第七話「パンツ一丁で脱衣所に入って来たデブの中年」
目覚めたわたしの視界に真っ先に飛び込んできたのは、いつぞやにクロちゃんとゲームセンターで取った首領(ドン)ウッサのぬいぐるみでした。
立派なおひげにお洒落なネクタイ。少しメタボ気味のネザーランドドワーフは、いつもベッドで右を向いて寝ると丁度目線が合う高さに置いてあるです。ああここは自宅なのかと、息をつきました。
同時に、昨夜の光景思い起こされるです。
「わ、わたしが酔いつぶれるなんて、です」
初めての経験に、わたしは戸惑いを隠せませんでしたです。
今まではどれだけ飲んでも酔っぱらうなんてことがなかった筈なのに、一体全体どうしてしまったのでしょう。あのパリピからもらった日本酒を飲んだ後の記憶が、全くありませんです。服だって、昨日のままじゃないですか。
それ以前に、わたしはどうやって帰って来たんでしょうか。帰巣本能が仕事をしてくれたのか、あるいは誰かが送ってくれたのか。枕元にあったスマホで確認してみると、クロちゃんからのチャットが来てました。
『昨日は起きたら或辺先輩がいて、びっくりしちゃった。目が覚めたらあんなイケメンが声をかけてくれるんだもん、夢の続きかと思っちゃったよ。あ、あと珍しくカナちゃんが潰れてたから、或辺先輩と一緒に連れて帰ったよ。二人きりの夜道なんて、本当に乙女ゲームの一コマみたいで。ちゃんと喋れてたのかは不安なんだけど、でも或辺先輩と連絡先も交換できたし。これがワタシの大学生活の始まりなんだとしたら、今までの全部がこれから始まる物語のプロローグだったって』
「あたまいたい」
ズキズキと痛む所為で、クロちゃんの妄想全開の怪文が頭に入ってきませんです。辛うじて分かったのは、彼女の案内であのパリピに送ってもらってしまったということでした。どうやら後者だったみたいです。
あんな奴の世話になってしまうとは、不覚です。関わりたくないのは山々なのですが、面倒をかけたのであれば、一応、お礼は言わなければなりませんね。人のことを魚呼ばわりする奴相手には、実兄以上に気が重いですが。
こういう時は最愛の人のお姿を見て、心を落ち着かせましょう。スマホ側面にある電源ボタンを押して画面をブラックアウトし、もう一度押します。画面が再度点灯し、時刻や日時と共に設定した壁紙が現れました。
わたしの敬愛する、ホウロク様のバストアップ写真です。
「…………」
てっぺんは地肌が見えている黒く薄い頭髪。膨れ上がる脂肪は顔と腹を内側から盛り上げており、常に肌が汗ばんでいてヨレた白いタンクトップは湿っていて。吹き出物が出来た顔はニタニタといやらしい笑みを浮かべており、一歩歩くだけで汗が身体から滴り落ちるお姿が目に浮かぶです。
うん、褒めるところしか見当たらな。
「ごしごし」
わたしは画面を閉じて、目を擦りましたです。
うん。多分、疲れというか酔いがまだ完全に抜けきっていないみたいですね。そんな訳ないじゃないですか。
薄い胸に手を当てて一度深呼吸した後に、わたしはもう一度スマホの電源ボタンを押しました。
「…………」
再度確認したホウロク様のお姿は、先ほどと何一つ変わっておりませんです。というか、前々から持っていた写真なのだから変化する筈がありません。わたしはずっとこれを見て、胸を高鳴らせていた、筈でした。
「……キモイ。っ!?」
自分で口にした後、自分でびっくりしてしまいます。
わたしは今、ホウロク様の写真を見て、何を言ってしまったんですか。
「そ、そんな筈ない、そんな筈ないですっ!」
慌ててパスワードを解除した後に、わたしはスマホ内の写真アプリをタッチしました。ホウロク様の写真をアルバムとしてまとめてあるのです。
大学受験勉強で辛かった時も、わたしはこれを見て乗り切ったんじゃないですか。勢いよくアルバムをタッチした後、わたしはズラリと並ぶホウロク様の写真をスクロールしていきました。
笑っているホウロク様。
コマネチというギャグをしているおじさん。
投げキッスをしているてっぺんハゲ。
一緒にお風呂に入ろうと冗談を言いながら、パンツ一丁で脱衣所に入って来たデブの中年。
「おえええええええっ!」
わたしはスマホを投げ出すと、近くにあったゴミ箱を抱いて、お腹の中に残っていたものを残さず吐き出しましたです。気持ち悪い。
「はあ、はあ、はあ、はあっ」
荒く息を吐いていると、ゴミ箱からほのかにアルコールの臭いが漂ってきますです。
ゴミ箱を横に置いた後で、わたしはフラフラと台所へと歩いていきました。冷蔵庫を開けて、買い置きしておいたミネラルウォーターをラッパ飲みします。
「んぐ、んぐ。はあ、はあぁ」
純粋な水が食道から胃に流れ込んでいき、一気に頭が冴えていくような心地がありました。同時に、先ほど芽生えてしまった感情に対する、違和感も。
「なん、で?」
自分で自分が信じられませんです。頭の中がぐちゃぐちゃになり、落ち着かない心地があって、身体がソワソワします。
「寝ましょう。おそらく、二日酔いが残ってるんです。そうです、そうに決まってます。たかが一日やそこらで、人間の意識が変わる訳ないじゃないですか」
首を横に振ったわたしは臭うゴミ袋を縛って封印し、ベランダに出した後で二度寝を決め込みました。
昨日パリピなんかと飲んだから、疲れているんです。起きたらまた、わたしは元通りです。今までと何にも変わらない日常が、あの人を想える日々がやって来る筈なんです。
そうに、決まっています。
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