第6話 王女への気遣い

 ルイフォードは、マルコの後ろに付いて、長い廊下を歩いていた。

 客間もだったが、余計な物は一切置かれていない。

 重厚な造りだが、何処もかしこも流行遅れだ。

 今時このような屋敷に住んでいる貴族がいた事に、驚きを隠せない。

 屋敷自体は小さくも大きくもなかったが、建て替えた方が良いのでは?と、思う程古びている。

 王都では、貧乏貴族と噂されていたが、事実だったのだと理解した。


 使用人の数も足りているようには思えないが、掃除は行き届いている。

 出された茶や菓子も、宮殿の物より美味しく感じた。

 窓から外を眺めると、正門には門番も立っておらず、屋敷内にも警護をしている者は見当たらない。

 庭は綺麗に手入れされているが、気持ちを和ませる草花ではなく、薬草や野菜が植えられている。

 客をもてなす気が無いのだと、誰もがそう考えるだろう。


 ポータルから降り立った時には、家畜の声すら聞こえていたのだ。

 馬小屋なら何処の貴族邸にもあるだろうが、それは見当たらない。

 牛や豚、鶏と一緒に、放し飼いにされていたのだ。

 人工的に造られたとは思えない程大きな池もあったが、そこでは野鳥が気持ち良さそうに泳いでいた。

 

 マルコは機嫌よく鼻歌を歌っているが、ルイフォードにはよく分からない旋律に聞こえる。

 そして何かを思い出したかのように、今夜はご馳走だのピーちゃんは可愛いだのと、リシャーナに話しかけてもいた。

 だがリシャーナから返事など来る筈もなく、その事を気にする素振りすら無かった。

 独り言?と、鼻歌を繰り返しながら歩いているうちに、目的の場所へ着いたようだ。

 「リーシャのお部屋はここだよ」

 マルコが案内した部屋には、宮殿から連れて来た宮仕えが既に待機していた。

 荷物も綺麗に整頓されている。


 王女に用意された部屋にしてはかなり質素だと思うが、どの部屋も似たり寄ったりであった。

 家具を買い揃える余裕さえ無いのかと思う程に…

 ここへ来る迄に幾つか部屋の前を通ったが、全て扉が開け放たれており、中の様子が丸見えになっていたのだ。

 そのどの部屋よりも、更にここは家具が少なかった。

 ルイフォードが問いかけると、宮仕え達が案内された時には、既にこの状態だったと言う。


 他領の屋敷では、邪魔な家具を移動させる等、大変な思いをしていた。

 その手間が省けただけではなく、車椅子でも不自由のない配置になっていた事で、宮仕え達は家主の気遣いに感動していたのだ。

 ルイフォードも蔑ろにされて来た妹がここへ来て初めて客人として扱われた事に感動した時、部屋へ入るなりマルコは術式も、詠唱も無く魔術を使った。


 リシャーナの身体がふわりと宙に浮き、ソファーに移動する。

 ルイフォードはまたもや驚愕し、言葉を失いマルコを凝視した。

 もう緊張はしていないのだろう、ご挨拶をして良いかと尋ね返事を待たず、同意を得たとばかりに先程と同様…

 大きく息を吸い込み、目をぎゅっとつむり、唇を尖らせて…

 「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~っま!」

 と、言った。

 「「「「!?」」」」

 今度は宮殿から連れて来た宮仕え達が、一斉に驚愕した。

 そんな周りの様子など、全くお構いなしに話しかける。

 「リーシャ、またね~おやすみだよ」


 マルコはしたり顔で侍女を呼ぶと、鼻歌を歌いスキップしながら出て行った。

 ルイフォードは意味が分からず、眉間に皺を寄せる。

 部屋の前で控えていた侍女が入って来た。

 「マーサと申します」

 年配の女性が、深く頭を垂れ挨拶する。

 彼女はリシャーナが滞在中、お手伝いをするよう仰せつかったと言う。

 「あれは何なのだ?」

 ルイフォードは伯爵邸の侍女に尋ねたが、にっこりと微笑むだけで、彼女も良く分からないようだった。


 「こちらはカルティア様がブレンドした茶葉です。旅の疲れを癒し、寝付きを良くする物です。」

 そう言って缶に入った茶葉をスプーンで一匙すくい、掌に乗せ目の前で口に含んで見せた。

 毒は入っていませんと、行動で示したのだ。

 リシャーナ付きの侍女が、茶葉を受け取る。

 マーサは、何かあったら呼んで欲しいと告げ、部屋を出て行った。

 この屋敷には、鬱陶しい程に纏わり付く輩がいない。

 これもまた、気遣いなのだろうと、ルイフォードは感じていた。

 「私も茶を貰おう」

 何度も信じられない光景を目の当たりにした事で、婚約者候補の名前が出た事にすら、気付いていない。


 心がかき乱されていたルイフォードは、一刻も早く茶を飲み落ち着きたかった。

 そしてリシャーナの横に腰かけようとして、再び目を見張る事になる。

 先程も一瞬の出来事で、魔術を使った事に気付くのが遅れた。

 だがそれだけだと思っていたのに、ソファーとリシャーナの間には、水のクッションが敷かれていたのだ。

 「心地よく座れる様、配慮したのか?」

 まさか…ゴクリと、ルイフォードは喉を鳴らす。

 魔術も、剣術も得意だと自負していたが、その自信が揺らぎ崩れ去る音が聞こえる気がした。



 リシャーナは、お茶を飲んだ後で、ベッドに入った。

 侍女が花瓶に生けてくれたリーテンの花は、リシャーナが見える位置に置かれている。

 薔薇や百合の様な豪華さは無いが、素朴ながらも凛と気高く感じる、不思議な雰囲気を醸し出していた。

 陛下から何時も聞いていた、幼い頃から見たいと望んでいた幻の花は、想像以上に美しい。

 こんな形で夢が叶うとは思っていなかった。

 もう思い残す事は何も無いと、そう思いたかったが、マルコの姿が焼き付き頭から離れない。


 本当に嬉しかったのだ。

 泣いて喜ぶ程嬉しかったのに、リシャーナの瞳からは、涙が零れ落ちる事すら許されなかった。

 笑顔を作る事もしない、礼も言わない、ただ座っているだけの人形。

 あの男の子は、本当にこんな自分を好いてくれたのだろうかと考える。

 揶揄われているとは思えない、リシャーナを真っ直ぐ見つめる瞳には、慈愛が満ちていたからだ。

 この姿が可哀想だと思われたのだとしても、失神するどころか右手に迄触れてくれた。

 あの行動の意味は理解出来なかったが、車椅子を押しソファーへ座らせ花を贈ってくれ、一応プロポーズなのかと思う言葉もあった。


 『大好きです』その言葉に、忘れていた感情を思い出す。

 もしもの事があったら、あの子は泣いてくれるのだろうか?

 初めて会った、ちょっと不思議な、小さな男の子。

 もう無理だと諦めていた、誰からも相手にされる事もないと思っていた。

 それなのに、新しい友人が出来るかもしれないと、淡い期待で胸が膨らんでいく。

 あの子になら、裏切られても構わない。

 そう思える程心を許している事に気付かないまま、リシャーナは旅の疲れもあってか、直ぐに深い眠りへと落ちていった。


 ルイフォードは、妹が眠りについたのを確認してから、ソファーへと腰を下ろす。

 【悪夢の日】から今日までの事を、振り返っていた。

 悲しい思いばかりさせてしまった、たった一人の妹。

 あと何日、一緒に過ごす事が出来るのかと…

 念願だったリーテンの花は、ルイフォードが自ら見つけるつもりでいたが、マルコが持って来てしまった。

 ここに滞在する意味が無くなったのなら早々に王都へ帰るべきだろう、侮蔑の目を向けて来る者達が巣くう、あの場所に…


 そこで気付く。

 ここの者達は、誰もリシャーナを蔑んだり、侮蔑していないと。

 だから人が少なかったのかと、合点がいった。

 ルイフォードは、見当違いをしている事に気付かないまま、深い眠りに誘われる。

 そしてカルティアがいなかった事にも、気付いてはいなかったのだ。

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