憂鬱の監獄に囚われて

 巻物商事、企画戦略科のオフィスにて。


「君はさぁ、いつも勤勉で優秀だから、取引先の方々がいらっしゃったら、靴を舐め合うっていうのを、知ってると思ってたよ」


 彼は、3年勤めてきた中で、最も大きな失敗をしたのだった。



 彼は、廊下ですれ違った取引先の人の靴を舐めるという、この世界のビジネスマナーを知らなかった。


 

 係長からの長々しいお叱りを耐え抜き、ようやく解放された河今治は、後輩、明の隣のデスクに座る。


「はぁ……」



 図らずとも、深いため息が漏れた河今治。



 そんな、疲労と困惑極まる河今治を、じっと見つめる女性がいた。


「河今治さん?」



 それは、河今治の同期の【清見きよみ】である。黒髪で、長身な彼女も、例に漏れず、狸のお面を被っていた。



 彼女は、ホチキス止めされた書類を手に持ちながら、彼のデスクの隣に歩みよった。


「これ、来週の会議にまで入力をお願いしますと、部長からお預かりしました」

「はい、わかりました……」



 河今治は、おずおずとしながらも、書類を受け取り、彼の同期の清見は、オフィス真ん中の自分のデスクに戻っていった。


 書類の間に挟まっていた、薄緑色の付箋が、ひらりと、床に落ちた。


 付箋には、こう書かれていた。



『今日の終業後、一緒に飲みに行きましょう。話したいことがあります』



 

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