第九話「急いで荷物をまとめて、早くこの村を出るぞ」


 わたしの故郷の百葦村(ももよしむら)は、歯に衣着せぬ言い方をすれば限界集落です。名前の由来は、近くを川が流れていることに加えて沼地も多い為、右を見ても左を見ても葦の草だらけだったというところからと聞いたことがあります。

 村民は百人程度で、ほぼ全員が顔見知り。半分以上がお年寄りであり、主だった仕事は農業か林業。働き手も少なく学校もない為、子どもはバスに乗って近くの街まで通わなければなりません。


 そんな村の外から来たのが、わたしの家族でした。一見して物好きにも見えますが、お父さんが豊穣の恵という名の村固有の肥料に目を付けたからです。

 土気色で臭いのあまりないこれを使うことで、米も野菜もとにかくすくすくと育ち、栄養価の高いものが出来上がります。肥料の製法は村長の家に代々伝わる秘法であり、村民でさえ知る人はいないとのことでした。


「是非ともその肥料の詳細を知りたい。生産体制を築いて製品化できれば、この村も一気に潤うことでしょう」


 お父さんは商売についてやり手であったらしく、当時の村長と次代の村長候補であったホウロクを熱心に口説いていたと聞いていますです。当時の村長が渋る傍らで、ホウロク自身は結構乗り気だったとか。


「あははー、こっちだよカナカー」

「待つですー、お兄ちゃん」


 大人たちの状況を知らないまま、わたし達兄妹は野山で元気に育ちましたです。

 村に同年代の子がいなかったこともあって、遊び相手は互いしかいませんでしたが、野原に山に川に、遊べるところはそこらじゅうにありました。年一回の百葦祭(ももよしさい)では飲み放題の食べ放題でしたし、全然退屈しなかったです。


「何かあったら言ってね。困ったときは、お互い様なんだから」

「本当にありがとうございます、キヨさん」

「いいのいいの。うちの村は村長様のお陰で、本当に素敵な場所なんだから」


 わたし達兄妹は、家族共々村民から可愛がられました。

 いつも農作業着を着ていて後ろで髪の毛をひとまとめにしているキヨおばさんなんかは、野菜を分けてくれたりしましたし。最初こそ田舎は余所者に厳しいんじゃないかとも恐れていたお母さんも、一安心したらしいです。


 ただ何故か、村民は口を開けば村長が凄い、村長が正しいと言っていることだけは、子どもながらに首を傾げていました。


「いやぁ、カナカちゃんかわゆいねぇ。大きくなったら、儂のお嫁さんになるかい?」

「いやです。わたしはもっとカッコイイ男の子がいいです」

「そんなつれないこと言わないでさぁ」

「こらっ、ぼくの妹をいじめるなっ! お前なんかにカナカはあげないっ!」

「いじめてなんかないよぉ、レン君。全く、人聞きが悪いなぁ」

「カナカのことは、ぼくが守る。ぼくはカナカのお兄ちゃんなんだ」


 その頃から、ホウロクはわたしに話しかけてきていました。幼いながらにも、あまり良い印象を持っていなかった、気がします、です。

 村での生活にも慣れてきて、わたしが十歳になった時、ホウロクが村長となりました。先代は亡くなったらしいですが、その年の豊穣の恵は例年よりも多かったらしいです。


 彼が村長になった後は、わたしのお父さんと協力して豊穣の恵を売り出すことを考えていたらしいです。このまま行けば、わたし達は村長の家に次ぐ有力者になることも考えられました。


「急いで荷物をまとめて、早くこの村を出るぞ」


 しかしその年の百葦祭(ももよしさい)の直前に、突如としてお父さんが豊穣の恵の企画を打ち切ることを決めました。家に帰ってきた時のお父さんの慌てっぷりは、今でも覚えています。


「レン、カナカ、早く用意してッ!」


 わたし達には話してくれませんでしたが、お父さんの話を聞いたお母さんも声を荒げました。鬼気迫る顔で、家をひっくり返す勢いで片付けていく両親の姿は、とても怖かったです。


「こんばんはぁ、日佐さん」


 ようやくまとめ終えて、みんなで家を出ようとした時、ホウロクがやってきました。その後ろには、大勢の村民がいたこともよく覚えています。

 お父さんとお母さんは、村民らによって取り押さえられました。昨日まであんなに良くしてくれていた筈の、みんなに。


「頼む、俺はどうなってもいい。だから妻と子ども達だけは見逃してくれッ!」

「ううん、私も一緒よ。だから子どもだけは、レンとカナカだけはッ!」


 お父さんとお母さんが必死になってホウロクにお願いしていました。わたしと実兄は、意味が分かりませんでした。


「ああ、もちろんだよぉ。レン君は儂の為に働いてもらうし、カナカちゃんは儂のお嫁さんになるんだからねぇ」

「ま、まさか、それは」

「さあ二人とも、これを飲んで」


 やがてわたしと実兄の目の前に、一人の村民がお盆を持って現れました。キヨおばさんでした。

 彼女が持ってきたのは、透明な液体が注がれた二つの朱い漆塗りのぐい吞みです。お父さんの顔が青ざめていました。中を覗いてみると透明ではあるものの、カエルの卵を彷彿させる細かくて黒い粒のようなものが浮いていました。


「た、頼む。子どもだけは勘弁してくれ。俺が、俺が飲むからッ!」

「レン、カナカ、それを飲んじゃ駄目ッ!」

「レン君、カナカちゃん。お父さんとお母さんを助けたいなら、これを飲んでねぇ」


 その時のホウロクの笑顔は、口元が酷く歪んでいましたです。わたしはそれを見て、恐ろしくなりました。


「ぼくがお父さんとお母さんを助けるんだっ!」


 最初に飲んだのは実兄でした。威勢のいい声と共にぐい飲みを掴んで、一気に飲み干してしまいます。


「うっ」

「レン。しっかりしろ、レンッ!」

「レンちゃんッ、いやぁぁぁッ!」


 飲んだ後、実兄は顔を真っ赤にしてフラフラとした後に、倒れてしまいましたです。お父さんとお母さんが悲鳴を上げます。村民の一人に抱えられた後、実兄は何処かへ連れていかれました。


「さあ、後はカナカちゃんだけだよぉ」


 わたしの両肩に、背後に立ったホウロクの手が置かれました。湿っていて、生暖かくて、身体に寒気が走ったことを、今更ながらに思い出します。


「駄目だ。カナカ、お前だけでも逃げてくれッ!」

「お願いカナカ。飲んじゃ駄目、言うことを聞いてッ!」


 お父さんとお母さんは、ずっと飲むなと言っています。


「カナカちゃん。君がこれを飲むだけで、二人は助かるかもしれないんだよ? どうすればいいかなんて、分かるよねぇ?」

「カナカちゃん。村長様の言うことは、ちゃんと聞かないと」


 わたしの耳元でホウロクが、ねちっこくて嫌らしい声で囁いてきますです。キヨおばさんも、さあさあとお盆を差し出してきます。

 駄目だという両親と、飲めという村民。板挟みになったわたしは、どうしたらいいのか、訳が分からなくなっていました。


 勧めてくるキヨおばさんも、背後にいるホウロクも怖かったのですが、何よりもこれを飲んだ実兄の姿が、頭の中にこびりついています。

 本当に嫌でした。わたしは泣きながら、震えながら、ずっと首を横に振っていました。


「ああもう、面倒くせえな。おらよ」

「んぐぐっ!?」

「カナカァッ!」

「いやぁぁぁッ! カナカ、カナカァッ!」


 しびれを切らせたホウロクが無理やりわたしの口を開けると、そのまま液体を流し込んで鼻をつまみましたです。両親が絶叫しました。

 息が出来なくなったわたしは、流し込まれた液体を飲み干すことしかできませんでした。


「うっ」


 口当たりは柔らかいのに、飲んだ後の喉がカーっと熱くなりました。顔がポカポカしてきて足元がおぼつかなくなり、わたしはホウロクに寄りかかりました。

 いま思えば飲まされたのは日本酒か、あるいはみりんか何かだったような気がします。


「これで仕込みは完了だ。さあお前ら、こいつらを連れていけ。今年の祭りのお客様にしよう。丁重に扱わないとなぁ」

「クソォ、離せ、離せェッ!」

「レンーッ! カナカーッ!」


 それが、お父さんとお母さんの最後の声でした。

 次にわたしが目を覚ました時には、村の神社の境内にいました。お賽銭箱の前に身体を起してみれば、広場の中心では炎が燃え盛っており、その前には大量の豊穣の恵が積まれています。炎の前で、ホウロク様が声を上げていました。


「儂の見立ては間違っておらんかったな。まさかここまで手に入れられるとは。次年度より、百葦祭(ももよしさい)には客人を連れてこよう。売り出す企画は潰れたが、なあに他にも手はあるさ。儂はこの村から、更にのし上がってやる……おお、起きたかいカナカちゃん」


 村民に向かって演説していた中、ホウロク様がこちらを見ました。そのお姿が、酷く輝いていたように思えます。彼の動きに合わせて、村民らが一斉にわたしの方を見ました。


「カナカァ、凄くいい気分だねェ。さあ、ぼく達もホウロク様の為に頑張ろうっ!」


 その中には、実兄の姿もありました。顔は笑顔なのに、燃え盛る炎の照り返しもあって、彼の顔には酷く濃い影がありました。


「どうだい、生まれ変わった気分は。ああ、君のお父さんとお母さんは死んだよ。でも大丈夫、儂が後見人になるからね。さあ、亡くなったご両親のことなんか忘れて、儂の為に生きていくんだ。君は儂のお嫁さんになるんだよ。いいね、カナカちゃん」

「やったねカナカァ。ホウロク様のお嫁さんになれるなんて、お兄ちゃんとして自慢できるよォッ!」


 目の前まで歩いてきたホウロク様が、あの口元を酷く歪めた笑みを浮かべます。後ろで実兄も、虚ろな目のままに喜んでいます。

 それを見たわたしは、胸が高鳴るのを感じました。


「……はい、ホウロク様。わたし、ホウロク様のお嫁さんになるですっ!」


 そうだ、そうだった。わたしはあの日、生まれ変わって。お父さんとお母さんのことも、思い出さなくなって、そして。

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