song 001

久保海斗

1983年12月10日生まれ 東京都出身

東京都立 吉祥寺南高校卒業


ロックバンド back to the basics ボーカル/ギター

主に作詞を担当



僕と海斗の出会いは1999年の春、吉祥寺南高校 入学式だった。


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 僕は、小学校の頃はサッカーをしていた。自慢じゃないけど、それなりのもので、チームとしては東京都大会ベスト8。個人としては東京都ベスト11に選出された選手だった。

 ポジションはアンカー。守備的な役割を主に担いながらもチーム全体のバランスをとる舵取り役。決して目立つタイプの選手ではなかったと思うけど、僕の実力は、サッカーをよく知るサッカー関係者からは高く評価してもらっていた自負がある。


 当時はまだ、Jリーグ黎明期で、Jリーグの下部組織といえど、新参チームという位置づけ…というよりは余所者よそものだったため、

「Jの下部組織なんてなんぼのもんじゃい」という思考と、

「優秀なサッカー少年」をJの下部組織にとられたくないという考えから、

徹底的にJの下部組織はあらゆる大会から排除されていた。

 それでも確かな資本力と指導法をもつ下部組織に、優秀なサッカー少年たちはどんどん奪われて行っていた。


 僕は、言っても同年代の東京都でベスト11に入る実力。正直言って、この段階では"夢"というレベルではなく"目標"というレベルでプロのサッカー選手になることを明確に意識していた。


 そうして、1996年春、12歳の時にジャパンフットボールリーグ(JFL)の有力チーム、武蔵野エレクトロFCの下部組織に入団した。


 JFLは、Jリーグが出来る1993年までは日本サッカー界の最高峰リーグとして、Jリーグ発足後は実質的な日本サッカーのセカンドカテゴリーに位置するリーグだった。


 自宅から自転車で30分程度で行くことが出来る位置にJFLの有力チームがあるのだ。将来のプロサッカー選手が明確な目標である武蔵野エレクトロFCは、僕が進むのに最適なチームであったことは間違いなかったと思う。


 僕は横川エレクトロFCに加入した後、すぐさま同世代のU-13チームでチームの中心となり、同時に2歳年上のU-15チームでもメンバー入りをした。

 自分のサッカー選手としての自信を明確にしていった。


 そして、僕にとっての最初の人生の分岐点。1997年7月23日 運命の方向を決める日の1年前。 

 僕にとっての初めてのJリーグ下部組織との試合、ミニスター横浜ジュニアユースチームとの試合に挑んだ。


 その日、僕の"目標"は、"夢"になり、そして"かつてみた夢"になった。





 僕は14歳にして、違う夢をみなくてはいけなくなった。






 

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