第1話 騙す者達

 夜のとばりが落ち、街を走る車や家々が煌々と光を放つ。


 道沿いに巨大で色鮮やかな看板が立ち並び、ロッククラブやショットバーで多くの若者がナイトライフを楽しんでいる。

 自由を象徴する国の一角、ロサンゼルスという街のいつもの風景だ。


 だが、その喧騒を切り裂くかのように、黒塗りの高級車が若者達の合間を縫って走る。

 窓がスモークガラスになっていて中が見えず、近づきがたい雰囲気を醸し出していた。


 そして、その車はこの区域では随一の高級ホテルの前に停車する。

 ホテルの自動ドアが開き、黒服の男達が数人現れた。


 一番端にいる男が後部座席のドアを開き、周りの男達が「いってらっしゃいませ」と深く礼をする。

 そして、中央にいる男が煙草を咥えながら、高級車に乗り込んだ。


「————ボス、どちらまで?」


「さっきも言っただろうマルザハール。38番街だ」


「すみませんボス」


 マルザハールと呼ばれた運転手の男は、車のギアを入れて発進する。

 後部座席に座るボスは、咥え煙草を一息で吸い上げると、どっしりとシートにもたれかかって虚空に吐き出した。

 そして、にやりと口角の片方を持ち上げる。


「今日は例のとの取引になる」


「あいつら……ですか」


「そう、ビッグビジネスの予感だぜ」


 マルザハールも心当たりがあるかのように、大きく頷く。

 サウスロサンゼルスの一部を取り仕切るギャングのボスとしても、こんなにも陽気な気分で前のめりになるのは久しぶりだった。

 それほど大きなヤマだということは間違いない。


「ロサンゼルスの裏社会じゃ、知らない奴はいねえ————あの詐欺グループだ」



 *



 時を同じくして、38番街。


 先ほどの繁華街とは打って変わり、重苦しい暗闇が街を包んでいる。

 道にはゴミが散乱しており、鳴り止まないサイレンがこの区域の治安を如実に表していた。


「待てごらあ!」


 より闇が深くなる細い路地裏。

 表通りより荒れていて、ジメジメと陰気な雰囲気が漂っている。

 誰も通りたがらないその場所に、野太い怒号が響いていた。


「ハァ……ハァ……フッ……!」


 怒りの満ちた声の先には、右手にスタッシュケースを持ったグレーのパーカーの女。

 倒れたゴミ箱や室外機が道を塞ぐ中、軽い身のこなしで路地裏を走っていく。

 声を上げながら後に続くのは、この辺りを根城としているストリートギャングだ。

 しかし、ガタイの大きい男達では、この道をノンストップで走るのは至難の業だった。


 女は見事な動きで徐々に荒くれ者達との差を広げる。

 だが、その逃走劇は突如終わりを迎えた。


「しめたぜ! 行き止まりだ!」


 女が曲がり角を曲がると、その先に道は繋がっていなかった。

 どうやら、袋小路に追い詰められていたのである。


 その先にはどうしても進めないことを悟った女は、追いかけてきたギャング達の方に振り返る。


「てめえ……それは俺達のもんだ。勝手に盗みやがってこのクソアマ————」


「まあ待て」


 ギャングの一人が手を挙げようとしたが、それを前にいる別の男が制止した。

 そして、体の小さい女の方を見て下品な笑みを浮かべる。


「この街じゃ、盗まれた方が悪りぃ……だがな」


 その男はパーカーの女にゆっくりと近づいていく。

 か弱い女を袋小路に追い詰めたことで、男達に余裕が生まれていた。


「盗む相手を間違えちまったようだな。俺達は今、依頼品を盗まれて気が立ってやがる。このまま手ぶらでウェスト・ゲートまで行けば、明日にはLAの汚ねえ海ん中で魚の話し相手になってるところだ……まさか謝って済むとは思ってねえよな」


 すると、ぞろぞろと他のギャング達が合流してきた。

 屈強な男達に囲まれたパーカーの女は、より一層小さく見える。


「大人しく————」


 男が女の腕を掴もうとした瞬間————


 その腕が一瞬のうちに、方に曲がった。


「え?」


「……人を見かけで判断しちゃいけねえぜ、にいちゃん」


 男の認識を完全に置き去りにした。

 だが数秒固まった後、反射的に溢れ出る油汗と共に男はという事実を自覚する。


「う、うわああああ!」


「こいつ、やりやがった!」


 ギャング達に一気に緊張感が走った。

 あれだけか弱く見えていた目の前の女が、突如として牙を剥いたのだ。


 女はパーカーのフードを取り、ギャング達を見据えた。

 解放された茶髪のポニーテールが揺らめく。

 そして、切れ長のヘーゼルアイが男達を威圧した。


「せっかくだし遊んでやる。どっからでもかかってきな」


 ジーンパンツのポケットに手を入れながら、不適な笑みを浮かべる。

 路地裏を逃げ回っていた先程とは、雰囲気がまるで違っていた。


「な、舐めてんじゃねえぞ……野郎ども! やっちまえ!!」


 彼女の威圧に負けじと声を上げ、ギャング達は一斉に襲いかかる。


 女が構えると同時に集団で最も大柄の男が拳を振り上げた。

 拳が鼻の先まで迫るが、並外れた反射神経でそれをするりと避ける。

 そして、下から鋭い肘鉄が男の顎を砕いた。


 後ろによろけた図体の大きい男を盾にして、一瞬で次のギャングの懐に潜り込む。

 鳩尾に蹴りを入れ、背負い投げの要領でゴミ箱に投げ込んだ。


 ここまででたったの2秒。


「くそっ! なんだこいつ!?」


 束の間に前の二人が倒されたことで、三人目は踏みとどまった。

 だが、相手は丸腰。

 男は笑みを浮かべ、ポケットナイフを取り出して前に突き出した。


「……!」


 突然の凶器を————女は物ともせず受け止めた。

 そして、と、握っていた手のひらが開かれ、気づいた時にはギャングの男の手にナイフは握られていなかった。


「な……っ!?」


 女は奪い取ったナイフの方向を変え、元の持ち主の足を切り裂いた。

 しかし休む間もなく、ナイフを構えた男二人が両側から襲いかかってきた。


 その奇襲に対しても動じない。

 女は体を後ろに倒して、双方の刺突を避けた。

 そして、体を捻って回転し、二人の胸を切り裂いたのだった。


 これで五人。

 一連の行動に、男達は誰もついていけなかった。


「な、なんだお前ぇ!?」


 一瞬にして全ての仲間を行動不能にさせられた最後のギャングは慌てふためく。

 焦燥に駆られた男は最後の手段を取った。


 胸の裏ポケットに手を入れ、その中にあるを引き出す。

 そして、女の方に勢いよく向けた————


「は?」


 向けたと思っていたのが。

 男の手に握られていたのは、チョコレート味のプロテインバーであった。


「探し物はこれか?」


 女は笑顔でを男に向けた。

 握られていたのは、男が持っていたはずの拳銃だった。


 いつのまに————と考える暇は男には無く。

 男の意識は寸断された。



 路地裏は途端に静寂に包まれる。


 そこに立っているのは、グレーのパーカーの女一人だけだった。


 女は懐から煙草を取り出して火をつける。

 そしてスタッシュケースを持ち直し、路地裏を進んだ。


 しばらく道なりに進むと、正面から黒塗りの高級車が現れる。

 繁華街から車を走らせてきた、例のギャングのボスが取引場所に到着したのだった。


 先程の路上のちょっとしたワル達とは訳が違う。

 治安の悪いサウスロサンゼルス、その一部のギャングをまとめ上げるギャングの中のギャングだ。


「ご苦労だったな」


 口調は平然を装う。

 だが、両手をポケットから出し、すぐに獲物を引き抜けるように臨戦態勢を取って、女と相対した。

 それだけ警戒するに値する相手だ。


「まさか、ロサンゼルスを賑わすあの詐欺集団『ラウェルナ』が、こんな毛も生え揃ってなさそうな女一人だとはな」


 ボスはジリジリと女の方に近づいていく。


 ここに女一人だけしかいなかったのは予想外だ。

 だが、確かに依頼品はその手にある。

 この場で重要なのはそれだけだ。


「さあ、取引の品を渡してもらおうか」


 ボスは手を前に差し出して、女に催促する。

 ここですぐにケースを手渡せば終わる話なのだが、女はすぐに動く様子がなかった。


「妙な動きをするなよ。この場所はすでに包囲させている。逃げようとしたり、反撃しようとしたら、お前の体が穴あきチーズみてえになるぞ」


 女の動きを不審に思ったボスは、釘を刺しておく。


 ボスの言葉に呼応するかのように、周りから気配がした。

 悪意に満ちた眼差しが、四方八方から纏わりつく。

 獲物を狩るものの舌なめずりの音まで聞こえてくるようだった。


 しばらくの沈黙の後。

 女はスタッシュケースをボスの方に持っていく。


 しかし————渡す直前で、彼女はにやりと笑った。


「!?」


 スタッシュケースは受け取る直前でびっくり箱のように勢いよく開く。

 その箱には花がいっぱいに詰め込まれていた。


「……何のつもりだ?」


「残念ながら、あんたとの取引は無かったんだ」


 スタッシュケースを地面に落とすと、花びらが舞いあがった。

 無論、花びらの奥に約束の品は存在しない。

 取引品がないという事実に、ボスは血相を変えた。


「ふざけるなよこのクソアマ、てめえ自分が今どういう状況なのか分かってんのか?」


「分かってねえのはどっちだろうな。自分の手足がしっかり動いてるかどうかは先に確認するべきだぜ」


 ボスは彼女の発言に怪訝な表情をする。

 その瞬間、ハッと気づき、ポケットから携帯を取り出して電話をかけた。


「おい、てめえら! 今何して————」


 すると、自分の声が何故か女の方から返ってくるのだった。

 女が手にぶら下げていたのは、部下が持っていたはずの連絡用の携帯。


「誘い込まれたねずみは、あんたのほうだ」


 周りの悪意の目線も、笑い声も。

 すべてボスに向けられている。


 それを悟るのに、少しも時間はかからなかった。


「……!!」


 一瞬で危険を察知し、マフィアのボスは脱兎の如くその場から走り去る。


 はめられた……!

 全部奴らの掌の上だったのか……!


 追いかけてくる様子がない女を尻目に、ボスは車に飛び乗る。


「マルザハール!車を出せ!」


 大声ですぐ前の運転席に座るマルザハールに指示する。

 しかし、絶対に聞こえているはずだというのに、マルザハールは何も反応を示さない。

 焦るボスは運転席のシートをガンガン蹴る。


「おい! 何ぼうっとしてやがる! 早く車を————」


 その時、マルザハールはばっと手を挙げて見せた。


「人間誰でも、自分だけは大丈夫だと思っちまうもんだ」


 突然、口調が変わったマルザハールは、振り向いてボスの方を見る。


 なんだ?

 今すぐマルザハールに車を出せと命令したいのに、何も喋れない。


「自分だけは正常だ、騙されねえってな。だがそう思ってる奴ほど、が変わっていることに気づかねえ」


 マルザハールはボスの目の前で指を鳴らす。

 ボスは改めて、の顔を見た。


「マルザ————いや違う! お前誰だ!?」


 運転席に座っていたのは、ボスがよく知っている運転手ではなく————

 謎のだった。

 黒いパンツに黒いシャツ、そして黒いロングコートを羽織り、まるで影そのものかのように黒に包まれている。

 髪をオールバックにして固めており、サングラスの奥からボスを見つめている。


 にでも出てきそうな格好だ。

 だが、ボスにとっては救世主でもなんでもなく、闇から訪れた異端者だった。

 突如として目の前に現れたことも相まって、とてつもなく不気味な男のように思えた。


 俺は確かに、マルザハールと喋っていたはずだ。

 運転していたのもマルザハールだ、それは間違いない。


 でも————気づいたらこいつは別人だった。


「……っ! このっ————」


 ボスは懐から拳銃を取り出して、謎の男に向ける。

 その時、謎の男はまたも手を挙げて見せた。


 すると、引き金にかけた指がぴくりとも動かなくなってしまった。


「な……んで……?」


「言ったじゃねえか? 俺が手を挙げて見せたらそれは『止まれ』の合図だ」


 もちろん、ボスにそんな記憶はない。

 だが、それが当たり前かのように、体が自分の言う通りにならなかった。


 俺は……一体何に騙されていたんだ……?


「その足りてなさそうな頭ん中に入れておくんだな。この世で信じられるのは金とこれと自分自身のみってことだ」


 謎の男は丸いサングラスをかける。

 そして、手元でかちゃかちゃと何かをし始めた。


 それは弾丸を拳銃に詰め込む音。

 ボスにとっての死のカウントダウンでもある。


「もちろん、それがちゃんと、だがな」


 夜の街に銃声が鳴り響いた。

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