第2話【塗り潰す】


カーテンを締め切った部屋は、 昼間でも薄暗い。


あおいは、いつもより温かい布団の中で目を覚ました。

昨日までとは違う目覚めの光景。すぐ横でひいろが蒼の服の裾を掴んで眠っている。幼い子供のようで死ぬ程可愛らしい。


──昨晩のことを思い出す。


───緋から、帰る場所も無く今は都会から外れた山の方で見つけた廃屋を家の代わりにして生活している事を聞いた私は、半ば強引に緋を自分の家に連れて帰ってきた。

周りに家もなく落ち着いた場所に建つ一軒家。

「良かったの…?」

「いいに決まってるわよ。広めの一軒家なのに実質一人暮らしだし。入って」

「…お邪魔します」

殆ど生活感の無い玄関に、緋を招き入れる。

「綺麗な家…」

「私が中学に上がった時だったかしら。親が今後を考えて建てたんだけど、結局その後も転勤になってしまって。せっかく建てたのに勿体ないから、って、今は私だけ取り残されている状態。学校に通うためって名目でね。…学校行かなくなったけど」

蒼は緋を居間へ。

「荷物は適当に置いていいわ。お風呂沸かしてくるから、緋は休んでて」

「あ、うん」

「あと、熱を計っておいて。そこの棚に体温計あるから」

「ん、分かった」

緋の返事を聞くと、蒼は風呂場に向かう。

「…私がいなくなってから、どんな人生を送っていたのかしら」

浴槽を洗いながら、緋の事を考える。

教えてくれるとは言ってくれたものの、聞くのが正直恐ろしい。

昔から臆病で、なかなか心を開かない少女だった。虐めに立ち向かえるような人ではなかったと思う。誰にも逆らえず、そのまま時が流れて今に至るのなら、と、心が締め付けられて苦しくなる。

緋より余程恵まれた環境で育った私が、彼女の心を癒すことができるだろうか。

栓を締めて『お湯張り』のボタンを押し、居間に戻る。

「緋、待たせてごめんなさい」

「……うん」

戸を開けると、緋は畳で横になっていた。

「大丈夫!?」

明らかに元気が無い様子で、心配になって駆け寄る。

「…ごめん……ちょっと疲れてるだけ……」

「熱は?」

蒼は緋の横に転がっている体温計を手に取って表示された数字を見る。

「…38.9度……凄い熱じゃない…」

「……凄い……かな……?」

「馬鹿…。よくこんな状態で路上ライブなんてやろうと思ったわね」

「なんで……かな…。蒼に…会えるような、気がした……から…?」

「……まあ確かに、もし今日のあの時間じゃ無ければ、この再会はありえなかったけど……」

実を言うと、あの公園は毎日通る道というわけじゃない。今日はバイト先の先輩に呼び出され、「次やらかしたらクビな」と言われてきたその帰りで、緋に出会えたのは本当に偶然だった。

「……とりあえず、大人しくしてて。寒かったろうし、喉も乾いてるでしょ」

蒼は立ち上がると、台所まで行きカップにインスタントの紅茶を淹れる。

「蜂蜜レモンティー。飲める?」

「……ありがとう……」

一旦紅茶をテーブルに置くと、緋の肩を支えて体を起こす。

「っ……ありが…と……蒼……私……」

「ごめん、優しくされるの、慣れてないんだったわね」

「…ぐ…すっ……ぁ……あったかい……ぃ!!」

「泣いてもいいわ。…泣いていい。好きなだけ泣いて、緋。私がいるから」

優しく抱き締める。

「貴女はもう独りじゃないわ。どれだけ世界が残酷でも、私だけは貴女の味方だから。私には甘えていいのよ。どれだけでも甘えて」

あのとき守れなかったものは、傷付いてボロボロになってしまっていたけど、砕け散って消えてしまった訳では無い。ならば、私はそれを超えて、その傷を埋められる存在になりたい。

「……ん」

「お風呂は入れる?着替えは私のを貸すから」

「…うん」

「一緒に入りましょ。洗ってあげるわ」

「一緒に…入るの…?」

「嫌だった?…ごめんなさい、そうよね、いきなり恥ずかしいわよね」

「いや……別に……嫌とかじゃない。ただ聞き返しただけ」

「そう?ならいいけど」

しばらくゆっくり過ごしていると、音楽と共に『お風呂が湧きました』と音声が流れる。

「行くわよ」

「…うん」

蒼は緋を連れて脱衣所へ向かう。

「ぁ…蒼、ごめ……」

「緋…!?」

脱衣所のすぐ手前で、緋がふらりとまるで糸の切れた操り人形の様に力無くその場に崩れ落ちる。それに咄嗟に手を伸ばして抱き寄せる。

「………ごめんなさい。辛いわよね、熱もあるのに…今日はもう寝ましょう?無理しなくていいわ」

「ううん……今のはごめん。ほんの少しだけ力が入らなくなっただけ……お風呂には入る」

「無理しなくていいから……」

「無理はしてない……ここ3日くらいお風呂行ってないから……。…汚れたままの体で蒼の傍に居続けるわけにはいかない……」

「私に気なんて使わなくてもいいのよ」

「私が嫌なの…」

「…分かったわ。ただし、本当に酷い時は言うのよ。いいわね?」

「うん。…ありがとう、こんなわがまま聞いてくれて」

「甘えていいって言ったのは私だもの」

脱衣所へ入り、服を脱いでいく。

「………」

重たい生地が減るにつれて、緋の本来の体のシルエットに近づいていく。

「……あの………見すぎ……」

「あ……ごめんなさい…」

「……見てもいいけど、あんまり見られたくない。……傷だらけだから」

「傷だらけ…?………ぁ……」

思わず絶句してしまう。

Tシャツを脱いだ緋の体には、あちこちに打撲や火傷、裂傷の痕が散りばめられていた。

「緋………」

「………醜いよね、ごめん」

「ッ」

思わず緋を抱きしめてしまう。肌と肌が触れる。緋の熱が直接伝わって熱い。

「私が守るわ」

「…蒼……」

「何があっても。もう二度と貴女から離れない。私が貴女を守るから」

「……。…ありがとう、蒼」

その後、2人は風呂場へ。体を洗い、十分温まってから湯船から上がる。

「蒼……」

「なに?」

「…悪いんだけど、これ小さすぎて……どう頑張っても入らない」

「……………」

自分の胸と見比べて思う。

おかしいわね…。それは私の家にある中で1番大きいサイズなんだけど…。それも調子乗って買ったはいいもののやっぱり大きすぎてスカスカだったやつなのに……。

仕方なくこれだけはさっきまで着ていたもので我慢してもらう。

「…これも正直キツくなってきた」

「………」

明日、もし緋の熱が下がっていれば服屋に行こうと胸に誓った。

髪を乾かし、水分を取らせて、早いところ休ませようと緋を2階にある蒼の部屋まで連れていく。

部屋は質素で、あまり物が置かれていない。そんな部屋で、隅の方ではなく絨毯のすぐ横の手に取りやすい位置に置かれたベースが存在感を放っている。

「…蒼のベース…?」

「そうよ」

蒼はベッドに緋を寝かせながら答える。

「…結構いいやつじゃん…」

「フェンダーのジャズベース。緋のギターもフェンダーだったわよね」

「…ストラトキャスター……」

「何でそれにしたのか覚えてる?」

「…一目惚れ……」

「一緒。最初は音の違いとか分からないし、見た目で1番グッとくるものを選ぶしかないのよね」

「…うん。……値段見てビビったけど……」

「でも、もう惚れてしまってるから、他のを買う気にはならないのよね」

「…うん」

「ん。…ほら、もう寝ましょう。体に悪いわ。明かり消すわよ」

「……うん…」

蒼は壁のスイッチを押して照明を消す。

「蒼……」

「なに?」

「……蒼はどこで寝るの?」

「…貴女の傍で」

緋の問いにそう返すと、蒼は緋がいる布団に入る。

「嫌だった?」

「ううん。……一緒にいてくれて…嬉しい……」

「なら良かったわ」

蒼は優しく緋を抱く。

「…蒼……今日はありがとう…」

緋の声が、体が震えている。

「…本当に…ありがとう…ッ…。…私…こんな…優しくされたの初めてで……っ……味方なんていなくて……誰からも愛されなくて……ッ……1人で生きてきて……ずっと辛かった……寂しかった……この世界が嫌いだった……!!心も体も…何もかもボロボロでズタズタにになって………!何度も……何度も死のうと思った……死ねなかった度に、逃げる勇気もない自分が嫌いになって……でも……」

「うん」

「……今日蒼に出会えて……私……初めて生きてて良かったって思えた」

「…うん」

ほんの少しだけ、彼女を抱きしめる腕に力が入る。

「…私……頑張ったよね…」

「頑張ったわよ。緋は頑張ったわ」

「……っ…」

「偉いわ。えらい、えらい」

泣きぐじゃる緋を抱きしめ、頭を撫でる。

「もう大丈夫だから。ゆっくりおやすみ。緋」

触れるたび、想っていたものが込み上げてくる。

泣き疲れて蒼の腕の中で眠ってしまった緋に、蒼は囁く。

「…好きよ、緋。愛してる」



────。



「───たくさん泣いたものね」

緋の頭を無でる。

「安心…してくれたのかしら」


何もないスカスカな人生を送ってきた私が、少しでも、傷だらけでボロボロになった彼女に寄り添うことができたなら。それはこの世界での絶対に揺るぎない存在意義になるだろうか。



◇◇◇



目を覚ます。いつもの寒い朝じゃない。

「……ぁ…」


「──おはよう。緋。よく眠れた?」

「ぁ…蒼……?」

目をパチパチさせて、この光景を目から脳へと送りこむ。

「………」

思い出した。昨日は蒼と奇跡のような再会を果たして、流れで家に泊まらせてもらったのだった。

「おはよう。蒼。蒼のおかげで過去一よく眠れた」

「ならよかったわ。体調は?」

「だいぶよくなった。熱ももう無いと思う」

「よかった…。食欲はある?」

「うん。昨日は何も食べてなかったし…」

「馬鹿。せめて栄養取らないと悪化する一方よ」

「そうだよね……」

「もし私があの場にいなかったら貴女本当に死んでたかもしれないわよ」

「……それならそれが結末ってだけ」

「……そんな悲しいこと言わないで」

蒼が今までにないくらい悲しい顔をした。ハッとなって恩人への発言を悔いる。

「……ごめん……」

「…謝らなくてもいいわ。こんな説教みたいなこと言い出した私が悪かった。お腹すいてるでしょ。残り物しかないけどいいかしら」

「あ、うん。なんでもいい。ありがとう」

蒼と共に台所へ。

「なにか手伝えることがあったら手伝うよ」

「大丈夫よ。温めるだけだから」

蒼は冷蔵庫からタッパーを取り出し、皿に移すと電子レンジに突っ込む。

「…ねぇ緋」

「なに?」

「抱きしめてもいいかしら」

「…え、なに、嫌がらせ?」

「何でそうなるのよ」

「また泣いちゃうと思うから嫌」

「泣いていいのに」

「泣きたい気分じゃないの。体調も少し良くなって気分良い時に泣かせに来ないで」

「…そうよね。分かったわ。ごめんなさい、無理なお願いして」

「謝らなくてもいいよ、私のわがままだから。助けてもらって、家にも泊めてもらって、何でもしてもらってる分際なのに無理言ってごめんね」

「私がやりたくてやった事だから気にしなくてもいいわ。……加熱終わったわね。ほら、食べましょ」

蒼はまとめて温めた料理を運んでくる。

白い湯気を上げる白米。ご飯に合いそうな炒め物。そして、ワカメと厚揚げの味噌汁が並ぶ。

「いつの間に……」

「自作インスタント。お湯入れて出来上がり。…って、そんなのはいいのよ。雑なんだし。ほら、食べましょ」

「うん。いただきます」

───泣きたい気分じゃないと言った矢先に、1口で泣いてしまった。

「……緋……?どうしたの?どこか辛い?」

「なんか……優しくて……」

「……優しさに敏感すぎるわよ」

「…うるさい」

「ふふっ、ごめんなさいね」

「ん」

温かい食事がボロボロの体に染みわたる。大切にされ無さすぎてバグっていた体が今、食欲を取り戻した。



◇◇◇



「ご馳走様でした」

「お粗末様でした。…ちゃんと全部食べてくれたわね。作った身としては嬉しい。今度は出来たてを振舞ってあげたいところだけど、残ってるものから先に消費していかないと大変なことになるから…」

「ありがとう。気にしないで。私はなんでもいい」

「うん。でも遠慮はしなくていいから。なんでも本音を言えばいいわ」

「食にこだわり無いだけなの。…昔から」

「………じゃあ、私が緋のこだわりの食になるしかないわね」

「ふふっ、なんでそうなるの」

「なんでって、緋、帰る場所も無いんでしょう?だったらここにずっといればいいじゃない。それで私のご飯を食べて生きていけばいいわ」

「……でも……」

「一人暮らしってコスパ悪いのよ。電気代水道代……たとえばエアコンとか、お風呂とか、料理とか。…それに、この家の広さも無駄にしてるし」

「……私…居ていいの?」

「いいわよ。どうせ親は帰ってこないし。私としても、緋が一緒にいてくれると嬉しいんだけど……緋は嫌?私と一緒に暮らすの」

「嫌なんかじゃない…」

「じゃあいいわよね」

「……蒼が良いなら、甘える」

「ふふっ、じゃあ、これから末永くよろしくね、緋」

「……うん。こちらこそよろしく。蒼」


「……それで、緋。貴女着替えって持ってるの?」

「あぁ……無いこともないけど、もうボロボロなんだよね…。正直もう捨てた方がいいと思ってる」

「…じゃあ、今日新しい服を買いにいこうと思うんだけど、どうかしら」

「…うん。いいよ。流石に服は新しいのが欲しいと思ってたところだし…」



◇◇◇



午後。買い物を終え、緋は装いを新たに、人気ひとけのない河川敷にやってきた。


「いくよ、蒼」

「うん」


緋と蒼は、それぞれ楽器を構える。


タンタンタンタンと靴で地面を叩いてリズムを合わせる。

スゥーっと息を吸い込みながら、音楽にかける想いをピックに乗せて振り下ろす。


「──」


息はピッタリ合っている。蒼のベースは確実に裏から曲を盛り上げ、時に力強く飾ってくれている。


───凄く良い。1人で弾くのとはまるで違う。

2人、アイコンタクトをとってサビへと進む。


とにかく楽しい。1人の時よりも2人の時の方が、音楽が何倍も何倍も楽しく感じる。


昂ってストロークに力が入る。初めての感覚だった。今まで、劣等感や怒り、憎しみの力で動いていた体が、活き活きし過ぎていて本当に自分の体なのかが疑わしい。


2人とも満足行くまで掻き鳴らし続けて、最後に思いっきり体を揺らしてシメる。


「………」


肩で息をしている。心臓がありえないくらい早く動いている。


「……最高」

「……ほんとね」


「人とやる演奏って、こんなに楽しかったんだ」

「ええ。…心臓がうるさいくらいにテンションが上がってるのを感じるわ」

「…私…もう1人じゃ生きていけないかも」

「心配しなくてもいいわよ。私がいるんだから」

「うん。ありがとう」



◇◇◇



「すっかり忘れてたけど、バンドの名前決めないと」

「そうね。名前が無いと、活動しようにもできないわ」


ベンチに座った2人は、 本格的にバンドの活動を始めるためにまず1番大切なものを決めにかかる。


「名前か……」

「難しいわよね」

「私たちのこと、曲のこと、全部を背負うものだから、適当なのにはできない」

「そうね。…まあ、今どき意味わからない名前のバンドも結構ある気がするけれど……それは私たちには合わないわよね」

「どうせなら、オシャレでかっこいいやつがいい。私と蒼の生きる意味を背負う名前……」

「緋と、私の生きる意味を背負う名前ね。…ひとまず何か使えそうな単語とか調べる?」

「ん、じゃあそうしよう」

2人は携帯を取り出す。

「…で、何て検索したらいいのかしら」

「え……うーん……」

「……急いで決めなくてもいいわよ。まだ2人だけなんだし」

「でも、名前もないんじゃ活動のしようもないし……」

「まあ、言いたいこともわかるけど……そうだ、一旦、カッコ仮の名前を決めたらどう?」

「…まあ、そうだね。それならちゃんと結成してから決めれるし」

「ええ」

「……よし。じゃあ、1回弾くよ」

「休憩はもういいの?」

「1回だけ。私と蒼の音楽をもう1回感じて、決める」

「…ん。分かったわ」

「私は思うように弾く。蒼も好きなように弾いて」

「ええ」


────気づけば、日が殆ど沈んでいた。


夕方から夜に。ビルに隠れた緋色の上には星のない夜空が広がっていた。


私たちは好きに生きればいい。

縛るものは無い。

自分が自分でいるための音楽をやればいい。


終緋と霜夜蒼、2人の音楽を、ここから、始めるんだ。


空を見上げて、私たちこそは人工物の輝きに負けてたまるかと思いながら弾き散らかして、2人は息を合わせてこの一瞬の時間を終わらせた。



「──Scarlet Night。これどう?」



「───文句無いわ」



……To be continued

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