第3話 ちゃんと戦ってんじゃん
スーパーくまおかの店長である熊岡薫は、薫という名前から連想されるであろう姿からは、だいぶ見た目に乖離がある。
三十代後半の男性で、身長は雅親と同じで平均よりも高く、だが、身体の厚みは雅親の倍ほどもある。
若い頃に柔道をやっていたために筋肉がついていて、いまでは、そのうえに脂肪がのり、さらにはあごヒゲを生やしているので、まさしく「熊」という印象だった。
身体は大きくて強面だが、性格はおだやかで人柄もよいので、従業員からの信頼も、常連客からの人気も高い。
くま店長、が彼の呼び名となっていた。
「雅親くん。なんか、すっごい眠そうだね」
「うう、すいません」
ねこと作った初動画を投稿したのは昨日のこと。
視聴回数が気になりすぎたのか、夜中に何度も目を覚まし、そのたびにスマホで管理者画面を確認してしまった。
おかげで寝不足のまま、早朝番をするハメになっている。
スーパーくまおかは、熊岡が個人経営しているスーパーマーケットだ。両親から引き継いだそうで、チェーン経営のライバル店に負けずに、いまも残れているのは、昔からの顧客に応援してもらっているからだった。
地域住民とのネットワークづくりの一環として、くまおかでは配達事業もおこなっている。
近所の高齢者や障害のある人、小さな子供がいて、なかなか買い物に行きづらいご家庭などを中心に利用してもらっていた。
配達する商品を、発注書を確認しながらピッキングしていくのが早朝番の役割だ。
ピッキングを終えた商品は、熊岡みずからが車でお客さんの家を回って配達していく。
以前は呼び鈴を押してお客さんと顔を合わせていたらしいが、寝ついたばかりの赤ちゃんを起こしてしまったことがあったそうで、それ以来、折りたたみコンテナ、略してオリコンを玄関ドアの前に置いておくスタイルに変更していた。
この細かい気配りが熊岡らしさだ。
「じゃあ、行ってくるね。開店準備よろしく。眠いだろうけどがんばって」
「すいません。お気をつけて」
店の前につけた車にオリコンを積み終わると、熊岡はエンジンのかかった車をゆっくりと発進させた。すぐに曲がり角で右折し、見えなくなってしまった。
寝不足は自業自得なのに気を使われてしまった。すこし情けない。
と思いながらも、スマホを取り出して視聴回数を確認する。
「あっ! 一回、見られてる!」
管理者画面の視聴回数が0から1にカウントアップしていた。
だれかが見てくれた。
その嬉しさに、たちまち眠気が吹き飛んだ。
昼過ぎになって、ねこが夕飯の買い物にやってきた。
「あ。それ、たぶんわたし」
雅親のがっかりした様子に、ねこが申し訳なさそうな顔になった。
「ごめん。ちゃんと再生できるのか心配になったんだよね」
ということは、ねこも、なかなか視聴されないことでジリジリとしていたのだろう。
「まあ、焦らずいくしかないよな」
そう言って自分を慰めていると、エプロンをつけた遅番の丸山が事務所から出てきた。
「お待たせ、雅親くん。レジ替わるわ」
「はい」
「動画の方はどう?」
「昨日、初投稿しました。まだ見られてはいないですけど」
「そう。もしよければ、チャンネル教えてもらえないかしら」
「いいですよ」
「え? ちょっと」
雅親の返事にねこが動揺する。
それを察した丸山が、安心させるように言う。
「勝手に広めたりしないから大丈夫よ。身バレ怖いものね」
たしかに、ねこちゃん博士が羽黒ねこだと知っている人が増えるのはよくない気がする。
たくさんの人に見られるために作っているのだし、その中には、もしかしたらねこに危害を加えようと考える人物もいるかもしれない。
ゲーム実況について話す際は、もっと慎重になろうと決めた。
しかし――。
「丸山さん、なんか詳しいですね」
チャンネルとか身バレとか、興味がないと出てこないような発言だ。
「だってわたし、前はおもちゃ会社勤務だったもの。開発やってたから、動画とかも知らないわけじゃないの」
「え、そうなんですか!」
目の前のエプロン姿の丸山と、開発をしていたという丸山が頭の中で紐づかない。
「激務で身体壊して辞めちゃったけどね。ふふ。ただのおばさんだと思ってたでしょ」
図星を突かれたので、「いやあ」と、ぼんやり答えるにとどめておいた。
丸山がねこに尋ねる。
「ねこちゃん、SNSはやらないの?」
「あまり好きじゃないんですよ。炎上とかあるんで」
「そうなんだ。たしかにフォロワーを増やすのも簡単じゃないし、言っといてなんだけど、動画に集中した方がいいかもね」
プロのクリエイターだった人物の発言だと思うと、なんだか頼もしい。
ねこは「そうします」と素直にうなずくと、雅親に視線を向けた。
「マサチカくん、夕方からウチこれる?」
「いけるけど、なんでだ?」
「編集おぼえたいって言ってたでしょ。さとさんがいるときなら、ウチ使っていいってさ」
「それは助かる」
カラオケの使い勝手はいいが、どうしてもお金がかかる。
編集や打ち合わせなどであれば、羽黒家で済ませられるのは大変ありがたい。
「じゃあ、あとでね」
そう言うと、ねこは買い物袋を片手に出ていった。
「楽しそうね。やっぱり、わたしも動画づくりやってみようかな」
「ぜひぜひ。丸山さんはどんなのやるんですか?」
丸山が「そうねえ」と、すこし首をかしげて考える。
「元おもちゃメーカーの経験を活かして、紹介系かしら?」
「面白そうですね」
「ね」
いちど家に帰り、自分のノートパソコンを持って羽黒家にやってきた。
呼び鈴を押すと、しばらくしてねこが玄関のドアを開けてくれた。
「いらっしゃい。今日はハンバーグだよ」
「は? いや、昨日もご馳走になったのに、今日もいただくわけにいかないだろ」
言いながら、靴を脱いで部屋にあがる。
玄関はすぐに台所につながっていて、中央に置かれているテーブルには里美の姿があった。
「食べていきなさい。どうせ、コンビニばっかりなんでしょ」
「う、はい」
編集を教わりにきたのに、いきなり夕飯に招かれてしまった。
「さとさん、マサチカくんに飲ませちゃダメだからね。このあと、編集のレクチャーするんだから」
見ると、里美が赤ワインをボトルからグラスに注いでいた。
「はいはい。これはわたしが飲むやつだから」
「飲みすぎもダメだし」
「はいはい」
ねこはコンロの前に移動すると、フライパンを覗きながら焼け具合をチェックした。
「マサチカくん、チーズのせる?」
「あ、うん。たのむ」
「おっけー」
冷蔵庫からスライスチーズを取り出し、手早くハンバーグに乗せていく。
フライパンにふたをするのは、チーズを溶かすためだろうか。
「ねこ、料理できるんだな」
「練習中だけどね。昨日のカレーもわたしが作ったやつだよ」
「そうなのか」
雅親は料理というものとは無縁の生活を送っていた。これは趣味アレルギーとは関係なく、単純に覚える機会がなかっただけだ。
「ねこは、いろんなことができるんだな。編集とか、料理とか」と、なんだか感心してしまった。
「なにそれ? お皿並べてもらっていい? そこの棚にあるから」
「おう」
ねこと比べると、自分はなにもできないな、とすこし落ち込んだが、すぐにこれから身に着けていけばいいと思い直した。
まずは編集からだ。
ねこが作ったハンバーグは、多少、焦げ気味なところがありつつも、とてもおいしかった。
「ごちそうさまでした」
三人で唱和すると、里美が「洗い物するから、編集っていうやつ、やってていいわよ」と言ってくれた。
「ありがと。マサチカくん、リビングいこうか」
ふたりでソファのある部屋へ移動する。
横並びに座り、編集教室の開催となった。
「パソコン貸して。まず、編集ソフトをインストールするね。その前にWiFiか」
ねこは雅親のノートパソコンの電源を入れると、慣れた手つきで操作していく。
「わたしが使ってるのはフリーの編集ソフトだから、同じの入れるよ」
「有料のものとどう違うんだ?」
「機能の多さかな? 画像とか音楽とかの素材がついてきたりもするみたい。でも、フリーのやつでも普通に使えるよ」
昨日、投稿した動画だって十分面白かったのだから、ねこの言う通りなのだろう。
「細かい使い方については検索してもらうとして、基本操作だけ教えるね」
「はい、博士」
「お、助手くんだ」
ふたりでねこちゃん博士ごっこをしながら進めていく。
「これが編集ソフトだよ」
デスクトップに、新しいアイコンができている。
ねこがそれをダブルクリックすると、馴染みのない画面が表示された。
大きく上下に別れていて、上の方は真っ黒。下の方には横長の線がいくつも走っている。
アレルギーが発動するかと、すこし身構えたが、脳が趣味の範疇だと認識しなかったようで問題なかった。
「博士、なにがなんだかわかりません」
「ざっくり説明しよう。上の方がプレビュー画面。編集中の動画を確認するところ。下の方がタイムライン。編集作業をするところだよ」
タイムラインと言われた方は、左から右に向かって時間のメモリがついていた。
「キャプチャーソフトで撮影すると動画ファイルができあがるから、こんな感じでマウスでつかんで編集ソフトに放り込む」
いつの間にか用意されていた動画ファイルが、編集ソフトに取り込まれる。
するとタイムラインに横長のバーが表示され、同時に、プレビュー画面に映像のいち場面があらわれた。
「あれ? これって昨日、撮影したやつじゃないですか?」
「そのとおり! 本物を見た方がわかりやすいと思ったのだよ!」
「さすがです、博士!」
「なにやってんの?」
いつの間にか里美がリビングにいた。どうやら、コーヒーを持ってきてくれたらしい。
ふたりで赤面して押し黙る。
「ええと」
里美が洗い物に戻ったので、コーヒーをひと口ずつ飲んでから仕切りなおす。
「タイムラインに入れましたと」
「おう」
「ここからここまでをカットしたいと思ったら、こうやってチョンチョンと切って間を削除。これでカットできた」
「へえ。意外と簡単だな」
なんとなく、もっと専門性が高くて難しい作業なのだと思っていた。
「でしょ。動画以外の画像とかBGMなんかも、このタイムラインで操作するよ。あと音楽だけど、ゲームの音そのものじゃなくてフリーのBGMを使ってる」
「そういえばそうだな。あれはなんでだ?」
「たとえばゲーム会社の人が、このゲームのサントラを発売したいと思った。でも、わたしたちの動画で、その音楽がいつでも聞けちゃう状態だと売上に影響するかもしれないでしょ」
「なるほど」
「それに、著作権フリーのBGMを作ってくれてる人もたくさんいて、そういう作品を使わせてもらうことで、その人たちにもいいことがある。ほら、ちゃんとクレジットも入れてるよ」
ねこが、投稿した動画の詳細欄を開いて見せてくれた。
そこには、たしかに「こちらの楽曲を使わせてもらっています」とリンクが貼ってあった。
「これはそういう意味だったのか。なんだろうと思ってた」
「いろいろと考えているのだよ」
ふふん、と自慢げにねこが言う。
「うん。感心した。動画作成って、物を作ってる人達が連携しあってるんだな」
「できてない人もいるけどね。じゃあ、ファイル置いとくから、家で練習してみて。三分ぐらい作ったら見せてね。非公開でアップしてもらえれば、こっちで再生できるから。でも寝不足はダメだからね!」
「はい、博士!」
「わかればよろしい!」
ねこが、撮影した動画ファイルや、ダウンロードしたフリーBGMをデスクトップのフォルダに入れてくれる。
その作業を眺めながら問いかけた。
「ねこは、こういうのをどこで覚えたんだ?」
「ん?」
「動画作成やってたわけじゃないんだろ? そのわりには詳しいよな」
「ええとね……」
すこし言いづらそうな間があってから、ねこが続けた。
「リョウタくんのSNSで覚えた。チャンネルづくりのところから、細かく投稿してくれてたから、すごく参考になったんだ」
「俺も見ていいかな? 勉強したいし」
「ダメ! ぜったいダメ!」
思った以上に強く拒絶されて、雅親はすこし驚いた。
ねこが取り繕うように続ける。
「だって、身内が投稿したものって恥ずかしくない? しかも、見られると思ってもいなかったやつだよ」
「まあ、それはそうか」
たしかに、ひと様の日記みたいなものだし、無理に見せてもらうようなものでもないだろう。ましてや、故人のものなのだから、失礼なお願いだった気もしてきた。
「わたしにも見せてくれないの。まさか、悪口が書いてあったりしないでしょうね」
洗い物が終わったらしく、里美がリビングに現れた。
手には自分の分のコーヒーを持っている。
「ないない。そういうのはないよ」
ねこが苦笑気味に否定する。
編集のレクチャーを受けたし、宿題までもらったので、そろそろお暇する頃合いだろう。
「じゃあ、今日は帰ってすこし編集してみるよ。ハンバーグとコーヒー、ごちそうさまでした」
ねこと里美、それぞれに向かって礼を言う。
「ちゃんと寝てね」
「次はまたお酒つきあってね」
「はい」
雅親はノートパソコンをショルダーバッグにしまうと、羽黒家をあとにした。
***
ねこが、前に立つ客を睨みつけている。
へたに目線をやるわけにもいかず、雅親はクレームを受けながらも、そっちの方にヒヤヒヤしていた。
「だからさ! 最初に買ったときは割引価格だったわけだろ? 買いなおしたら割引じゃないってのはどういうことだよ!」
レジに並ぶねこの前には、スーツを着た若いサラリーマン風の男性が立っている。
その男性は先週、割引セールをやっていたシャンプーを購入した。レシートを持っていたので、それは間違いない。
だが家に帰ってみると、妻に「買ってきてほしいのは、このシャンプーじゃなかった」と言われたらしい。そのことで喧嘩にもなったらしい。
一週間、放置したうえで、今日になって返品と交換を申し出てきたのだが、すでにシャンプーの割引セールは終わっている。
妻との喧嘩でストレスの溜まっていた男性は、そこに発火点を見出したらしく、「なぜ、買ったときは割引だったのに、交換したら割引にならないのか」と主張しはじめたわけだ。
完全な言いがかりなのだが、スーパーで働いていると、一定数、理屈の通らないお客さんと遭遇することに雅親は気づいていた。
「申し訳ございませんが、セールはもう終了していますので」
同じ説明を繰り返す。
クレーム対応の機微は難しいものだが、今回の客は熊岡の「店員を見下す客は客ではない」の方針に当て嵌まると判断した。
正直、現場判断ということで、割引価格で交換対応することも可能だが、今回については相手の態度が悪すぎるので、「絶対にするものか」と心に決めている。
丸山が事務所から顔をのぞかせて、「いいぞ! もっとやれ!」とハンドサインを送ってくれていた。
だが、もう一方では、クレーム客を睨みつけるねこの姿が見えていて、そちらにはヒヤヒヤさせられているわけだ。
「だからおまえさ!」
客がヒートアップしてきた。
「なあ」
その後ろから声がかかる。
そちらに目をやると、ショートカットの髪の毛を、あざやかな金色に染めた女性が立っていた。
「ぅお」
雅親が小さくつぶやく。
カラシ色のフードつきパーカーに、だぼっとしたホワイトのカーゴパンツ。
右耳にシンプルなリング状のシルバーピアスをつけていて、髪の毛が短いこともあり、全体的にボーイッシュな雰囲気をかもし出していた。
「あんた超ダセえよ。昼間っから人前で大声だしてさ」
「なんだ、おまえ! 関係ないやつがでてくんな!」
「関係なくないね。人が怒鳴られてるところを見せられるなんて気分悪いだろ? 間違って買った方が悪いんだし、そろそろ終わりにして出てってくんないかな」
「な……ん」
クレーム客の顔が真っ赤になる。
人前で、しかも高校生ぐらいの女の子に言い負かされていることが、よほど悔しいらしい。
さらになにかを言おうとしたところで、ズシンと巨大な影が出現した。
「お客さま。まだお話があるようでしたら、裏でお聞きしましょうか」
満面の笑顔で丁寧な接客。
ただし、見上げるような巨躯の持ち主である熊岡は、顔色が赤から青に変わった客を連れて事務所へと消えていった。
「これで一件落着と」
雅親は熊岡の背中を見送ると、次の一件に手を付けた。
同じように、店長の背中を見ながら「でけー」と言っている女性に声をかける。
「で、おまえはなにしにきたんだ?」
「うん。そろそろ昼休憩っしょ? ちょっとカオ貸してよ、アニキ」
妹の卯野菊乃は、高校三年生の十八歳だ。
雅親の実家は、東京から特急で二時間ほど行った、山に囲まれた地域にある。
菊乃がたまにこちらに出てきて遊んでいるとは聞いていたが、直接、雅親に会いに来るのは初めてのことだった。
「いや、知り合いと約束してたんだけど、急ぎの用事ができちゃったらしくてさ」
さくら公園のベンチに座って事情を聴取する。
隣のベンチでは、ねこが聞き耳を立てているのがわかった。好奇心が過ぎるので、あとで注意しておこう。
「ホテル代もったいないから、今夜泊めてよ」
ねこが興味津々な顔になった。
スーパーでの「アニキ」というひと言を聞いていなかったらしい。どういう想像をしているのかが手に取るようにわかる。
「まだ昼だから帰ればいいだろ?」
「たまには外の空気吸いたいじゃん。で、この子だれ?」
菊乃が隣のベンチを親指で示し、ねこがビクッと驚く。
スーパーからあとをつけてきた時点で、バレバレだったのだ。
「ああ、うん。友達?」
「いやいや、アニキ」
菊乃はベンチから立ち上がると、雅親の肩に優しく手を置き、諭すような口調になった。
「それはヤバいって。いくらなんでも子どもすぎるって」
「違うっつに!」
「アニキ?」
ねこは、ようやく正しい認識を持ったようだ。
「なんだ。てっきりマサチカくんをふった人かと思った。あ」
ねこの失言を聞いた菊乃の顔が輝く。
「え、なにその話! 面白そうじゃん!」
「個人情報!」
丸山といい、ねこといい、他人事だと思って気軽に情報を漏らしてくれる。
それぞれの自己紹介が済むと、菊乃がねこに話しかけた。
「ねこっちさ、アニキといても面白くないっしょ? 趣味アレルギーで、昔から友達できなかったもんな」
「おい……」
「そんなことないし!」
雅親がなにか言う前に、ねこが声を荒げる。
「わたしとマサチカくん、ゲーム実況やってるから!」
ねこを守るために、あまり活動のことは言わないでおこうと思っていたのに、ねこ自らが口にしていた。
「まじで? あのアニキが?」
ねこは菊乃から視線を逸らすと、雅親にビシッと指を向けて勢いよく言った。
「そう! マサチカくん! 作ってもらった試作品! 言いたいことあるから、バイト終わったら時間ちょうだい!」
「お、おう」
編集のやり方を教えてもらってから、二日ぐらいかけて作った試作品のことだ。
自分では、まあまあ、うまくできたんじゃないかと思っていたが、ねこの口調からするとダメ出しの余地があったようだ。
「ねこの家でいいか?」
「あ。今日は、さとさんいないんだった」
「じゃあ、また公園に集合かな。でも日が落ちたら寒いか」
「アニキの部屋でやればよくね?」
菊乃が口をはさむ。
雅親は、言い聞かせるような口調で菊乃に説明した。
「ねこのお母さんの信用を失いたくないんだ」
「うん。だから、わたしがいればいいっしょ?」
なるほどと、ねこと顔を見合わせる。
「カギ貸してよ。先に帰ってるからさ。アニキはバイトに戻んな」
まんまと菊乃を泊める流れになったような気はするが、利用できるものは利用させてもらおうと、雅親は素直に鍵を手渡した。
もちろん、こちらが利用されている可能性もなくはない。
ねこが、おそるおそる雅親の部屋にあがる。
「おじゃましま、す」
「あがんなあがんな。遠慮せず」
「おまえは、もうすこし遠慮するべきだ」
菊乃は、部屋の真ん中に寝っ転がって漫画を読んでいた。もちろん、雅親のものではない。駅前の本屋で買ってきたらしい。
バイトが終わったあと、雅親はくまおかの駐輪場でねこと合流し、アパートへとやってきた。
ねこは、あまり他の人の家にあがったことがないらしく、お作法がわからないと言っていたが、菊乃の傍若無人な振る舞いを見て、多少は安心したようだ。
「ほんとに、なにもないんだね」
ねこが部屋の中をみまわす。
作業机がわりの折りたたみテーブルを出し、ひとつしかない座布団はねこに使ってもらった。
だが、ねこが言ったのは、この部屋には娯楽のたぐいがなにもない、という意味だ。
「でしょ。実家の部屋もこんな感じ。はい、読んでみて」
菊乃が雅親に漫画を手渡す。
雅親は、こわごわとページを開いてみた。
「う、ぉえ」
流しに駆け寄る雅親の背後で、二人が会話を続ける。
「あんなんで、ほんとにゲーム実況なんて作ってんの?」
「ほんとだよ。マサチカくんが編集したやつ、見てみる?」
「見る見る」
雅親が水を飲んで落ち着く頃には、ねこのノートパソコンが立ち上がり、ふたりで雅親が試作した動画を見ていた。
「うーん」
菊乃が、だんだんと渋い顔になっていく。
三分ちょっとの動画が終わり、「どうだった?」とねこが菊乃に感想を求めた。
雅親はなんとなく正座で待機する。
なるほど。たしかに、自分が作ったものを人に見られるのは、そわそわとした気分になって落ち着かない。
ねこが、最初に作った動画を雅親に見せたときの気持ちがよくわかった。
「シーンの切り替えになぜ画面回転を多用する? しかも、上から飛んできたり、右から飛んできたりと使い方バラバラだし」
「いや、かっこいいと思って」
反論してみるが無視された。
女子ふたりによる評価がつづく。
「音楽の選択が悪いよね。なんで、きれい系な曲にしちゃったんだろ」
「ねこっちがテンション高めなんだから、ポップな選曲がいいよな。しかも、ここで展開が変わってるのに、曲は変えないんだ」
「あ、傷ついてる」
雅親は正座から体育座りへと移行していた。
「つまり、俺の編集はダメだってことだよな」
「まあ、センスないよな」
「お菊ちゃん。もうちょっと手加減」
さすがに悪いと思ったのか、ねこがフォローにまわる。
「でも、いんじゃね?」
菊乃は画面から目を離し、雅親に向きなおった。
「いままで、マンガも映画もアニメもゲームもやってこなかったやつが、はじめて作ったんだからさ。形にできたことに価値があるよ」
落として上げる技術。我が妹ながら恐ろしいと思いつつ、ちょっと慰められてしまった。
体育座りからあぐらへ移行する。
「お菊ちゃんは趣味アレルギーにならなかったの?」
「こいつは、父親になにか言われるたびに反発してたから」
親指で菊乃を示す。
菊乃は、なぜか腰に手を当て自慢げな表情だった。
「グ、グレたの?」
ねこが、ちらりと菊乃の金髪に視線を向ける。
雅親は「いや」と手を振って否定した。
「成績は常に学年上位で、苦手だった運動も血の滲むような努力で克服。父親になにか言わせる隙を与えない、という反発をしていた」
ちなみに、ソフトボール部から勧誘された際には「家に帰ってドラマ見たいし」という理由で断っていた。昔から筋金入りの自由人だったのだ。
「すげー」
ねこが感嘆の声をあげる。
「菊乃からしたら、俺なんて不甲斐ない兄貴だよな」
自虐気味な発言に、菊乃は「まあね」と乗ってきた。
「そんな不甲斐ないアニキは、もう遅いから、ねこっちを送ってあげなよ」
ああ、と答えてから思い出した。
「そういえば布団ないけど」
「大丈夫。寝袋もってきたから。最近、登山ハマってんだよね」
見ると、部屋の隅に大きなバッグが転がっていた。
昼間は駅のロッカーにでも預けていたのだろう。
「ばいたりてぃー、すごいね」
ねこが、また感心していた。
雅親とねこが部屋から出ていくと、菊乃は畳の上に寝転がってスマホで動画を再生した。
さっき、ねこに教えてもらった、ねこちゃん博士ちゃんねるの初投稿動画だ。
「博士! 右から攻撃きます!」
「そっちはまかせた助手くん!」
「丸投げが早すぎます!」
軽快なやりとりに思わず、あはは、と笑ってしまう。
卯野家の父親は、自分の意に沿わないことは許容しない人間だった。
それは子供に対してもそうで、漫画やアニメなどはいっさい許さず、学校の成績は上位でなければ叱責し、父親にとって価値のある人間になることを要求してきた。
菊乃は早々に父親のことなど切り捨ててしまったが、雅親はそれができず、常に傷つけられているのを横で見ていた。
「なんで、いつも言われっぱなしなんだろって思ってたけどさ」
よっ、と身体を起こす。
スマホからは、ふたりの楽しそうな声が流れ続けている。
「ちゃんと戦ってんじゃん。心配することなかったかな」
動画アプリを閉じて、代わりにメッセージアプリを立ち上げる。
「やっぱ帰るわ。寝袋おかせといて」
それだけ送信すると、菊乃は兄の部屋をあとにした。
「ほんとに、なにしにきたんだ?」という返信は既読スルーしておいた。
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