第5話 リーテンの花
時は遡り・オルテンシア伯爵邸裏門
ポータルの前で客人を待つ、複数の人影があった。
何故正門ではなく、裏門なのか?
それは、人目を避け速やかに屋敷内へ入りたいと言う要望があったからだ。
オルテンシア伯爵領へ続く街道は無い。
魔物の生息域であるモンステルの森を抜けるか、北の辺境伯領と繋がるポータルを利用するかの二択になる。
王弟一行は侯爵領を出てモンステルの森を迂回し、辺境伯領からポータルを使って、オルテンシア伯爵領へ渡る事にしたのだ。
ポータルを使って数名の宮仕えが安全確認の為、先にオルテンシア伯爵領へとやって来た。
通信用魔道具で安全確認が出来た事を告げると、残って居た者達が次々とやって来る。
知ってはいたが結構な大所帯にオルテンシア伯爵は、彼らにかかる費用は幾らになるのかと考えただけで眩暈を覚えた。
最後に残った護衛と王弟一家が、淡い光の残像が完全に消えるのを待って、ポータルから降りて来る。
目をまん丸に見開いて微動だにせず、リシャーナを見つめていた幼子が視界に入った。
ここでもか…王弟一行の誰もがそう思った時、幼子は何かを思い出したかのように駆け出し、森の中へと入って行った。
逃げたのか…王弟一行は皆そう思う。
「ようこそお越しくださいました。客間へご案内致します」
伯爵が簡素な挨拶をする。
「子供が森の中へ入った様だが?連れ戻さなくて良いのか」
王弟の問いに答えたのは、伯爵夫人だった。
「あれは心配いりません、私の息子ですから」
そう言って、屋敷の中へと入って行き、伯爵もそれに伴った。
王弟一行は案内された場所へ、それぞれ連なる。
ここは、他の領主邸とは毛色が違う。
不敬だなとも感じたが、誰も口を開く事はしない。
この程度で王族への不敬罪にしていたら、貴族だけではなく平民までもが国から居なくなってしまうからだ。
それ程に、リシャーナを受け入れられない者が、多かったのである。
だが伯爵邸の者は皆、王弟一行にすべからく同じ対応だった。
王弟一家は、案内された客間で、今後の事を話し合っている。
リシャーナは何時もの様に、ただ座っているだけだった。
疲れたな…そう思った時、突然目の前に、白いリーテンの花が差し出されたのだ。
それはリシャーナが、ずっと見たいと思っていた幻の花。
北国の森の奥深くで、極々稀に咲く為、見つける事が困難で貴重な花だ。
成長した物は1m程迄伸びる。
無数に分かれた枝には、小指の爪よりも小さな花が、数え切れない程咲き誇る。
満開になった花は、月明かりに照らされると、宝石の様な光の粒を辺り一面に撒き散らす。
その幻想的な光景は、言葉に出来ない程美しいと言う。
そこで愛を誓った男女は、生涯お互いを慈しみ、幸せになれると語り継がれていた。
丁度良い部分だけ切り落として来たのであろうその1本の枝は、花束と言っても過言では無い程大きかった。
王弟一家は目の前で起こっている光景を、舞台でも見ているのではないかと 頭の中で整理出来ずにいる。
伯爵夫妻は話の途中で王女と息子を凝視した彼らを、不思議そうに見つめていたが、王弟一家は知る由もない。
顔を真っ赤に染めてもじもじしながらも、幼子は勇気を振り絞ってリシャーナに語り掛けた。
「ぼっぼっ…ぼぼぼ僕の!おおお~姫様に、なってくだちゃっ…痛っ」
噛んだ…伯爵夫妻は吹き出しそうになったのを、必死に堪える。
愛する息子の一世一代であろう求婚を、笑いのネタにする事等以ての外だから。
マルコ、頑張れ!夫妻は心の中で激励した。
王弟とルイフォードは、未だに理解が追い付かない。
王弟妃は「まぁ」と、鈴を転がすような声で感嘆すると、静かに二人を見守った。
「ぼ…ぼくは、マルコって言うの。ご、ごご挨拶をしても、よいです?」
緊張しているのだろう、何度も噛み、何度も言葉を繰り返す。
真剣な面持ちで真っ直ぐに見つめて語り掛けて来る小さな男の子は、リシャーナの膝の上にリーテンの花を置くと、片膝を床に付いた。
右手を雪の結晶に触れるかの様、そっと自身の両手で包み込む。
そしてリシャーナを見つめたまま大きく息を吸い込み、目をぎゅっとつむり、唇を尖らせて…
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~っま!」
と、言った。
「「「「!?」」」」
為て遣ったりと、マルコは満足な笑顔をリシャーナに向けた。
王弟一家は何が起こったのか、分からない。
伯爵は堪え切れず「ブフッ」と、吹き出す。
夫人は伯爵の背中をさすりながら、悦ばしそうに言った。
「マルコ、良くやった!格好いいぞ」
マルコはしたり顔で、伯爵夫妻を振り返る。
「はい!僕のお姫様を、お部屋に連れてくの」
緊張が解れたのか、今度はしっかりとした口調で答えた。
「そうだね、休ませてあげなさい」
伯爵は、何とか笑いを堪えて答える。
父の許可が出たので、マルコは躊躇いも無く車椅子を押す。
リシャーナも王弟夫妻も、まだ唖然としている。
一番先に、意識を現実に引き戻したのは、ルイフォードだった。
「ま…待て!リーシャを何処へ連れて行く」
ルイフォードを見上げて考えたマルコは、直ぐに結論を出す。
「リーシャ?お姫様の名前、教えてくれてありがとう」
何故かルイフォードは、礼を言われた。
マルコは再び歩き出そうとしたが、ルイフォードが食い下がる。
「勝手に連れて行くなと言っている、そして家族でも婚約者でもない君が、リーシャを愛称で呼ぶ事は失礼だぞ」
マルコは目を丸くして、両手を頬に充てて愕然とした。
此の世の終わりとでも言いたげな、大きな独り言を自身に問いかける。
「もう誰かから、リーテンの花を貰ったの?」
何を言っているのだ?と、ルイフォードが怪訝な顔をした時、我を取り戻した王弟が口を開いた。
「君は…マルコと言ったか?」
「はいっ」
名前を呼ばれた事で我に返り、慌てて車椅子から少し離れ、背筋を伸ばし片手を挙げて答える。
「リーテンの花を、何処から買って来たのだ?」
オルテンシアの領地に、花屋は無い。
花を買う習慣が、無いからだ。
「………?」
王弟の言葉が理解出来なかったマルコは、小首を傾げ考え込んでしまう。
その様子を見かねた伯爵が、代わりに答える。
「領地境の、北端の森に咲いてますから、そこから採って来たのでしょう」
「「なんだと!!」」
ルイフォードと、王弟の声が重なった。
北端の森は永久凍土に覆われ、魔獣の生息域にもなっている。
ここからだと、魔物の生息域であるモンステルの森を抜け、更に北へと向かった事になる。
子供の足で、行って戻って来れるような場所ではない。
魔物を見た事が無い者でも、その森が危険な場所だと知っている。
腕に自信がある者でさえ、不用意に近寄る事はしないのだ。
しかし、そんな危険な場所を抜けて行ったと、伯爵は平然と言ってのけた。
先程森の中へ入って行く姿を見ていなかったら、信じる事など出来なかっただろう。
マルコはモジモジしながら、語った。
「リーテンは…合言葉が…『大好き』なの…」
小首を傾げて考え込む。
そして思い出したとばかりに、言葉を続ける。
「お姫様みつけたら、プレゼントしなさいって、姉様が言ってたの…よ?」
マルコは姉の言葉を、一生懸命思い出しながら伝えた。
そして照れ臭くなったのか、真っ赤にさせた顔を両手で隠してしまう。
「「合言葉?」」
マルコ自身、姉が語った言葉をよく分かっていない為、二人には通じなかったのだろう。
王弟とルイフォードは意味が分からず、眉間に皺を寄せる。
二人は見た目だけではなく、性格も、仕草も良く似ていた。
「リーシャはまだ、誰のお姫様でもないのよ。私の娘を気に入ってくれたの?」
王弟妃はマルコの元に来ると、視線を合わせる様腰を低くし、小さな両手を持ち上げ話しかけた。
儚げに見えるが、二児の母だ。
幼子が紡いだ、たどたどしい言葉の意味を、リシャーナに寄せる好意だと感じ取ったのだろう。
マルコは笑顔を取り戻し、大きく頷きながら、僕のお姫様にすると言った。
その言葉を聞いた時、ルミアの瞳からは涙が零れ落ちた。
それを見て困惑しているマルコを、ルミアは優しく抱きしめる。
マルコはまだ幼い、六歳になったばかりだ。
故にカルティアは、弟が理解出来るよう語って聞かせていたのだが…
まさかこんなに早く、運命の相手を見つけて求婚するなどとは、想像もしていなかった。
大人になったら自然と『合言葉』ではなく『花言葉』だと、『大好き』ではなく『永遠の愛』だと、変換されると思っていたのだ。
マルコは、何時もカルティアがしてくれるように、王弟妃の背中をヨシヨシと撫でている。
何故涙が零れ落ちたのか分からずとも、こうする事で気持ちが幸せになると知っていたからだ。
何の含みも無い幼子の行動に、張り詰めていた心が癒されたのは、言うまでもない。
そして王弟妃はマルコを離すと「リーシャを宜しくね」と言って、二人を客間の外へ送り出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます