第十五話「わたしの写真がまるで年表のように」
久しぶりに帰ってきた
田んぼに畑とその後ろに聳え立つ山々。沼地が多く、あちこちに生えている葦の草。視界に入ってくるのはほとんど緑色ですが、季節のなすやトマトが彩りに細やかなアクセントを加えています。
電波の通りも悪くてどの会社の端末でも所々で圏外になる上に、村に続いている道は今通ってきた一本の県道だけです。
ここを封鎖されたら村の近くを流れている二級河川、葦川(よしがわ)を下るか、全く手入れされていない山越えをするしか道はありません。あっさりとクローズドサークルが完成します。
ブザーの後バスの扉が開いた時、山から吹き下ろしてきた風が木々ざわめかせ、畑の傍らに積まれたたい肥の臭いが鼻につきました。
「私は荷物を置いてくるけど、カナカちゃんはどうするの? ホウロク様に挨拶してくよね?」
一緒に降りたキヨおばさんは、何よりも先にホウロクの名を口にしましたです。言葉の裏には、しない訳がないでしょ、という意味が含まれています。
「い、いえ。わたしも一度荷物を置いてからにするです。そ、それに、わたしも年ごろですし。お会いするなら、もう少し身ぎれいにしたい、です」
「それもそうね。せっかくだから一番綺麗な姿を見せてあげてちょうだい。じゃ、私はこれで。ああそうだ。せっかく早く来てくれたんだから、寸法と試着を済ませちゃいましょうか。お昼過ぎに私の家に来てね」
「わ、分かったです。それでは」
キヨおばさんはそう言うと、手を振って行ってしまいましたです。
お喋りなキヨおばさんのことです。おそらくは彼女が行く先々でわたしのことを喋るのでしょう。田舎特有の噂ネットワークによって、わたしが帰ってきたことは一気に知れ渡ってしまうに違いありません。
帰郷を悟られないままに送迎をやめさせ、実兄を連れ出すのが一番でしたが、最早そのプランは火葬後の心臓マッサージレベルで手遅れでしょう。
「とにかく。まずは実兄です」
そうなるとプランBを考えなければなりませんです。バスの車内でキヨおばさんの雑談をやり過ごしつつ、わたしはずっと考えていました。
考えた結果、こちらに来てしまうクロちゃんと部長に事情を話し、実兄の車で実兄ごと送り返すことにしました。これがわたしのプランBです。ここまで来てしまうのであれば、
最早隠し事をする余裕はありません。オープンリーチでの勝負です。
おかしくなっているであろう実兄を連れ出すのが、唯一の懸念点なのですが。
「これさえ、あれば」
わたしには勝算がありました。背中に背負っているリュックに、チラリと目をやるです。中には着替え類と共に、通販サイトで購入したとある瓶が入っています。
わたしの目的には実兄を連れ出すことだけではなく、実兄を正気に戻すこともあります。これは、その為の切り札なのです。
実兄さえ正気に戻してしまえば、連れ出すことは簡単でしょう。ただこれを使ってしまえば、実兄は運転できなくなってしまいます。そうなると脱出の際の運転は、部長にお願いするしかないですね。
「よし、です。兎にも角にも、実兄っ!」
プランを再考し、意を決したわたしは走り出しました。目的は実家です。一刻も早く実兄に出会い、彼を正気に戻さなければなりません。
「おや、カナカちゃん。久しぶり」
「あらま、カナカちゃんじゃないの。元気だった?」
「こんにちは、です。また後で、ですっ!」
道中で山から下りてきたばかりと思われるタカノリおじさんや、畑仕事をしていたマツさんに声をかけられましたが、わたしは挨拶もそこそこにさっさと彼らの前を通り過ぎていきました。
田んぼと並行する道を走り、村の中心にあるホウロクの屋敷を通り過ぎ、Y字路を西側の山の方へ曲がって少し上ったところ。山の中腹ともいえる部分に、ポツンと二階建ての一軒家が建っていました。これがわたしの実家です。
「実兄っ!」
いそいで鍵を取り出して玄関を開けたわたしは、開口一番で叫びました。
「実兄、実兄っ! どこですかっ!?」
玄関、リビング、トイレ、風呂場と順番に見て回りますが、彼の姿はありません。最後に開けた二階の彼の部屋には、わたしの写真がまるで年表のように年代順で壁中に貼ってあったので、思わず固まってしまいました。
一部はわたしの視線がカメラを向いていなかったので、盗撮なんじゃないかとも思いましたが、今はその疑念を横に置いておきます。家にいる筈の、肝心要の彼の姿がないのですから。
「い、いない。なら次です。村役場か神社に」
「あっ、靴ある。カナカちゃーん」
次の目的地を考えていたら、玄関先からキヨおばさんの声が聞こえました。合わせて、車のエンジン音も聞こえています。
「お昼からって言ってた試着なんだけど、よかったらもうできない? ちょっとヨシコさんがお昼過ぎから出ていくことになっちゃって、先に済ませておきたいのよ」
「うっ」
階下からの声に、わたしは喉が詰まったかのようなうめき声を出しましたです。
正直、行きたくはありません。何が嬉しくて気持ち悪いデブの中年との式の為のドレスを試着しなければならないのでしょうか。そもそもわたしは、あんな人間との結婚なんて真っ平御免です。
ただわたしがいることはバレているので、居留守は使えません。バス内で訝しく思われたこともありますし、ここで彼女の印象を悪くしてしまうと今後の脱出の際の障害になりかねません。
腹を括りましょう、女は度胸です。
「わ、わかりましたです。行きましょう」
覚悟を決めたわたしは階段を下りていき、キヨおばさんの白いコンパクトカーに乗りました。ここを起こすまではおとなしくしておくが吉、の筈です。
神社の近くにある彼女の家に着いた後は、おばさま方からの毒にも薬にもならない雑談と共にわたしは身体情報を抜かれ、ウェディングドレスの試着をしました。
綺麗ねえ、ホウロク様もお悦びになるわ、というおばさまらのお世辞を、ぎこちない笑みで受け流します。唯一の収穫は、胸が去年よりも大きくなっていたことでしょうか。
やったぜ、です。
「そ、そう言えば実兄はどこにいるのですか? 家にいませんでしたが」
「ああ、レン君? 確かホウロク様と一緒に、外部の方との最終打ち合わせに行ってるんだって。帰ってくるのは、お昼過ぎになるんじゃないかしら」
マシンガンの撃ち合いの如く喋り続けるおばさま方の合間を縫って、わたしはさり気なく質問してみますです。
答えてくれたのは、郵便局の近くに住んでいるヨシコおばさんでした。頭をいつもお団子にしているので、幼い頃はお団子のおばさんと呼んでいたことを覚えています。
「なんか今年はすごいことになるらしいわねえ。詳しくはお楽しみ、なんてホウロク様はおっしゃってたけども」
「準備する側の方のことも考えて欲しいわよねえ。でもま、ホウロク様の言うことに間違いはないんだから」
キヨおばさんとヨシコおばさんが再び雑談を始め、気が付くとお昼ご飯時になっていましたです。彼女らがわたしの分までのお昼ご飯を用意してくれました。
出されたのは地元の野菜をふんだんに漬け込んだ後に、卵でとじて炒め、かつお節をふりかけた郷土料理、漬物ステーキです。
漬物の塩気が卵でマイルドになり、かつお節の風味と合わさってご飯がご飯が進むクンという、昔からのわたしの好物でもありました。
朝からロクに食べていなかったわたしは、炊き立てご飯と合わせてついおかわりまでしてしまいます。
本当にこの村の野菜とお米は、豊穣の恵みという肥料のお陰で謎に美味しいのです。
「あっ、電話だ。もしもし、ああ田ノ上さん、着いたのね」
「んぐぐっ!?」
ご飯にがっついていたわたしは、キヨおばさんの電話を聞いて喉を詰まらせそうになりました。田ノ上さんの名前に、着いた、ということは。
「今カナカちゃんは私の家にいるんだけど。そうそう、試着してたのよ。うん、私も後で連れてくから、先に入ってて。じゃあ」
「ごほっ、ごほっ、ごっくんっ! み、みんなは何処に行ったんですか?」
詰まりかけたものを無理やり飲み下した後、わたしはキヨおばさんに迫る勢いで身を乗り出しました。
「田ノ上さんと部活のみんなはホウロク様のお屋敷に着いたって。ご飯が終わったら、私達も向かいましょうか。ちょうどホウロク様とレン君も戻ってくるみたいだし」
「っ!」
わたしは息を呑みました。部活のみんなだけではなく、実兄も戻ってきたというのです。よりにもよって、あのホウロクがいる屋敷に、です。
かと言って、ここで引き下がる訳にはいきません。
「はむはむはむはむっ、ごっくんっ! ごちそうさまでした。さあ行くです、今すぐ行くです」
「お、お粗末様。か、カナカちゃん。凄い食べっぷりだった、わね」
残ったご飯を一気食いしたわたしは、少し引き気味のキヨおばさんの運転でホウロクの屋敷を目指しますです。
助手席に座っている間、わたしはずっと持ってきたリュックを抱きしめていました。手が震えているのに気が付き、わたしはギュッと握り込みます。
「大丈夫、です。上手くやれる、です」
自分に言い聞かせるように、わたしは呟きました。
やがて見えてきたのは、ホウロクの屋敷です。自分が権力者であることを見せびらかすように、村の中心に建てられた平屋建ての建物でした。
白い石が敷き詰められた駐車スペースには奴の白いベンツと共に、田ノ上さんのものと思わしき赤いカローラ、実兄の黒いワンボックスカーも停まっています。
ホウロクも、実兄も、部活のみんなも。中にいる、です。
わたしは一度唾をのみ込むと、顔を上げてキッと石畳の向こうにある玄関と、その向こう側を睨みつけました。
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