを千個も作るの?」
「なんで千なんだ?」
尋ねながらコーンスープをスプーンですくって飲む。うまい。
お湯を入れるだけで完成するのであれば、雅親でも簡単に作れるので、ワインと一緒に買ってこよう。
「言ってなかったっけ? 動画を収益化するためには、登録者数が千人以上必要なんだよ」
「そんなに?」
動画を作るのに一生懸命になりすぎて、収益化のことまで意識が及んでいなかった。
一週間でチャンネル登録者が二人しかいないのだから、同じペースで千人となると五百週かかる。一年は五十二週だったはずなので、ざっと十年だ。
もちろん、登録者の増え方は加速していくとは思うが。
「そう、千人。だから水増ししようったって簡単じゃないよね。中には、投稿者同士でチャンネル登録しあおうっていう人もいるけど、それは目標をはき違えてる」
「というと?」
「目標は、登録者数を千人にすることじゃなくて、わたしたちが作る動画を好きになってもらうこと。つまり、ファンになってもらうこと。そうすれば千人なんて言わず、もっともっと上を目指せるはず」
「でも、ファンになってもらうためには見てもらう必要があるよな」
「そうだね」
「ファンじゃないけど見てもらうっていう、最初の一歩はどうするんだ?」
「サムネを工夫するとか、検索にひっかかりやすくするとか、いろいろあると思うけど、まずは動画の本数を増やすことが大事かな」
一本よりも二本、二本より四本の方が、目につく機会は多いということだろう。
ねこが続けた。
「で、たまたま見てくれた人に面白いって思われないとスルーされちゃうから」
「ちゃんと面白い物を作る、が正解と。納得いった」
「というわけで、次のゲームなんだけど」
だれかのスマホから着信音が聞こえ、三人とも自分の手元に目をやった。
「はい。ええ、お世話になってます」
里美の電話だったようだ。
会話の邪魔にならないように、雅親とねこは声を出さずにパスタに集中する。
ねこは、最初の吸血鬼のゲームはクリアしてしまったから、次のゲームをどうするかについて話したかったようだ。
雅親は、どういうゲームが実況に向いているのか、人気があるのか詳しくないので、次シリーズの選定についても、ねこにお願いするつもりだ。
「はい?」
里美の声のトーンが変わる。
続く言葉に、雅親とねこは思わず顔を見合わせてしまった。
「家庭訪問?」
***
その男性は、にこにことした笑顔を浮かべながら羽黒家のソファに座っていた。
三十歳前後だろうか。髪を小綺麗に整え、小柄な体格を紺色のスーツに包んでいた。
向かいには、ねこと里美が並んで座っている。
ねことしては、家庭訪問などというよくわからないイベントに時間を取られるぐらいなら、動画の編集でもやっていたいところだが、不機嫌を顔に出しても里美を困らせるだけだろうし、がんばって無表情を装っていた。
「いやあ、すいませんね。最近は家庭訪問をやる学校は少なくなっているんですが、うちの校長の方針でして」
「そうなんですね」
里美が失礼にならない程度の相槌を打つ。
「まずはご挨拶させてください。羽黒さんは、ぼくと会うの初めてだよね」
話しかけられたので、適当に返事をしておく。
「はい。まあ」
「きみの担任の鳴門寿郎です。よろしくお願いします」
「お願いします」
軽く頭を下げながら、担任とかどうでもいいし、と心の中でつぶやく。
「元気かな? 特に困ってることとかない?」
「元気です。なにも困ってないです」
鳴門は満足そうにうなずくと、今度は里美に向き直った。
「お母さまも、困られていることはないですか?」
「ええ。大丈夫です」
「それはよかった」
鳴門が真面目な顔になる。
「いえね、わたしは学校に来ることだけが正解とは思っていないんですよ。心身ともに健康であることが、いちばん大事ですから」
「はあ」
「いや……ほんとに」
言い淀んだと思ったら、いきなり鳴門は大粒の涙をこぼした。
ねこと里美がそろってギョッとする。
涙声のまま、鳴門が話を続ける。
「お父さまを亡くしたつらさは、ぼくなんかにはわからないけど、元気でいてくれるだけでも本当に嬉しいよ」
初対面の雅親の前で涙を流した自分のことは棚に上げておくとして――。
いい歳をした男性に初対面で泣かれるとちょっと構えてしまう。鳴門の、上っ面を撫でているような言葉も不快だし、ねこの正直な感想としては「なんだこいつ?」だが、頑張って無表情をキープした。
なんとかこの場をやりすごそう。
「あの、今日はどういったご用件でしょうか?」
声の調子から、里美もねこと同じような感想を抱いているのがわかった。
「ああ、すいません。ええとですね。まず、二年生になってからの一ヵ月、羽黒さんは登校されていません」
「ええ」
「いまのところは、ご事情のこともありまして、校長判断で出席扱いとしております。ただ、あまり長引きますとですね。そういうわけにもいかなくてですね」
「いつ学校に戻るのか、ということですか」
「はい。いえ、わたしはさっきも言いましたように、学校だけが正解とは思っていないんですが」
「だってさ。戻る気ある?」
里美が鳴門の弁解するような言葉をさえぎって、ねこに問いかけた。
単刀直入に答える。
「ない」
「ということなので、しばらくお休みいただきます」
しばらくとかじゃないし、と心の中で付け加えておく。
「しかし、欠席日数は内申に影響しまして、そうすると受験で不利になります。羽黒さんの将来のことを考えますとですね」
「だってさ」
「なんで、わたしに聞くのよ」
ねこは小声で里美にかみついた。
里美も小声で答える。
「あんたのことでしょうが。自分でどうしたいのかお話ししなさい」
ねこは鳴門に視線を向けた。
なんかこう、全身から「どんな話をされても受け入れるよ」というオーラを放っていて、それがねこには受け入れられない。
「わたし、やりたいことがあるので」
「やりたいことってなんだい?」
「ええと」
学校を休んでゲーム実況動画を作ってるんです、とは言いにくい。
「え、映像クリエイター目指してて」
「お。そうきたか」
小さく里美の声が聞こえる。
もしかして、この母親は楽しんでいるのではないだろうか。
そんな羽黒母娘の態度など気にもせずに、鳴門は大げさな反応を見せた。
「すごいな! 中学生で、はっきりと将来の夢を見つけてるなんて! すばらしいよ!」
「ども」
「じゃあ、いま勉強中ってことだね。作品とかあったら見せてくれないかな」
「はい?」
話が思わぬ方向に転じた。
「ぼく、詳しくないからよくわからないけど、スマホで撮った動画をくっつけたりするんでしょ? 最近は簡単に作れるって聞くし。あ、機材とか持ってるのかな?」
「ち、父のものを使っていて」
「お父さまの……そうか」
鳴門が神妙な顔になる。
ふたりのやりとりを眺めていた里美が口を開いた。
「夫は生前、映像作りを趣味にしていまして」
「は?」
なにを言い出すんだ、と思いながら里美を見る。
「娘もその影響を受けて、以前からやってみたいと言っていたんです」
「ちょっと、なにウソ言ってんの!」
「あわせなさい! 納得させないと、この先生、また来るよ! いいの?」
「いやに決まってんでしょ!」
小声でやりとりをしてから、里美は、また澄ました表情に戻った。
「わたしとしても、いまは好きなことをさせてあげたいと思っています。内申はもちろん大事ですが、いま、このときでないとできないことがあるはずです。先生ならお分かりいただけると思いますが」
鳴門は、勢いよく何度もうなずいた。
「はい、はい。わかります。お父さまの思いを形にすること、とても大事だと思います」
そんな話だっただろうか。
無理やり美談にされているような気持ち悪さはあるが、まあ、帰ってくれるならなんでもいい。
里美は「それでは、学校に戻る時は、こちらからご連絡さしあげますので」と追い出しにかかった。
ふたりで鳴門を玄関まで見送る。
「お邪魔しました。お茶もごちそうさまでした」
「いえいえ」
里美がにこやかに応対する。
その横顔からは、やりきった、という満足感が見えた。
「羽黒さんも元気で。映像作成がんばって」
「はい」
「来週また来るから、作ったもの見せてね」
そう告げると、鳴門はドアの向こうに姿を消した。
バタンとドアがしまる。
「え? また来るの?」
母娘の声が、きれいにそろった。
『WorldBuilder Chronicles』
その広大な無の世界に、男はひとりで立っていた。
右手に水を、左手に火を持った男は、川を作り、森を生やし、動物を産み出した。
やがて男は気づくだろう。
この豊かな世界の中で、もうひとりきりではないことに。
すっかり通いなれたカラオケ店の一室で、雅親とねこは撮影の準備を進めていた。
今回のゲームは、インターネットを通じた協力プレイが必須ということで、雅親のノートパソコンにも同じものをインストールしてある。
ねこが半額出すと言ってくれたが、ちょうどセール中で安く買えたので断った。動画作成の作業量としては、ねこの方が多いのだから、お金まで出させては申し訳ない。
ここ二日ほどで、ゲーム内容の把握はバッチリおこなってきた。
アレルギー反応の方は、マインドセットのおかげで、うまくコントロールできている。
「というわけで、雅親くんに映像作成をお願いしたいんだ」
「なんだ、その余計な作業は」
中学校の担任教師にその場しのぎのウソをつき、そのウソを真に受けすぎた教師を納得させるために映像作成をする必要がある。
何度、聞いてもよく理解できない。
それぞれのノートパソコンをカラオケ店のWiFiにつなぐ。
マイクはひとつしかないので、ねこのパソコンに接続して、ふたりで使用する。
あまりマイクから離れると声が遠くなってしまうので、すこし窮屈だ。いずれ、もうひとつ購入したいところである。
「なんか見せとけば、納得して、しばらく放置してくれるかもしれないしさ。それに雅親くんの編集なら、中学生が作るものとして身の丈があってるじゃん」
「いろんな意味で、なに目線の発言だ?」
とはいえ、ねこにはゲームの編集をしてもらいたいので、余計な作業を雅親がかぶるのはかまわない。
「どんなの作ればいい?」
「んー。スマホで撮るんだし、町の様子とか季節の花とか、そういうの? 三十秒ぐらいでさ」
クライアントの、ふんわりしたイメージは理解した。
細かいところは自分で考えてみよう。
「わかった。編集の練習ってことで、なんか作ってみる」
「ありがと。じゃあ、撮影はじめるよ」
「おっけーだ」
ねこがキャプチャーソフトをオンにし、いつもの挨拶からスタートした。
「おはよう、こんにちは、こんばんは! ねこちゃん博士だよ!」
「助手です。このチャンネルでは、博士と一緒にゲーム世界の真実を探求していきます」
三本目の撮影がはじまった。
カラオケ店からの帰り道。
ねこと別れたあと、まだ日が高かったので、雅親はさくら公園に寄ってみた。
「町の様子とか季節の花なぁ」
季節は五月に入ったところだ。
あまり詳しくはないが、公園内の花壇には、さまざまな花が咲いていた。
試しにスマホを取り出して、手近な花を動画で撮影する。
ピコンという音とともに撮影をスタートし、しばらくしてから気がついた。
「止まってちゃ、写真と一緒だな」
動きがなければ動画にする意味がない。
なにが正解なのかよくわからないので、近づく、離れる、スライドするなど、適当に動きをつけてみる。
「これを編集でつなげたらいいのかな?」
スマホをポケットにしまうと、雅親は公園をあとにした。
アパートに戻ってショルダーバッグからパソコンを取り出し、さっそく編集ソフトを立ち上げる。
スマホを操作して、撮影した動画ファイルをクラウドストレージにアップロードした。
次にパソコン側の操作に移り、同じクラウドストレージからファイルをダウンロードする。
これで、スマホからパソコンにデータを移動させることができた。
ねこのおかげで、こういう作業にもすこしずつ詳しくなってきた気がする。
編集ソフトに、いくつか動画ファイルを放り込んで再生してみる。
「んー。切り替えが急すぎるか」
花の映像が流れていき、パッと別の映像に切り替わる。ただ順番に動画ファイルを再生しているだけで、全体的なまとまりがない。
次は各映像がフェードイン、フェードアウトするようにしてみる。
スゥっと静かに現れる映像は、再生が終わるとゆっくりと消えていき、次の動画ファイルがまたなめらかに現れる。
「お。いい感じ」
フリーBGMのファイルを入れてあるフォルダから、きれいな音楽を選び、編集ソフトに追加。
再生すると、だいぶそれっぽいものになった気がする。
「音楽ってすごいな。一気に作品っぽくなった」
だが花の映像だけ三十秒流しても、あまり変わり映えがしない。
どうせなら、もうちょっと内容のあるものを作ってみたい。
「対象を広げて、春っぽいものを集めてみるか」
それならば花だけでなくてもいいわけだ。
「春っぽいものか」
そもそも、春っぽいものってなんだろうか。
スーパーくまおかの事務所にて、パソコンで経理処理をしている熊岡に聞いてみる。
「くま店長。春といったらなんですかね?」
「あけぼのかな」
レジに入っている丸山と交代するときに聞いてみる。
「丸山さん。春といったらなんですか?」
「あけぼのかしら」
日本人は、一部の認識を千年前の女性に洗脳されているのだろうか。
まあしかし、悪くはない気もしてきた。
「あけぼのっていうと何時ぐらいですかね?」
丸山が、そうねえ、と考える。
「夜明け前だから、いまの季節なら四時半ぐらいかな」
「朝というか夜って感じですね。明日は休みだし、早起きしてみようかな」
「へえ」
唐突に、どん、とレジに日本酒の瓶を置く人物が出現する。
ねこの母親、羽黒里美だった。
「奇遇ね。わたしも明日は休みなの」
「はあ」
だからどうしたというのだろうか。
「最近、ひとり酒が多かったから、つきあって」
「いや、朝早いし」
「大丈夫。寝なければいいだけだから。若いんだから問題ないでしょ」
にこりと告げると、丸山と「あら、ねこちゃんのお母様ですか?」「ええ。うちの娘がよくお邪魔しているみたいで」などというやりとりを始めてしまった。
「おれ……羽黒家の問題を解決しようと頑張ってるんですけど」
雅親のつぶやきは、だれにも届かなかった。
スマホにセットしておいたタイマーが鳴り、雅親は気力を振り絞るようにしてソファから起き上がった。
一瞬、ここがどこだか思い出せなかったが、すぐに羽黒家のリビングだという記憶がよみがえってきた。
「うぅ」
タイマーが鳴ったということは朝の四時だ。
ついさっきまで、里美の酒につきあっていたせいで全身がだるい。
暗い部屋の中、豆球の小さな明かりだけを頼りに、足を引きずるようにして台所に向かう。
それぞれの部屋で寝ている羽黒家のふたりを起こさないよう、静かに水をコップにそそぎ、ゆっくりと飲み干した。ただの水が、ものすごくうまく感じる。
リビングに戻ってバッグを肩にかけ、さて、どうやって鍵をかけてもらおうかと考えていると、「うわ、酒くさっ」という声とともに、ねこが自室から出てきた。
「ごめん。起こしたか?」
小声で謝る。
「四時に起きて撮影に行くって言ってたでしょ? それで目覚ましかけてたんだけど」
たしかに、ねこはパジャマではなく、外に出られるような服装に着替えている。
「いいよ、まだ暗いし。鍵だけかけてくれ」
「そうもいかないよ。わたしがお願いしたんだし。いこ」
一緒に玄関から外に出ると、まだ真っ暗だった。五月の未明の空気は、すこし肌寒いが、酒で火照った身体にはそれが気持ちいい。
ふたりでエレベーターに乗って下まで降りていく。
「二日酔いってどんな感じ?」
エレベーターの中で、ねこに聞かれる。
「世の中の不幸を胃の下に押し込んで、念入りに煮込んでる感じ」
「ブンガクテキすぎてわかんないって」
苦笑気味に言われるが、そうとしか表現できないのでしかたがない。
マンションから出て、さくら公園を目指して歩いていく。
遠くの東の空が白んできていた。
「コーヒーでいいか?」
「うん。ありがと」
途中の自動販売機でホットコーヒーを買い、ふたりで飲みながらまた歩きだす。
「ごめんね。さとさんのお酒につきあわせて」
「いいよ。夕飯も酒もごちそうになったし」
「さとさんとリョウタくんは、休みが合うとお酒を飲みながらドラマとか見てたんだ」
「楽しそうだな」
「うん。でも、いまはずっとひとりで飲んでる。たぶん、あんまりいいことじゃないよね」
そうかもしれない。
里美と一緒に飲みながら、あまり悲壮的なものは感じられなかったが、深いところを推し量ることなどできない。
「だから、たまに付き合ってくれると嬉しいかも。二日酔いになるほど、つきあわなくてもいいけど」
「もちろん。おれも酒は嫌いじゃないし」
「うん。ありがと。わたしもそのうち参戦するよ」
「それはおすすめしないな」
「あははっ」
さくら公園に到着したが、まだ撮影するには暗すぎるので、ベンチに座って夜明けを待つ。
すこしずつ明るさを増していく空を、ふたり並んで見守った。
「ねこ、聞いていいか?」
「なに?」
「なんで学校に行かないんだ?」
里美から、中学校に馴染めなかったことは聞いている。
あまり詮索しない方がいいかとも思ったが、なんとなく、知っておきたかった。
「それは、動画作成に集中したいからだよ」
ねこが誤魔化すように言う。
「学校に行ってたってできるじゃないか。そりゃ投稿ペースは落ちるけど、ねこなら器用にこなすだろ」
「わたし……そんなに器用じゃないんだ」
ねこは明るくなりつつある空を見上げながら、自虐的な笑みを浮かべた。
「女子グループとか、ぜんぜん無理でさ。相手の服を褒めるとかできないし、推し活とか興味ないし」
「たしかに、そういうの無理そうだな」
「でしょ。うちの中学って、先生が生徒を管理しようっていう空気もビシバシ感じてさ。なんか、そういうのに疲れちゃったところで」
沈黙。
父親が亡くなったのか、と言葉の先を推測した。
同時に、ねこが学校に行かないのではなく、行けないのだということも理解する。
なにかが「できない」という気持ちは痛いほどわかる。したくてもできない。するべきなのにできない。
雅親は、そうやって苦しんできたのだから。
「そっか。ねこは、ちゃんと学校に行けないんだな」
「なに? ちゃんとって」
「ほら。おれもちゃんと休学してるし」
「そうだった。好きな人にふられてね」
「ほっといてくれ」
ふたりで小さく笑いあう。
あれだけ苦しめられた思い出だったのに、いつの間にか笑うことができていた。
「よし。いってみようか」
明るさは十分だろう。
「いまはあけぼの?」
「の終わりぐらいかな。日が出る前に、早めに撮っていこう」
ベンチから立ち上がり、スマホのカメラを起動する。
色とりどりの花、ゆれるブランコ、流れる雲、コイの泳ぐ池などを撮影していく。
「こんなもんか」
はたして春っぽい映像になるだろうか。
桜でもあれば、わかりやすいのだろうが、もちろんだいぶ前に散っている。
「三十秒ぐらいになる?」
「なると思う。いい音楽をつけると、それなりに見えるんだ」
「あ、太陽が出てきたよ。これで締めてみたら?」
東にある住宅の上から、ゆっくりと日が昇ってきた。
「あけぼの時間の終わりって感じだね」
ねこの言葉に「あけぼの時間ってなんだ?」と笑いつつ、撮影を開始する。
「でもたぶん、あけぼのじゃない時間が始まるのかもな」
「ブンガクテキだね」
やっぱり、春っぽさをテーマにするのはやめよう。
雅親はそう思いながら、撮影を終えた。
ノートパソコンの画面を、家のテレビに出力する。
雅親が作った映像を、ねこ、里美、鳴門の三人で鑑賞していた。
たしかに、いい音楽を合わせるとそれなりに見える。
うまい映像かどうかはわからないが、雅親の編集スキルも向上しているようで、違和感なく見ることができた。
鳴門は、ソファのうえで「おお」とか「いいね」とか言いながら見ている。
映像も最後の方にさしかかったところで、鳴門が「あっ」と、より大きなリアクションをした。
思わず、ねこも声をだしてしまった。
「わたし?」
映像の最後は、ゆっくりと登ってくる太陽と、それを見ているねこの後ろ姿で締められていた。
雅親の「あけぼのじゃない時間が始まるのかもな」という言葉を思い出す。
「やるじゃん。マサチカくん」
胸のあたりが、じわりと暖かくなる。
と思っていたら、最後の最後で画面が回転して消えていき、「Fin」の文字が現れた。
先日、菊乃と一緒にダサいダサいと言っていた演出で、つい吹き出しそうになってしまった。内輪ネタもいいところだ。
「いや、すばらしかったよ!」
鳴門の声に振り向くと、感動の涙で頬を濡らしていた。
「これを羽黒さんが作ったんだね!」
「はい」
満面の笑みでウソをつく。
「亡くなったお父さまも自慢に思うと思うよ。自分が残した機材で、こんなに立派な作品を作ってもらえるなんて」
「ありがとうございます。でも先生」
「なんだい?」
笑顔を維持したまま、ねこは続けた。
「人の家庭を感動ポルノにして消費するのやめてもらえますか」
「え?」
「それとわたし、映像作成に忙しいので家庭訪問もしばらくやめてください。向こう一年ぐらいでいいので」
「え、でも、一年後だとまたクラス替えがあるけど」
「そうですか。じゃあ、先生と会うのは今日が最後ですね。残念です」
しょんぼりとしながら去っていく鳴門を玄関で見送ると、里美がニヤニヤしながら肘でねこを小突いた。
「ズバッと言ったわね」
ねこは口をとがらせて反撃する。
「さとさんが悪いんだよ。変なこと言い出すからさ。先生をうちらで振り回してたようなもんじゃん」
「たしかに」
里美は言いながら、冷蔵庫からハイボールの缶を取り出した。
ねこはその缶をなめらかな動作で奪い取ると、また冷蔵庫に戻して扉を閉めた。
「それと、お酒は週に一回にして。マサチカくんの休みが合うなら誘ってもよし。ただし、二日酔いになるほど飲まない、飲ませない」
「はい、ママ」
「ママはさとさんでしょ」
パソコンを片づけるためにリビングに戻ろうとすると、後ろから「ねえ」と里美に呼び止められた。
「さっきの映像よかったじゃない。もう一回、見せてよ」
「んー? ダメ」
「なんでよ?」
ねこは「あれはね」と言いながら、自分のほっぺたを指差し、にやりと笑ってみせた。
「わたし宛だから」
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