2 クソとまぐわって生まれたクソのガキ

 その小説を書いてみようと思った理由は、自分とかけ離れた人物像を書いてみたかったということにつきる。つまり、女の子に笑われないほど腕っぷしが強く、要領が良くて仕事もはやい。自信家で、S寄りの気質で(つまり僕はややMっ気があるってこと? その通り。ただし相手は美女に限る)、汚い言葉も平気で口にし、人の目を気にせず自由に振るまう。人生経験も豊富で、大学生のような若造ではない。そんな男を。

 彼の名前はゆずりは禎二ていじ。歓楽街に程近い雑居ビルで生活している。目立ったベストセラーはないが、本の虫たちにはよく知られた小説家だ。そんな彼には裏の顔がある。夜の街の厄介ごとを解決する私立探偵という一面だ。ある日、彼が馴染みのバーでグラスを傾けていると隣の若い女が話しかけてくる。女はいわゆる夜の店で働いているのだが(ちなみに僕はこの手の店に入ったことはないし、件のウイスキーのように少々の経験をしてみる勇気も金もない……とりあえず今はまだ)、キャバ嬢の友人の身辺で奇妙なことが頻発しているというのだ。探偵は言う。「俺からのアドバイスだ。他人のことに首を突っ込むのは探偵に任せとけ」


「俺はお前が傑作をものにするためにアドバイスをしにきた。つまり物書きとしての教育係ってわけだ」

 男――いや、杠禎二は言った。

「いや、しかし……信じられない」

「お前が信じようが信じまいが、そんなことは俺にはどうでもいい。まあ、明日になれば、お前はこう思うかもな。『昨日のあれはなんだったんだ? 僕の頭の中で生まれた男が酒を片手にふらふら現れて、くだらん御託をわめいていくなんて。あんなクソったれなこと、現実なわけがない。あれは夢。僕は疲れてるんだ』ってな」男は僕をバカにしたような身振り手振りをつけた。実際、バカにしていたんだと思う。

「これが夢じゃないなら、どんな奇跡が起きたんだ」

「俺に言わせりゃ、母親の股ぐらからテメエが出てくる以上の奇跡なんてこの世にはねぇな」

「あなたを生んだ親は僕じゃないのか?」

「お、たしかにそうだな。そういった意味じゃ、これは奇跡でもある。パパ、産んでくれてありがとう!」男はふざけた口調でそう言うと、耳障りな笑い声をあげた。夢なら早く覚めてくれ。男はグラスを口につける。「夢だと思ってんなら、こいつを一口どうだ。マッカラン。間違いのない酒だ」

 飲んでみる。喉奥から広がる熱さは腹立たしいほど現実的だった。

「これが夢だと思うなら、俺はそれでもいい。ここで話したことさえオツムの中にしっかりしまっといてくれればな」

「……もし忘れたら?」僕は訊いた。

「またここに来る。ただ、次はソファーで和やかに談笑するつもりはない。やり方ならたくさんあるからな」男はジーンズに差し入れた硬い膨らみをそっと撫でた。「たしかに俺は架空の人間だが、与える痛みは本物だ。試してみてもいい」

 わかりました、と言いかけてやめた。脅しをかけているが、これまでの話が本当ならこいつは僕の創造物のはずだ。うやうやしく敬語で接する必要などない。

「わかったよ。話をしよう」

「そう、それでいい」男はグラスを置いた「話ってのは、あんたが書こうとしている小説のことだ。俺の小説と言ったほうがいいか?」

「ああ、それがなんだって……」

「あれは掛け値なしのクソだ」男は言った。「それも三日間溜めこんだ下痢グソと言っていい。クソとまぐわって生まれたクソのガキだ」

 自分の中からこんなに貧弱な、それも下世話な語彙力しかない男が生まれてしまったことを僕は恥じるべきなのだろうか。僕はただ大まかなプロットとキャラの履歴書を作っただけだ。ここまで酷い人物を想定していたわけではない……と思う。「そうか。まだ準備段階だけどね。気にいらなかったかい?」

「文章は人並みに書けるようだが、話の中身は地獄のつまらなさだな。週刊誌の三文記事を切り刻んでデタラメに並べた方がまだ面白い」

「それはずいぶん辛辣な意見だね」

「探偵が悪の権力者相手にドンパチやる話なんて、この世の中にどれだけあると思う。いまさらこんな話を読む時間があるなら、適当なVシネマを見てスケベ女優の濡れ場でシゴいてた方がよっぽど有意義だ」

 ため息が出る。「それじゃあ、どんな話なら面白いか意見を聞かせてほしいね。僕が今回書きたいのはハードボイルドとアクションだ。だからあなたの言う……」

「ハードボイルドとアクション。それがつまらん」男は言った。

「ちょっと待って。杠禎二、つまりあなたはそのために作ったキャラだ。アクションシーンをふんだんに盛り込むために、銃の扱いにも長けた肉体派の探偵を作ったんだ」

「なあに、俺の自慢は身体だけじゃない」男はにやりと笑みを浮かべ、人差し指で自分の頭を指した。「ここがある」

 そうか。杠禎二を自信家というキャラ設定にしたのが間違いだった。「いや、もちろん頭は回るのは知っている。僕がそうしたからね。でも……」

「それなら俺の良さがもっと生きる物語にするべきだな。探偵で頭脳といえばいろいろあるだろ。ほら、密室トリックとかアリバイ崩しとか」男は満面の笑みだ。「ああいうのがいい」

 呆れた。要は自分の好きにやりたいだけ。これでは台本の自分の役にいちゃもんをつけてくる役者と同じではないか。

「ちょっと怪しげな雰囲気なのも悪くないな。横溝正史やクリスティを知ってるだろ。村に伝わる言い伝えやらわらべ歌の通りに人がおっんでいくってやつだ」

「この話に出てくる殺人事件は、スナックやキャバクラがひしめきあう繁華街の雑居ビルで起きるんだ。うらぶれた山村でも絶海の孤島でもない」

「だから何だ。お前は作家だろ。少しは創作能力を発揮したらどうだ」男は苛立ちをあらわに言った。「キャバクラビルに伝わるわらべ歌を作ればいいだろうが」

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2024年12月6日 12:00

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