第十二話「祓へ給へ、清め給へ、神ながら守り給へ、幸へ給へ」



 余計なことを考えている暇はありません。わたしの懐具合から考えて、まずは駅、次はタクシーです。

 本来は電車の後でバスを使うのですが、今から行っても地元に行く最終便に乗れず、逆に明日の朝一番に乗ろうと思ったらこちらの始発では間に合いません。タクシーを使うしかないのです。これだから田舎は。


 村からここまでは、車でおおよそ三、四時間くらい。当初実兄はお昼に来る予定でしたから、朝一番までに村に戻ればギリギリ間に合う筈です。

 いえ、間に合わせなければならないのです。


「あれ、お魚ちゃんじゃん」


 走って最寄りの駅に向かい、開札口にスマホをかざして通って駅のホームで特急電車を待っていたわたしは、非常に腹が立つあだ名で呼ばれました。

 わたしのことをこう呼んでくる奴は、ただ一人です。


「奇遇だね、どっか行くの? 実はオレ達もなんだー」

「こんにちはなのじゃ」


 金髪を揺らして爽やかな笑みを浮かべていたパリピでした。近くには、彼女の妹であるアヤメちゃんの姿もあります。


「こんにちはです。そしてわたしは急いでいるんです。さようなら、です」

「相変わらずお魚ちゃんは手厳しいなあ。でもさ、ここに居るってことは乗る電車は同じだよね」

「はっ」


 パリピの言葉に、わたしは息を呑んでしまいました。考えてみれば、同じホームにいるんですから、乗る電車も行先も同じに決まっています。ということは。


「せっかくだから一緒に行こうよ。そうだ、電車の中で乾杯しない? オレ、酒とツマミ買ってくるね」

「えっ? ちょ、待っ」


 わたしの静止を聞かないままに、パリピは財布を取り出して駅ナカのコンビニに入っていきました。


「全く、飲み過ぎじゃ。あれじゃぱーてぃーぴーぽーというよりも、アル中じゃな」


 アヤメちゃんがやれやれと言った調子でため息をついています。

 そうしている間にビニール袋いっぱいにビール缶とジャーキー等の乾きもの、コンビニスイーツまで買ってきたパリピとの電車の旅が始まってしまいました。席の一つを一回転させて四人掛けにし、わたしとアヤメちゃんが隣合い、正面にはパリピと酒一式が席を陣取ります。


「では、奇遇な出会いに、乾杯ッ!」

「かんぱいじゃー」


 窓の外の景色が流れ始めた頃、ぷしゅっという音と共に缶ビールが開け、パリピは嬉しそうに飲み始めましたです。アヤメちゃんは飲めないので、緑茶のペットボトルをすすっています。

 状況についていけず、プルタブも空けずに固まっているわたしの傍らで、二人はいそいそとツマミを開けていました。


「はいアヤメ。食べたがってた白玉クリームぜんさい」

「わーい、じゃ。やはり甘味はあんこに限るのう」

「あの、です。何処に行く予定、なんですか?」


 あんこ付きの白玉を食べ、頬に手を当てながら満面の笑みを浮かべているアヤメちゃんを横目にしつつ、わたしはパリピの方に目をやりました。


「んー? ちょっとしたイベントを開催しに行くのさ。最近大学サボってバイトとか色々やってたやつが、明後日本番でさー。流石にそろそろ現地入りしないとなーって」

「主催者側なんじゃからもっとはよう行けと、わしは言っておったんじゃがのう」


 春の中盤から大学校内で姿を見せなかったのは、何かを企画していたからなんですね。

 っていうことは、高確率であの筋肉の宗像先輩と配信者の沢村先輩もいるのではないでしょうか。再びアイツらに囲まれたらことだと思い、わたしは慌てて周囲を見回しました。


「あっ、カツグとタクヤは先に行ってるからいねーよ。それとも他に誰か呼んで欲しい感じ?」

「パリピは足りてるので、おかわりは要りませんです」

「やっぱ手厳しいねえ。で、お魚ちゃんは何処行くの?」

「地元に帰るのです」


 わたしは普通に答えましたです。パリピが、少し目を細めたようにも見えました。


「マジ? お魚ちゃん、体調悪かったんじゃないの?」

「気分は悪いですけど、身体は元気です。それよりも何よりも、わたしは地元に帰ってやらなければならないことができたんです」

「やらなければならないこと、ね。っていうか、一緒に行く筈だったキスケとクロコちゃんは?」

「わたしの体調不良を理由に、お断りしましたです」

「ふーん」


 相槌を打ちつつ、パリピは缶ビールを傾けていますです。こいつの口ぶり的に、合宿のことは知っていたみたいですね。多分、クロちゃん辺りが喋ったのでしょう。


「ってか、体調不良なら出てきちゃ駄目じゃん。やめておいた方がいいと思うけどなあ」

「電車は動いています、今さら引き返せませんです。それにわたしの用事は、家族のことなのです。家の事情に、首を突っ込んでこないで欲しいのです」

「家族のこと、か」


 パリピはそう呟くと、少し浮かない顔をしてチラリとアヤメちゃんに目をやりました。

 気になったわたしも彼女を見ますが、美味しそうにぜんざいを頬張っている彼女に、特におかしい点は見当たりません。


「あのお兄さんの為かい?」

「そうです」


 視線をこちらに戻したパリピに、わたしも目を合わせますです。

 わたしに絡んできていたパリピに実兄が直々に注意をしたので、顔も知ってるんでしたね。


「無理しなくてもいいと思うよ。それで君まで危ない目に遭ったら、それこそお兄さんが悲しむんじゃない?」

「そうかもしれませんです」


 でも、とわたしは続けます。


「ウザくて気持ち悪いですが、それでもわたしの実兄です。家族のわたしが行かなきゃいけないんです。だって」


 勢いのままに口を開こうとして、わたしは一度俯きました。

 自分で言った家族という単語から、お父さんとお母さんのことを思い出してしまって、改めて悲しみが押し寄せてきてしまったからです。


「お父さんもお母さんもいなくなって。残っているのは、実兄だけなんですから。実兄がいなくなったら、わたしは」


 声が震えてきますです。どうしてわたしがこんなにあくせくと動き始めたのか、その動機を改めて自覚しました。

 お父さんを亡くし、お母さんを亡くし。万が一、ここで実兄まで亡くしてしまったら、わたしは。


「一人ぼっちに、なっちゃうです。嫌です。彼はわたしの……わたしだけの、お兄ちゃんなんです」


 一人で頑張ろうと思ってはいましたが、やはり心の何処かでは不安だったのでしょうか。こみ上げてくる気持ちのままに言ってから、わたしはハッと我に返りましたです。

 だからって、こんなパリピに言わなくても良かったじゃないですか。余計なことを言ってしまったと、後悔が押し寄せてきています。飲んでもいないのに、顔が赤くなってきました。


「…………」


 当の本人であるパリピは、何も言わずにわたしを見ていました。アルコールが入っている赤い顔の癖に、何処か真剣な印象を受けます。どうしたのでしょうか。


「……アヤメと同じこと言うんだね、お魚ちゃん。だからオレは、君を」

「えっ?」


 ボソッと口にしたパリピに対して、わたしは身を乗り出しそうになりましたです。

 アヤメちゃんと、同じ? どういうことなのでしょうか。


「なんでもないさ。じゃ、頑張ろうとしてるお魚ちゃんに、これを送るよ」


 パリピはこほんと一つ息をつくと、姿勢を正しました。


「祓へ給へ、清め給へ、かんながら守り給へ、さきわへ給へ」

「えっ、えっ?」


 いきなりの言葉に、わたしは面を食らってしまいます。神社で聞きそうな言い回しでしたが、その内容は何となくしか伝わってきません。


「略拝詞(りゃくはいし)ってね。お魚ちゃんに、いいことがありますように。さて、ビールだビールッ! ビールは飲まれる為に生まれてきたんだぞー」


 先ほどまでの雰囲気は何処へやら。パリピはグイっと缶ビールを呷ると、ップハーっと息を吐いてみせましたです。顔にはいつもの爽やかな笑みが戻っています。

 アヤメちゃんと同じとはどういうことか、先ほどの言葉は何なのかと尋ねてみましたが、そんなこと言ったっけー、ととぼけやがります。酔っ払い始めた彼には暖簾に腕押し、何度問い詰めても答えてくれません。


「おー、やはり電車というのは何度見ても早いのう」


 件のアヤメちゃんはというと、窓の外を見て楽しそうにしているのです。一体彼女とわたしの、何が似ているというのでしょう。


「あれ? アヤメちゃん、背中に何かついてるですよ」


 ふと、わたしは窓側に座っていたアヤメちゃんの背中に、何かが垣間見えましたです。

 彼女が着ている狩衣は背中までしっかり隠れているのですが、動きやすさと涼しさを重視している為か、チラチラと肌が見えているのです。彼女が身を乗り出した際の一瞬、白い肌には似つかわしくないものが垣間見えた気がしました。


 なんですかあれ、何か四角い紙っぽい印象を受けましたが。

 わたしが彼女の背中へと手を伸ばし、狩衣を引っ張って内側を確認しようとしたその時。ガシッと、その手が捕まれましたです。パリピでした。


「何もないよ、お魚ちゃん」

「えっ? い、いや、ちょっと見るだけで」

「何もないから」


 パリピは笑顔のままでしたが、わたしの腕を掴んでいる手の力は強かったです。

 その力と有無を言わせないような雰囲気が相まって、わたしは手を引っ込めてしまいました。


「ほら、早く飲んで飲んで」

「は、はい、です」


 促されたこともあり、わたしも缶を開けることにしました。

 どうせビールです、飲めるわたしにとっては、水と変わりません。ちょっと飲んだ後で、もう一度問い詰めてやるです。景気づけにと、わたしはクイっと缶を傾けました。


「んぐ、んぐ。それでさっきのですが。わひゃひがあやめひゃんとおなひって、いっひゃいらんのこひょ~?」


 急に視界が揺れ始めました。身体が熱くなってきました。呂律が回らなくなってきました。

 ふわふわした心地が非常に気持ちよく、えへへ~、と思わず声が漏れてしまいますです。えへへへ~。


「うん、完全に蟲が抜けてるみたいだね。良かった良かった。ってかお魚ちゃん、本当はお酒に弱かったんだ」

「確認も良いがどうするのじゃ? 彼女、ここままじゃ」

「えへへへ~、アヤメひゃ~ん」

「んぎゅっ!?」


 わたしは隣にいたアヤメちゃんを抱きしめました。ちっこくて可愛くて、一回むぎゅっとしてみたかったんですよ~。えへへへ~。


「ちょっ、な、なんじゃこの馬鹿力はっ!? わ、わしでも、引きはがせん」

「あー、怪力はそのまんまなんだ。蟲の力を使いまくってたら、筋力自体がついちゃった感じかなー。ま、アヤメなら大丈夫でしょ。オレはどうするか考えてるから」

「とか言ってもう一缶開けるなっ! お前、酔っ払いをわしに押し付けて飲む気じゃろっ!?」

「アヤメひゃんすべすべ~。つめた~い、すずし~。えへへへへへ~」

「ほらほら。幸せそうなお魚ちゃんを大事にしてあげモグモグ」

「話の途中でジャーキー食ってんじゃないわ、こんのたわけ主様がぁぁぁっ!」


 ひんやりしているアヤメちゃんを抱きしめながら、わたしはそのまま寝入っていきました。

 ぐうぐう。

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