倫理が溺れたけーきを食らう

 河今治は、清見との待ち合わせ場所である渋谷駅へと向かう。


 電車は満員……というより、人々が思いのままに発する吹き出しが、電車に詰まっていた。



(明日は、玉ねぎのみじん切りが降るのか……)

(豊穣党ってクソだな)

(大好きな加藤くんが振り向いてくれますように)

(人生詰んだわ、俺)

(単語覚えられない……)



 そういった人々が発した「思い」が、漫画の吹き出しとなって現れて、天井にまで積み重なっていて、それで、電車内が満たされていたのだ。触ると、空気が入った風船のような感触を得る。




 河今治の目の前には、文字通り、スマホの画面に「頭を突っ込んで溺れる」人が座っている。


 その隣には、新聞紙を首に巻いて自殺したスーツのおじさんの死体が、フラフラと揺られながら、ぶら下がっていた。


 さらにその隣、狐のお面を取って素顔を晒し、化粧をするセーラー服の少女が座っていた。


 さらにさらにその隣、狸のお面の上から眼鏡をかけた黒制服の中学生が、よくわからない言語の単語帳を読み込んでいた。



(なんだ、これ)



 河今治も、そのような吹き出しを残して、人と吹き出しの波に飲まれるように、電車を降りた。



「お待たせ」


 ハチ公前で待っていると、約束の時間よりも5分遅れて、清見が姿を現した。肌をつんと刺すような寒さからか、彼女は、黒いコートを羽織っていた。



 河今治と清見は、さっそく、【偽日本】の街を歩き始めた。



 まずはじめに鼓膜を破らんと響いたのは、演説の声であった。


「みなさん、お時間をいただきます、日本豊穣党の、重正洋一郎と申します~」



 駅前には、人の塊が群雄割拠していた。まるで、銀河系の星々のように、ひしめき合い、殴り合い、支持する政党の候補者が乗った巨大ショートケーキの前で「にっぽん万歳」を叫んでいた。



 その光景は、非常に奇妙だった。


 各政党の候補者たちは、家屋に匹敵する大きさのショートケーキの上に乗っている。そんなケーキが、いったいどこで生産されているのだろうか。



「豊穣万歳!!豊穣万歳!!」


 現代日本の選挙ではありえない盛況ぶりだった。



 豊穣党支持の人々は、リンゴの皮を、ケーキの頂点に立つ候補者であろう男に投げつけている。



 候補者の男の容姿もまた、奇妙であった。


 鳥の仮面を顔に被っていて、尖ったくちばしから、おそらくからすの面ではないかと、河今治は思った。まるで小学生の運動会で使う大玉のように丸々と太り、そして風船のように大きく膨れ上がった体をしていて、それに不相応に小さいスーツを着ている。今にも、ズボンのチャックやジャケットのボタンが弾けそうなぐらい、体がパンパンに膨れ上がっていた。



「ふ、風船人間……?」


 よくよく周囲を見てみれば、他の政党の候補も、丸々と膨れ上がっていた。




「豊穣党の人間は、殺しなさい」


 国民大連合の文字ののぼりを立てたケーキに乗る男が、群雄割拠する人々を煽った。


「そういう大連合さん、国民の仮面を犬に変えるという公約は、達成できそうですか?」


 豊穣党の候補の男が、ケーキの上のイチゴに短い両足で立って、言い返した。


「やはり、わが国は『化かし合い』が馴染みますな!」


 もう一つの大ケーキに乗った、農業興行党の候補の男が、皮肉っぽいことを言った。




――民衆と、候補者たちは、ビルを倒壊させんとばかりの大声量で、笑った。



「「「ぎゃはははははははははは……」」」と。



「うるさい……」

「うるせぇ……!」


 清美も河今治も、両手で耳を覆った。こうしていないと、大声量によって鼓膜が破れそうだった。



 民衆を見下ろして、豊穣党の候補者の男が、マイクを使いだした。


「ありがとうございます、国民の皆様方!そんな皆さまに、党からプレゼントがございます!」



 男の体が、ビルの高さにまで膨れ上がった。そのまま、バーンっという破裂音を響かせ、「お受け取りください!そして、比例は我が豊穣党に、よろしくお願いします」と言った。



――自らを破裂させた男の体の内側から、リンゴの皮がバラまかれた。


「うわああああああ!!」

「林檎だあああああ!!」

「拾え!!」



 民衆は、地面にはらはらと落ちたリンゴの皮に、文字通り「食らいついた」。地面に這いつくばって、アスファルトを舌で舐めながら、リンゴの皮を食べているのである。



 次いで、他の候補……つまり、国民大連合と農業興行党の候補の体がケーキの上で膨れ上がって、同じく、破裂した。



「比例は、国民大連合!!!」

「うちの川野さんを、よろしくお願いします!!!」



 やはり、ドーンという爆発に似た破裂音のあとに、リンゴの皮がハラハラと宙を舞って降りた。追加の林檎に、民衆は我を忘れて食らいついた。



――狂っている。



 河今治は、民衆の空気を割る歓声に紛れて、そう言い残した。



 どうやら、これがユートピアと紹介される、法治国家の有様らしい。

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