書きたい+トレーニングの話

 もっと書きたいいっぱい書きたいと思って今書いている書くことは今から考える。


 書こうと思えばいくらでもネタはあるが、書くほどのネタか?と考えると手が止まる。


 というか小説で扱うネタにしろよっていうものがいっぱいある。


 そうなると結局書くものがないので書きたいのに書けない。

 そうして書けないということを書いている。

 書きたいのに。


 そうだジョギングや筋トレの話をしよう。

 別にジョギングや筋トレのプロというわけではない。ただ、ジョギングや筋トレが俺にもたらしているものを書きたい。いかに素晴らしいかを説きたい。別にみんなもやろうと言いたいわけではない。むしろ全人類が当たり前にジョギングや筋トレをしていい体になるとなんだかやらなければいけない気分になって嫌なのでむしろしないでほしい。ちょっとがんばったらすご~いって言われる世界であってほしい。


 ちなみに今俺は筋トレもジョギングもできていない。やりたいが時間がない。こんなことを書く時間があるじゃないかと言われても困る。これは我慢ができなくて書いているものだ。いわば息抜きである。息抜きにしては長すぎると自分でも思わなくはない。


 俺は自己肯定感が低い男である。なんとも情けない話だ。しかし、ことジョギングや筋トレになると話は変わってくる。なぜなら自己肯定感の低い人間ほどトレーニング(いちいちジョギングや筋トレと書いていると長いのでトレーニングと書くことにする)にハマるからだ。


 トレーニングは素晴らしい。なぜなら時間をかけたらかけただけ結果につながるからだ。ついでに体がムキムキになったり長時間歩いていても苦に感じなくなってくる。


 これを読んで、頭に「?」と浮かべた人に書いていく。同意した人はちょっと飛ばしてもいいかもしれない。


 たとえば俺が大好きな小説。これは、時間をかけたらかけただけ結果につながるだろうか? 答えは否だ。さささっと書ける部分もあれば、一文一文頭を抱えるところもある。さらに、大量に書いたあとに小説まるごとをなかったことにしたり、何千何万文字と消してしまうことがある。

 つまり、進捗が一定ではないのである。

 対してトレーニングはどうだろうか? ジョギングは一歩進めば一歩分進む。その一歩を後からなかったことにするようなことはスタンド能力でもなければできないだろう。筋トレもそうだ。ただし、筋肉の成長度合いや筋肉を増やした結果できる体に個人差はある(ボディビルは才能がとても大事)。だが、5キロのダンベルを一回持ち上げたら、一回持ち上がる。そこにごまかしはきかない。

 ごまかしが利かないぶん、その歩みは確実に記録として残るのだ。


 これは素晴らしいことである。

 一歩進んだら一歩進む。

 小説はたまに一歩進んだら十歩くらい下がっているのだ。とんでもない話である。


 要するに、がんばったらがんばっただけ結果につながるのだ。

 そして、これだけがんばったという証拠が体に刻まれる。

 自己肯定感の低い人間にとってこれはクラクラするくらい魅力的なことである。日常の端々でお前、これ持ち上げられるのか。お前、これだけ走って息一つついてないのかと自分で自分の運動能力の向上に気がつき、自信につながる。


 トレーニング楽しい!


 楽しくないなあと思いながらやらなくてもいいと思う。そりゃ健康のためにはやるべきではあるんだろうが、俺自身が楽しいと思わなければ何も続かない性格なのでそんな苦しみながらやるくらいならもうやらなくてもよくね? と感じるのである。


 書き終わってしまった。まだ書きたいのに。書くネタがなくなってしまう。

 いやまあ前述したようにあるにはあるんだが、小説のネタなのである。

 じゃあ小説書けよと頭の中で自分自身にツッコんでしまった。ごもっともすぎる。でもやらなあかんことあんねん。じゃあそれやれよ。うう。

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