第十九話「ごめんね、カナカァ」


 向こうでは実兄によって、クロちゃんも注がれています。全く、この後に逃げるんですから、怪しまれないにしても飲ませ過ぎないようにしてくださいです。


「はい、じゃあお返し。一緒に飲もうね、カナカちゃん」

「うっ」


 しかし、今度はそれで終わりませんでしたです。ホウロクに日本酒の瓶を向けられて、早くしろと言わんばかりに注ぎ口をクイっと上げられます。


「ま、まだ飲んでいないので、また後で」

「え~、日本酒なんて水みたいなもんじゃん。いつもみたくガッと飲んじゃってよぉ」


 ホウロクが更に勧めてきましたです。わたしの内心にギクリが走りました。

 不味い、です。前の状態であれば、わたしはいくら飲んでも平気でした。


 しかし今は、あのパリピとの電車内での時の様に、缶ビールの一本も飲めなくなってしまったのです。夜に逃げることを考えれば、ここで酔いつぶれる訳にはいきません。

 だからと言って、ここで断る口実も見つからないのです。部長みたく下戸であるという言い訳は通りませんし、飲まずにいれば更に怪しまれる可能性もあります。


「し、心配ないんだよね、日佐クン。もし潰れても私がいるぞッ!」


 すると部長が親指を上げてくれましたです。そうか、今日は飲まない部長がいたんでした。作戦については十二分に承知してくれていますし、ここは彼を頼ることにしましょう。


「んぐ、んぐ」


 わたしはビールを何とか呷ると、ホウロクに向けてコップを差し出しましたです。その時点で既に、視界が歪み始めます。


「おやおやぁ? カナカちゃん、もう回ってきたのかなぁ?」

「だ、らいじょうぶれす。までゃれんきれすから」


 顔が熱くなってきます。舌も上手く回りませんが、差し出したコップだけは、何とか体勢を保っていました。そんなわたしの様子を、ホウロクは楽しそうなものを見る目で見ています。


「うーん」

「あ、あるぇ? くろひゃん?」


 早く注げと思っていた矢先に、少し離れた位置で飲み食いしていたクロちゃんが机に突っ伏したのを見ました。あれ、彼女も潰れてしまったのでしょうか。


「んふふ、このウーロン茶が美味しいんだよね。なんか飲んだことない味で、気分が良くなってきて、あれ、私、今起きているのか、寝て、いる、の」


 すると近くで親指を立てていた筈の部長まで、机に突っ伏してしまいました。それを見たわたしは、酔っている中でも冷たいものを感じます。


「ぶ、ぶひょうっ! な、なにをねているんれすかっ!?」


 慌ててコップを置いたわたしは、ふらふらした足取りで部長の元に行きましたが、すでに彼は寝息を立てていました。

 おかしいです。こんなすぐに眠りに落ちるなんて、普通じゃないです。


「効いてきたみたいだねぇ。全く、儂から逃げられるとでも思っていたのかい……ねぇ、カナカちゃん?」

「っ!?」


 内に湧いた疑問を肯定するかのように、ホウロクがニヤリと笑いました。


「ここは儂の家だぞぉ? 監視カメラだって当然あるし、何よりもあれだけ騒いでおいて、気が付かないとでも思っていたのかなぁ? まあ万が一逃げたとしても、県道はとっくの昔に封鎖させたけどねぇ。念のために、彼にも協力を願ったんだよぉ」


 わたしの身体中に戦慄が走りますです。

 県道を封鎖されたということは、村が完全に閉ざされてしまったこともそうなのですが。先ほどクロちゃんと部長に注いだのは一体誰だったのかを思い出したことで、疑問が一気に氷解したからです。


 まさか、そんなことはない、筈です。わたしのこと、家族のことを思い出した筈の彼が、まさか。


「じ、じっけえっ!」

「ごめんね、カナカァ」


 嘘だとわたしが振り向いた時、実兄は、笑っていました。


「カナカァのことは、誰よりも大事さァ。でも、それ以上にホウロク様のことが大事なんだよォ。お兄ちゃんは、ホウロク様に逆らえないんだよォ」


 実兄は、泣いてもいましたです。いつの間にか、部屋には酷く甘ったるい臭いが充満しています。


「さて、念の為に確認してみようかな……ぬあああああああッ!」

「っ!?」


 ホウロクが突如として両腕を頭の後ろに持っていき、胸を突き出すかのように身体を後ろへと逸らしましたです。

 その恰好は酷く滑稽なのですが、彼の身体から酷く甘ったるい香りが勢いよく広がってきます。


「「「お呼びですかホウロク様?」」」

「ひ、ひいっ」


 次の瞬間。扉が開かれ、数多の村民が姿を現しましたです。全員虚ろな目をしており、明らかに正気ではないのが見てとれます。わたしは腰が引けてしまいました。

 急いでスマホを取り出したわたしですが、110番に繋がりません。見ると、アンテナを示す部分に圏外の文字があります。


 助けも、呼べません。


「これだけフェロモン撒いても効かないなら、もう確実かぁ。全く、どうしてカナカちゃんの蟲が出て行っちゃったんだろうなぁ。生殖用の子蟲こむしの卵を作り直さなきゃ。ま、明日の祭りまでにはできるだろぉ。初めてはイチャラブがいいしねぇ」


 実兄を押しのけてホウロクがやってきます。わたしは慌てて逃げようとしました。


「い、いやっ」

「ひっ捕らえろ」

「「はい」」

「ひゃあっ!?」


 わたしを拘束したのはキヨおばさんと、あろうことか実兄でした。実兄はわたしの背後から両肩を抱え上げ、キヨおばさんはわたしの腰にしがみついて下半身を抑えます。

 全力で逃れようとしましたが、二人ともわたしと同じくらいの異常な力がある為に、単純な人数差で勝てません。


 そんなわたしの前にホウロクがやってきて、首を掴んできました。


「う、ぐぐぐ」

「仕方ない、カナカちゃんにはお祭りまで寝ててもらおうかぁ」


 苦しさから口を開けたところに、先ほど実兄がクロちゃんに飲ませていたお酒の瓶を容赦なく注ぎ込んできます。


「ホウロク様。以前頼まれておりました彼の調査結果はいかがいたしましょうか」

「ああ、調べさせてたやつね。スマホに送っといてレン君、子蟲作った後で見るから。じゃ、おやすみ、カナカちゃん。明日夫婦になったら、また会おうねぇ」

「んぐぐっ! んぐ、んぐ」


 飲み切れない分が口の端から零れ落ちる中、無理やり飲まされたわたしは段々意識が遠くなっていくのを感じました。

 力が抜けたところで床に降ろされ、畳の上へと倒れ込みます。


「じっ、けい」

「カナ、カァ」


 わたしは瞼が完全に落ちる前に、もう一度実兄の顔を見ましたです。

 彼はずっと、泣いていました。

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