第八話「オレは何処にでもあるお酒を持ってきただけだよ」


 テスト週間が完全に終わった木曜日。夏休みに突入した大学は、ひどく閑散としていましたです。

 照り付ける太陽とは裏腹に、人通りのないメインストリート、閉まっている食堂、人の出入りがほとんどない学部校舎。授業というものがないだけで、大学はこんなにも静かになるんですね。


「お前、わたしに何したですか?」


 そんな大学の中心地、リニューアルされて四十年モノのボロ屋から生まれ変わった新築の第一食堂の近くにあったベンチにて、わたしはたまたま出くわしたパリピに詰め寄っていました。

 ここはいくつかの机と共に並べられており、昼食や会議、勉強、飲み会だってできる青空のフリースペースです。目の前には図書館もあるので、借りてきた本だって読めます。


 午前中に学科のガイダンスがあるクロちゃんとのお昼ご飯の約束の為に来たのですが、パリピがいたのであれば話は別です。


「お前と飲んだ次の日から、わたしはおかしくなったんです。思えば、お酒に酔わない性質のわたしが、二、三杯飲んだ程度で酔いつぶれる訳がないです。何かされたと疑うには、十分だとは思いませんか?」

「…………」


 言いながら、わたしの中の疑念はどんどん膨らんできていました。

 そうです、あの日以降におかしくなったのであれば、あの日に原因があるに決まっているじゃないですか。思い至るのは、こいつと飲んだあの日本酒です。


「わたしが飲んだお酒に何か入れたですか? だとしたら犯罪です。場合によっては実兄どころか、警察も辞さないですよ」

「オレは何処にでもあるお酒を持ってきただけだよ、お魚ちゃん」


 強い口調で話すわたしを、パリピは柔らかい口調で遮ってきました。


「君が飲んだのはとある神社に奉納されてた、ただの純米大吟醸だ。調べればネット通販で買えるやつさ。第一、オレだって同じの飲んでただろ? 何か入っていたんなら、君に何かあってオレにないのはおかしい話だ。それにあの時君が持ってたのは、オレらが来る前からずっと使ってた紙コップだったよね? お魚ちゃんはずっと持ってたし、君がコップを置いて席を立つこともなかった。君に気づかれずに何か入れることなんて、できなかったと思うけど?」

「そ、それは」


 正論で返されて、わたしは口ごもってしまいましたです。言われたことは全て事実ですし、お酒だってスマホで検索してみれば一発でヒットしました。

 それでも、わたしの中の疑念は一向に晴れないのです。余裕綽々といった様子のパリピが怪しいのは変わらないですが、かと言って決定的な証拠もありません。


 にもかかわらず、何かをされた感じが全く否めないのです。舌の上に見えない髪の毛が乗っているかのような不快感を覚えます。


「気苦労の方は分からないけど、身体の調子はいいんでしょ? なら、元気になって良かったーって思えばいいじゃん。そんな小難しく考えなくてもさー」

「で、でもっ。わたしは元々」

「そう、君は元に戻っただけだよ」


 言い返そうとした言葉に、パリピが優しく被せてきましたです。


「ちゃんと思い出してごらん。詳しくは知らないけど、多分、君はそんなんじゃなかったと思うよ。あっ、あと体調が悪いなら、お祭りも行かない方がいいんじゃない? 身体が第一だしねー。じゃ、オレはこの辺で」


 百葦祭(ももよしさい)のことをパリピに話した覚えはないんですが、何故知っているんでしょうか。わたしを搬送した際に、クロちゃんにでも聞いたんでしょうか。っていうかこいつは、なんでこんなことを言うのでしょうか。

 あれやこれやと考えを巡らせている間に、パリピは立ち上がりました。そのまま行ってしまいそうになった彼の背中に、わたしは慌てて声をかけます。


「ま、待つですっ。まだ話は終わってない」

「オレの手の届く範囲に君がいた」


 立ち止まったパリピはボソッと零すと、綺麗な笑顔と共にこちらを振り返りましたです。


「それだけだよ」


 背後の木々が風に吹かれてざわめき、新緑の葉っぱが舞い踊りました。イケメンの彼と合わせて、まるで一枚の絵画のようなその光景に、わたしは息を呑んでしまいます。


「あっ、もちろん飲みに行くなら大歓迎さ。また一緒に遊ぼうね、お魚ちゃん」


 ひらひらと手を振った後、パリピはさっさと行ってしまいましたです。こちらの静止も聞かないまま、彼の高い背中が小さくなっていきます。

 慌てて追いかけようと立ち上がった時に、声をかけられました。


「ごめんカナちゃん、待った?」


 顔を向けてみれば、いつもの黒一色コーデに身を包んだクロちゃんがいましたです。手に持っている手提げ鞄も黒なので、茶髪以外は統一感があります。


「後期からは実習があって、農場とか演習林に行くことになったんだけど、大学に来る送迎バスの予約方法が未だに紙提出なんて信じられな」

「…………」

「カナちゃん?」


 クロちゃんの話を聞き流しつつ視線を戻してみれば、パリピの姿はなくなっていましたです。キョロキョロと周りを見回してみても、あの背の高い男の影はありません。


「なんでもない、です。じゃあ、ご飯は何処にいきましょうか」

「そうだね。今日はパスタって気分だから、南門の方の洋食屋さんとかどうかな。この前グルメログにも載っててさ」


 特に要望のなかったわたしは、クロちゃんの提案通りのお店に向かいましたです。程なくして着いた個人経営の喫茶店で向かい合って座り、おススメのお手製のカルボナーラを食べつつ、彼女の愚痴に付き合いつつ。わたしは一人、昔を思い出してみました。

 あのパリピに言われたから、というのは癪ですが、最近は今と、ホウロク様との未来のことしか考えてなかった気がします。


 そう言えば、亡くなった両親のお墓にさえ行ってなかったです。両親のお墓参りなんて毎年行って当たり前だと思うのに、これは一体どういうことなんでしょう。

 ホワイトソースの中に紛れ込んだ黒胡椒がピリリとアクセントになるパスタを口に運びながら、わたしは思いを馳せました。


 昔と、自分の生まれ育った故郷について。

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