第一話「お前、今、わたしのことなんつった、です」


 わたしはあの日、おそらくこの世で月に一番似合わないであろうものを重ねましたです。

 時刻は綺麗な満月が地上を見下ろしている夜遅く。場所は海沿いにある大学の近く。学生向けのアパートがひしめき合い、人気の少ない場所もまばらに出来る、そんな所にて。


 春先の新歓ラッシュでアホほど忙しかったバイト先の飲食店からの帰り途中であったわたしは、白目を血走らせ、明らかに正気を失っているであろう男性変質者と目が合ってしまいましたです。


「こんばんは、です」

「ォォォオオオオオオオオオオオオッ!」


 わたしはマナーとして挨拶をしてみましたが、変質者は咆哮しながらこちらに襲い掛かってきました。目と目が合うと戦いになる。どうやら変質者の習性は、ポケモントレーナーと同じみたいです。

 奴はわたしとの距離を詰め、両手を開いてこちらを捕まえようとしてきやがったので。


「ふんぬっ」


 わたしは相手の手に自分のを合わせ、ガッチリと捕まえてやったです。

 血管が強く浮き出る程に力を込めているであろう奴の腕と、身長と共に伸びなくなった細いわたしの腕がぶつかり、ピタリと止まりました。頭一つ分は大きい奴と、両手で押し合う形での拮抗状態となります。


「なんじゃとっ!?」


 変質者の向こう側には、二人の人間がいました。一人は女の子です。

 紅いメッシュが入ったおかっぱ頭に、大きめの紅い瞳。赤を基調とした白い縁の狩衣に、ミニスカートレベルで短い袴。足には黒いニーソックスと赤い鼻緒の黒下駄を履いている、何故か喋り方がおじいさんみたいで可愛い子です。


「馬鹿、な。なりそこないとは言え、相手は人式神の」


 その女の子の後ろにいるのが、膝をついて胸を押さえている男性です。

 金色の短髪と黒髪のツーブロックの髪型。綺麗に整った顔と紅い瞳。白いシャツと黒いチノパンを履き、足には茶色いローファーの靴。屈んではいますが背丈も高そうで、一般的にイケメンに属する方ですね。


 わたしはその男子に見覚えがありました。学部は違うですが、大学内でもパリピで有名な或辺ハルアキ先輩です。


「口で言っても分からないのなら、実力行使です」


 わたしは一度目を閉じ、奴を睨み殺そうとする勢いで目を見開きました。

 同時に腕に力を込めると、拮抗していた手を段々と押していきます。奴も踏ん張ろうとはしていますが徐々に押されていき、素足がアスファルトの地面と擦れる音が響きました。


「結構、やる、ですね。じゃあ、こう、ですっ!」

「ォオオッ!?」


 一気に押し込んでやろうと思っていましたが、予想以上に抵抗されたので路線変更です。わたしは押してくる力を利用して奴を引っ張り、その場で回転します。

 ハンマー投げのようなイメージで、一回転、二回転、三回転、四回転。そろそろいいでしょう。


 わたしは腕力に四週して得た回転エネルギーを上乗せして、奴を宙へと放り投げました。


「うらぁぁぁっ、ですっ!」

「ォォォオオオオオオオオオオオオッ!?」


 胸くらいまである自分の黒髪が、遅れてわたしの顔に当たります。それを退けて視線を上げてみれば、奴は空高く舞い上がっていましたです。

 叫び声を上げる奴の姿はどんどん小さくなり、夜空に浮かぶ満月と同じくらいの大きさになり、やがては満月よりもどんどんと小さくなっていき、そして。


 キラーン、という効果音が聞こえてきそうな感じで、まばらに散っているお星さまの一つになりましたです。まあ、その輝きは一瞬にして消えてしまいましたが。


「ふう、手ごわい相手だったです」

「    」

「    」


 まさか本気を出すことになるとは、思っていませんでした。わたしとタメ張れる程のパワー系変質者とは、妖怪か何かだったんじゃないかという気さえしています。まあ、いなくなった今は、もうどうでもいいですが。

 やれやれ、と腕で額の汗を拭っていると、あんぐりと口を開けている或辺先輩と女の子の姿が目に入りましたです。


「主様、今のは」

「ああ、アヤメ。あの怪力にあの目、間違いない。これは放っておけないぞ」


 彼らが何やら呟いていますが、女の子の名前がアヤメということと、わたしの目が真っ赤になっているであろうことは察しました。

 先ほどの奴ではありませんが、力を入れるといつも目が血走ってしまうのです。年頃の一人の女の子としては、困ったものです。


 って言うか或辺先輩、こんないたいけな女の子に主様とか呼ばせているんでしょうか。そういう趣味があったとは驚きです。


「えーっと、改めて大丈夫ですか或辺先輩。何か苦しそうでしたけど」

「あっ。ああ、ごめんね。ちょっとした発作だけど、いつものことさ。もう大丈夫だよ」


 駆け寄ってみると、彼はちょうど立ち上がったところでした。


「そうですか、良かったです。この時期になると変な人が多くて、困ったものですね。では、わたしはこれで、です」


 問題ないのであれば、ここはそそくさと立ち去りましょう。

 非日常的なひと時でしたが、相手は男も女も侍らせて飲みまくっているという、とても評判のよろしくない或辺先輩です。ただの飲み会で人を呼びまくった結果、小規模のライブに変えたとかいう現実味のない噂まである程です。


 変に目をつけられる前に、さっさと退散しましょう。わたしには心に決めた人もいることですし。


「ま、待って。せっかく出会えたんだし、名前くらい教えてよ。お礼もしたいしさ」


 と思ったら、或辺先輩に回り込まれてしまいましたです。

 笑顔と共に両手を広げることで友好的な態度を示しているのかもしれませんが、逃がさんお前だけは、と言っているようにしか見えません。


「人文学部二年、日佐おさカナカです」

「下級生だったんだ。オレは或辺ハルアキ、よろしくね」

「知ってるです」


 さっき名前を呼んだじゃないですか。


「そっかそっか。でさ、せっかく会えたのも何かの縁だし、この後飲みに行かない? 助けてくれたお礼に奢るからさ」


 ほら来た。

 或辺先輩は男女問わず、手あたり次第に声をかけていくことでも有名です。みんなで楽しいことしてれば良いとか言ってますが、だからってこっちまで強要される謂れはありません。


「結構です。わたしはそういうの、間に合ってますです」


 わたしはハッキリとそう告げると、或辺先輩の横を通り過ぎていきました。しかし彼は、わたしの隣にピッタリとくっついてきます。


「そんなこと言わないでさ、ね、一回くらい良いでしょ? えーっと、日佐カナカちゃんだから……お魚ちゃん。ね?」

「あ?」


 ピタリ。わたしは足を止めました。

 食い下がってくる或辺先輩がしつこかったから、というのももちろんなのですが。それよりも何よりも、彼がわたしの許せない領域へと足を踏み入れてきやがったからです。


 お前、今、わたしのことなんつった、です。


「わたしのことをお魚と呼ぶな、ですっ!」

「ぶへらァッ!?」


 わたしは目を見開き、しゃがみ込んだ後に全力で飛び上がりながらアッパーカットをかましてやったら、或辺先輩、もといパリピは錐もみ状に回転しながら宙を舞い、真ん丸なお月様と重なりました。

 月とパリピとわたし。


 酷い、まだすっぽんの方がマシでしょう。風流と侘び寂びがキレて殴りかかってくるかもしれません。

 やがて重力の影響を受けた彼は、近くの五階建てのアパートの屋上に墜落しました。


「次にそう呼びやがったら、命の保証はしねーです。って言うか、二度とわたしに関わってくんな、です」


 わたしは踵を返すと、気持ち強めに足を踏みながら歩き出しました。

 小学校の時、わたしはこの呼び方の所為で散々からかわれたのです。名付けた両親が早くに他界してしまった為に、お前らさえいなければと何度魚類を呪ったことか。死んだ人より今を生きている方を呪わないと、効果が期待できませんからね。


 お陰で今や、わたしは魚類の一切が嫌いになりました。なお、貝やタコやイカは許すです、美味しいので。


「……何とかせねばならんのう」


 帰り間際にアヤメちゃんが何か言っていましたが、わたしは全く意に介さないまま帰路につきました。

 いま思えば、これが始まりだった気がします。

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