俺は、ずっと俺になりたかった。


 何を言っているんだと思うだろうか。要するに、俺は自分という人間を長い間見失っていたのだ。いや、見失っていたというのは嘘だ。正確には、俺は自分自身が嫌いだったのだ。


 何かになりたかった。


 サッカー選手、野球選手、漫画家や小説家。

 アイデンティティを求めた。

 アニメやライトノベルに精通するオタクやクラスの人気者になりたいと思ったこともある。

 俺はずっと誰かになりたかった。自分以外の誰かに。

 でも、そんなことはできない。

 俺は、俺にしかなれないのだから。


 これを読んだ人は、何をお前当たり前のことを、と考えるだろう。同意する。これは当たり前のことだ。でも、あのときの俺は、そんな当たり前のことが当たり前ではなかった。

 20年だ。

 20年、俺は自分が自分であることに耐えきれず苦しんでいた。俺という人間を受け入れることができずに、小学生のころから苦しみあえいでいた。

 毎日のように泣いていた。

 と書いて、今もよく物語に感動して一人で泣いていることに気がついた。ただの泣き虫だ。


 あるとき、俺が苦しんでうずくまったときに声をかけられた。大丈夫? しんどいの? と。そのとき俺は初めて知ったのだ。自分が体調不良に苦しんでいることに。

 自分の感覚が自分のものとして感じられなくなっていた。

 快不快というような感覚が、驚くほど鈍くなっていたのだ。


 感覚がある程度戻ってきてようやく何かに取り組むとき、どのように対処をすればいいのかわかるようになってきた。たとえそれが自分の好きなことであっても、不快というものは訪れる。

 たとえば小説を書くときだってめんどくさいと思うこともあれば楽しくて仕方がないときもある。以前の俺は、小説を書くという行為が好きならめんどくさいなんて思うはずがないなんてことを本気で信じていた。


 俺はゲームがそこまで好きではない。でもかつて俺は、ゲームが好きではない自分がおかしいと本気で思っていた。ゲームは面白いと感じるはずなのだと。なぜなら、自分の周りの人間が面白いと言っているから。

 無茶苦茶である。


 自分を必要以上に卑下して、価値観を外に置いてしまった。


 価値観を他人に委ねてしまうと、人はたやすく狂うことを身をもって知った。


 こうなってしまった原因は、ひとえに環境である。

 何度も人生を呪ったが、今はもう何も思わない。嘘である。たまにため息をつく。


 そして、俺自身もまた自分を傷つけてきた。なんでお前はこうなのだと、死んでしまえと何度も自分で自分を呪ってきた。

 ひどいことをしてしまった。


 今、俺はあのときの俺が、もしもこういう人間がいてくれたらと思う人間を目指している。

 あのときの俺のために生きている。

 そんな俺を、心の底から愛している。

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