腐りきった禁断の果実を胃に納めよ

「お会計、1560となります」


 後輩に連れられて、狐のお面を購入する河今治。財布と取り出すと、鼻をつんと突く異臭に、顔を歪めた。



「はぁ!?」



 なんと、彼の財布の中の紙幣がすべて、林檎の皮になっていたのだ。


「早くしてくださいよ」

「早くって……金がねぇんだよ!」


 

 隣で明が、財布を開いたままで硬直してしまった河今治を急かした。


 店員は、何も言葉を発せず、支払いが終わることを待っている。



「あるじゃないですか、お金。早くだしてくださいよ」

「いや、これ、林檎の皮だろうがよ!」

「だから、早くそれを出してくださいよ!」



 語気を強めた後輩に対する困惑を隠せずにいながら、腐っていて、つんとした臭いを放つ林檎の皮という【通貨】を店員に手渡した。



 とりあえず、一番大きな林檎の皮を渡してみると、店員が「1万、お預かりします」と言った。


「先輩、いつから数字も数えられなくなったんですか……?」

「え、これ、一万なのか……?」

「当たり前じゃないですか!7.2センチメートル以上の皮は、一万の価値ありって、小学生でもわかりますよ!」



 どうやらこの世界においては、林檎の皮が通貨となっていて、7.2センチメートル以上の皮は、日本円でいう一万円の価値に匹敵するのだと、勘づいた。


「やべ、俺、ボケてるのかな……いや、やっぱり、俺がおかしいのか……?」



 狐の仮面を被りながら、背後の支払いカウンターへ振り返った河今治。後ろに並んでいた若い女性が、ポケットの財布から、黒みを帯びた茶色に変色したリンゴの皮を取り出したことを目撃する。


 狐面の店員は、やはり、何の疑問もなさそうに、商品を手渡している。



「疲れすぎてませんか、先輩」

「ああ、夢でも見てるみたいだ……」

「今日は、早く上がれるといいですね」

「そうだなぁ……」


 ぼんやりと空を眺めた河今治。


「先輩」

「な……なんだ?」

「来週の水曜、例の会議じゃないですか。資料、終わりました?」

「ああ……そんなのあったな。俺は、9割終わってる」

「もし余力がありましたら、僕の資料の作成、お手伝いいただけないでしょうか……」

「ああ、まあ、それぐらいなら」

「申し訳ございません……」

「いやいや、気にするなって」



 河今治は、隣を歩く明後輩と、日常の会話を交えながらも、仕事用の鞄から手帳を取り出した。



 来週水曜日には、赤ボールペンのインクで『13時会議』と書かれてあった。


 まさか、会社の予定はそのままで、こんな世界に連れてこられたということか……?


「ある……水曜日に会議……」

「どうしたんですか?」

「いや、何でもない」



 明にちらっと手帳を覗かれたが、これ以上、混乱を悟られないように、狐の仮面の下でも平静を装った。


 鞄に手帳を戻した彼は、視界の端に、勤め先の会社を遠方に捉えた。



 小規模ビルの看板にでかでかと『巻物商事』と書かれたここが、河今次と明の勤める場所である。


「こんな状態で、仕事、できるかな……」



 仮面の下で、ぼんやりと籠った河今治の声を聞く者は、誰もいなかった。



 いざ、業務開始。

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