<スカーレット&スカイブルー>
連星澪
第1章【Opening Act】
第1話【スカスカ】
眠たくてうとうとする。授業は全く頭に入ってこない。
昨晩はあまり眠れなかった。父の罵声と母の泣き声が脳にこびりついて離れない。
「──
担任の先生に頭を叩かれて意識が戻る。
「……ごめんなさい…」
「何時に寝たの?」
「……」
「はぁ。いい?夜はちゃんと寝る事。学校生活に支障が出てるでしょ。子供は9時くらいに寝るので丁度いいの。お家裕福だし遊ぶもの沢山持ってるのかもしれないけど、もう立派な小学生なんだから、自覚持って」
「………はい」
あははというクラスメイトの笑い声が聞こえる。ああ、私はバカにされてるんだな、と思った。
「……」
ただ、
蒼との出会いは3歳、ちょうど物心がついてきた頃。
保育所に入れられた私『
「ずっと一緒にいよう」
保育所の年長にてそんな約束をした、私の唯一の友達だ。
「緋。一緒に帰ろう」
「あ、うん」
ランドセルに荷物を詰め、背負って席を立つ。
「手繋ごう」
「うん」
蒼と手を繋ぐ。あまり体温が高くないらしいが、蒼の手は温かい。
蒼は凄い人だ。真面目だし勉強もできる。自分に自信があって、落ち着いていて大人びて見える。運動は少々苦手のようだが体力はある。
なにもかもダメダメな私は、蒼がそばにいてくれるおかげで今もこうして生きていられる。
「緋。他の人のことなんて気にしなくていいわ」
「うん。蒼がいてくれれば、それだけで幸せだから」
「ええ。私も緋さえいてくれれば他なんてどうでもいいわ」
帰り道、身を寄せ合って秋の寒さを乗り切る。
「……蒼」
「なに?」
「ありがとう」
「…いいのよ。私にとっては緋が全てだから」
◇◇◇
席が固定されていない限り、私と蒼はずっとそばにいた。
「蒼」
「なに?」
「ぎゅってしてほしい」
「いいわよ、おいで」
「ん」
学校でも構わず私は蒼に甘えていた。
こうでもしないと、辛くて生きていけなかったから。
蒼の体温が、嫌なことも全部幸せで塗り潰してくれる。
「お父さん、またお母さんを殴ってた」
「そう…」
「…蒼と結婚すれば蒼の家で暮らせる?」
「…そうね。そうなるわね」
「…でも、お母さんを1人にしたくないな。…お母さんも私のこと蹴ったりするけど、本当はお父さんが嫌いなだけだから」
「……じゃあ3人で別のところに住みたいわね」
「…いつか、そうなればいいな」
「きっとなるわよ。…今はなんの力もないけど、いつかは」
「…うん」
◇◇◇
小学2年生の春の終わり。桜が散った頃、先生の口から、私は絶望を聞かされた。
「霜夜蒼さんは、来月、お父さんの仕事の都合で大阪に転校する事になりました」
「………ぇ……?」
蒼が、転校。それ即ち、引越すということだろう。
「…緋……ごめんなさい。黙ってて」
「なんで……?」
「言えなかった……言ったら……認めるようなものだから……」
「やだ……蒼と離れ離れになんて……っ」
「───ねぇ緋さぁ。蒼困ってんじゃん」
「…!」
クラスメイトが突っかかってきた。
「別に困ってないけど」
「嘘嘘。困ってるでしょ。でも、良かったね。こんななんも出来ない落ちこぼれに付き纏われずに済むんだからさ」
「ッ…緋をバカにするなら許さないわよ」
「あっはは、冗談冗談。あまりにもみっともないからさ。…蒼は転校しちゃうの。受け入れな?緋。友達なんでしょ?だったら笑って送ってやんなよ」
「………」
◇◇◇
蒼がいなくなるまでの1ヶ月弱のことは、あまり覚えていない。
ただ、事実は分かる。
元から私は同級生に良く思われていなかった。
蒼がいないと何も出来ない。根暗で、やる気もなく、ただ蒼という優等生のそばに居座っているだけの劣等生。それでいて周りに興味も無く、蒼以外の全てを冷めた目で傍観している。そんな態度もきっと気に入られない要因だったんだろう。
蒼という唯一の味方を失った私は虐めに合った。
虐めは時間が過ぎれば過ぎるほどにエスカレートしていった。教師は見て見ぬフリをし、知らないフリをし、それを徹底的に貫き通した。
傷を作って家に帰っても、両親は助けてはくれない。父はいつも通り母を痛めつけ、父からの暴力に耐えられない母の負の感情の矛先は娘である私に向けられる。どうしようもできない非力な自分の運命を呪いながら、私はただ1人の顔を頭の中に思い浮かべて会いたいと願っていた。霜夜蒼という唯一の支えを失ってしまった私は、ただ、理不尽な暴力に耐え…いや、タコ殴りにされるのを受け入れるしかできなかった。
そして1年が経ち、私は小学3年生にして世界に絶望していた。
「………」
痛む傷を抑えながら、夜の街を彷徨った。
───あの子さえ産まれなければ。
父に追い詰められた母が零した弱音に、なんというか、傷付いた。
怖かった。母親にすら愛されないのはきっと普通じゃない。気づいてはいたけれど、改めて拒絶されていることを知ると、怖くなって、逃げ出してしまった。
体も、心も、傷ばかり。
もう、この世界に居場所がない。
夜の街の空気は澄んでいて、昼間とはまるで違っていた。
蒼に会いたい、なんて、叶わない願いを、星の見えない夜空に願う。
街の明かりに掻き消された夜空の向こうに、星が流れていると信じて。
涼しい夜風に背中を押されるように、ふらふらと街を歩いてみる。
───そこで、私の運命が変わる出会いがあった。
街灯りを背景に、若い男性4人組が、音楽を奏でていた。
「………!!」
ドラムを叩く人。ベースを弾く人。ギターを弾く人。そして、ギターを弾きながら歌っている人。
歌詞は英語で、意味はよく分からないけれど、それでも、確かに感じた。
彼らの歌は、人に届いている。
何人もの人が、彼らの音楽を聞くためにこの場所で立ち止まっている。緋もそのうちの1人だった。
ただ輝いて見えた。立ち並ぶ街灯の明かりよりも、建ち並ぶビルの明かりよりも、道路を走る車のヘッドライトの明かりよりも、音を出す彼らの姿が、あまりにも光って見えた。
そういえば、いつだったか、蒼と共にロックバンドよライブ映像を見たことがあった。
……音楽。音楽をやりたい。どこの誰かも分からない人なのに、その声は確かに人に届いている。
人に何かを伝えられる。音楽なら、誰かが私の味方になってくれるかもしれない。
私は彼らの歌に、勇気を貰った。
「……音楽……やりたい……」
ただの衝動だった。けれど、これしかないと思った。
ギターを弾いて、歌いたい。ただそれだけの想いが爆発した。
◇◇◇
あの日見たのは、名前も知らないバンドの路上ライブだった。ただ感情のままに楽器をぶっぱなし、音を放つその姿は、この夜の街のどんな明かりよりも光って見えた。私は音楽は架空のものだと思っていた。でも違った。実際に演奏する人がいて、歌う人が実在していることを知ると、私にはそれしかないと思った。私も音楽がやりたい。こんな風に、街明かりにも負けない星になりたいと思った私は、歌とギター1本に全てを託した。
そうして音楽にのめり込む中で出会ったとあるロックバンドの曲の歌詞からの受け売りを心臓にして、どれだけ酷い目に合わされようが、私には音楽があるからと耐えて、耐えて、何度も折れそうになって、それでも性懲りも無く立ち上がって、今日まで死なずに生きてきた。
「………」
暗い部屋で、鞄に必要なものを詰め込む。
着替え、エフェクターとアンプ、コード類。マイクとスタンド。携帯と充電器。
父の財布からお札をありったけ抜き取り、自分の財布に詰め込む。
傷だらけの白いストラトキャスターをギターケースに入れ、鞄と共に背中に担ぐ。
「……さよなら」
───終緋、16歳。私は私以外の全てを見限って家を出た。
豪邸と言って差し支えない自宅を後にする。ここは私の居場所じゃない。もう二度と帰ることは無いだろう。
3月下旬の冷たい夜の風が肌を刺す。
星の見えない夜空の下を、重たい荷物を背負って歩く。
終電に乗って遠くまで行く。
親にも、クラスメイトにも、先生にも。誰にも見つからないところまで、私は逃げた。
逃げることは罪になるのかを考えてみた。結果、罪にはならないというのが私なりの回答だ。虐めやその隠蔽が罪になっていないのだから、余裕で無罪だろう。
中学時代から隠れ家というか秘密基地というか、そんな感じで使っている廃屋に辿り着く。
荷物を下ろし、ギターを手に取る。
「私には、音楽あるから…。どれだけ惨めでも、どれだけ嫌われていようと、私は音楽で幸せを掴んでみせる」
◇◇◇
───家を出て、誰かに見つけて欲しくて、誰も聴いてくれないままでも路上で弾き語りを続けて3ヶ月弱。
「………もう朝……か」
埃っぽい布団から出る。細い体がやけに重たく感じる。
「……熱っぽい…」
寝床は誰にも使われていない廃屋。体温計などあるはずも無く、長く伸びた緋色の髪をかき分けて額に手を当てるだけに終わってしまう。
「……ま、こんな体……どうなろうと構わないけど」
傷だらけの白いストラトキャスターに手を伸ばす。
「……喉と…手足さえ残ってれば、私は生きていける」
今夜もギターを背負い目的の場所を目指す。
都会のど真ん中にありつつ、都会から離れた場所と錯覚するような公園。錆び付いたマイクスタンドとアンプを置き、ジャックを刺す。ギターを鳴らし、チューニングが合っていることを確認。
「あ、あ、あ」
喉の調子は風邪気味であまり良くないが、歌えないことは無い。
『ライブやります。来てくれると嬉しいです』
フォロワー13人のSNSに位置情報を貼り付け、大して暖かくもないのに重たい上着のポケットに携帯を突っ込む。
冷たい夜の空気を吸い込み、声を放った。
「──」
ギターを掻き鳴らす。寒気に震える指はアルペジオを拒んでいた。
左指が震えて上手くコードを抑えられない。
震える声で歌う。
右手の三本指はピックを落としそうになりながらも間奏を弾く。
体の震えと呼吸が噛み合わずにむせるが、なんとか自分を奮い立たせる。
あまりにも酷い疲労感に怒りを覚えることで力に変え、ストロークになけなしの力強さを与える。
「…………」
目眩がして膝を付いてしまう。
前には誰もいない。
結局、助けてくれる仲間なんて存在しなかった。
壊れるまで体を犠牲にしても、這い上がる事は出来なかった。
「……私……」
「──君、大丈夫?」
「……え…?」
声をかけられて上を向いた。若い男3人。
「顔色良くないね。熱あるんじゃない?」
「───」
感情の無い無機質な優しさに悪寒が一層増し、手を払った。
「……人が親切にしてやってんのになんだよ」
「私はそんなの頼んでない…。1曲聴いて貰えればそれで私はいいの…」
「──ガキが調子乗んなよ」
──上着の襟を掴まれて引き寄せられる。
「…めっちゃ可愛い顔してんじゃん。胸もかなりあるし」
「ッ……離して」
「離すかバーカ」
「逆らうなら容赦しねぇぞ?」
3人に囲まれ、身動きが取れなくなってしまう。
精一杯の抵抗をするにも、元より体力が無く非力な体がさらに弱っている現状では、無駄な足掻きにすらならなかった。
「お?案外大人しく従ってくれるんだな」
「違…う…ッ」
もう、諦めるしかないのか。
結局、誰にも歌を聴いて貰えなかった。
私が一体何をしたって言うんだ。ただ、幸せになりたかった。それだけだったのに───
「───ねぇ、そこの3人」
──女の声。
「誰も見てないと思った?今の一部始終、動画撮ってるけど、ネットにばら撒かれたくなかったらその子離してこの場から消えてくれるかしら」
蒼い髪を靡かせ、少女は携帯電話を見せつける。
「てめぇ……!」
「何よ、やる気?そろそろ人目にも付きそうだけど」
「…チッ」
3人は緋を離すと去っていく。
「…怪我は無い?」
「ぁ……」
冷えた手に温かい手が重ねられる。今までに触れたことの無いような温かさがあまりにも沁みて、目尻が熱くなったかと思えば、泣き出していた。
「えっと…あの…ごめんなさい、怖かったわよね。もう大丈夫だから…!」
「ッ……いえ、ごめんなさい…優しくされるの…慣れてなくて…っ」
「…いいわよ。ゆっくりでいいから。落ち着くまで一緒にいるから」
◇◇◇
「どう?少しは落ち着いた?」
「うん……。ありがとう」
緋は機材を片付けると、公園のベンチに座る。
「良い歌歌うのね」
「聴いてくれてたの?」
「途中からだけど。バイト終わりでちょうどそこ歩いてたら、貴女の歌が聞こえてきたの」
「そうなんだ」
「来てみたらあれだったからムカついてしまって」
「…強いね」
「全然。私、普段はコミュ障だから」
「そうなの?」
「人と関わるのが辛くて。絶賛不登校だしバイトも億劫」
「でも、貴女は私を助けてくれた。…こんなの初めて」
「……何でかしらね。貴女を見た時、幼い頃に仲が良かった友達が脳裏をよぎったの。…何も出来なかった当時の私が、今度こそ助けろって言ってる気がした。…ごめんなさい、何言ってるのよって感じよね」
「……どんな人だったの?」
「…そうね。私の唯一の友達だった。ええ、貴女と同じ緋色の髪と目が綺麗で……………」
───少女の顔が固まった。
「……どうかした…?」
「……
──緋。
「…私の名前……」
「貴女……緋なの……?本当に……」
緋は蒼髪の少女の顔を見る。
明るい夜空の様な蒼色の瞳が綺麗で、幼い頃に唯一仲良くなれた女の子にそっくりで───
「
「……ッ…緋!!」
───涙を流し、彼女は私を抱きしめた。
「会いたかった…!ずっと…!!」
◇◇◇
「まさか、また会えるなんて思ってもみなかったわ」
「私も。久しぶり、蒼」
「ええ。久しぶりね」
「こういう時ってどんなお話すればいいのかな」
「ごめんなさい、私もよく分からないのよ。普通なら、今までどうしてた、とか、今何してる、とかを話すような気がするけど………」
「………今まで……か」
ズキリと胸が痛む。
「あ……無理に話す必要はないわ」
「ううん。蒼には話すよ。私のたったひとりの友達だから」
「…ありがとう。友達だって思っててくれてたのね。…てっきり、恨まれてるものだとばかり思っていたわ」
「なんで?」
「小学2年の時。虐めが始まったでしょ。私はきっと貴女の味方でいられる唯一の人間だったはずなのに、何も出来ないまま転校してしまったから。辛い時助けてあげられないくせに、何が友達なのかって。…少なくとも私は私を嫌っていたわ」
「…そこまで考える気持ちの余裕無かった」
「……そう」
「もういいんだ。学校やめて、家からも逃げ出して、今はこうやってギター弾いて歌ってる」
「凄いわね。…私よりも余程」
「そうかな。音楽以外に取り柄のない私より、ちゃんとバイトしてる蒼の方がよっぽど凄い」
「ちゃんとはできてないわ。ミスばかりでクビ寸前よ。全部乗り越えてミュージシャンの道を歩めてる貴女と比べて、私は……」
蒼は俯いてしまう。
「……蒼、ベース弾いてるんでしょ?」
「…なんで知ってるの…?」
「さっき手が触れたでしょ。ベーシストの手だった」
「……部屋で1人でやってるだけよ。学校で孤立して、親とも疎遠になって。ベースしか打ち込めるものがないし、それを感情のはけ口にしてるだけ」
──同じだ。誰かに何かを伝えることもできないから、それを音楽にぶつけている。
ここで再会できたのも、きっと意味がある事なんだ。
「…あのさ」
「なに?」
「───一緒にバンドやらない?」
「…バンド……?」
「うん。…私ね、ギター始めたのは、名前も知らないインディーズバンドの路上ライブがきっかけだったんだ。…曲に、音楽に、自分の全てを詰め込んで吐き出してる姿が、凄くかっこよかったから」
「……私も……そうだった」
「じゃあ似たもの同士だ。ね、一緒にバンドやろうよ。それで全部吐き出して、見せつけてやればいいんだよ。こんなどん底を彷徨ってる私たちにも、私たちにしかできないことがあるんだって」
「……うふふっ、そうね。他にやりたいことも無くて、鬱になってたところだもの。この再会は運命よね、緋。私のベースで貴女を支えてあげるわ」
「ありがとう。これからよろしく、蒼」
「ええ。幸せにしてみせるわ」
……To be continued
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