第29話 月夜の逃走

 突如現れたヴェーネは、俺と話がしたいと言い出した。だから俺はこう答えた。


「えっ?嫌」

「はあっ!?」


 断られると思っていなかったのか、ヴェーネは心底驚いたような表情をしていた。俺としては、何故穏やかに会話ができると思ったのかが理解できない。


「大体お前、今勾留中のはずだろ?一体どうやって抜け出してきたんだ?」

「そこはちょちょいとね、あたし、おねだりするのは上手なの」

「流石、国王相手におねだりして、勇者の地位までもらった奴の言うことは違うな」

「あたしがお願いすれば大体聞いてくれるからね、老若男女問わずよ。あなたも、別に争いに来た訳じゃあないんだから、お話に付き合ってくれるだけいいでしょ?」


 意図は分からないが、敵意は感じられない。しかし大人しく聞いてやる義理もない。


「悪いけど興味ない。通報させてもらうよ」

「通報?女一人よ、あなたがお城までエスコートしてくれればいいでしょ。多少手荒にされても我慢するわ。それとも、そうすることができない理由でもあるのかしら?」


 ヴェーネの発言にぎくりとして、俺は動きが止まった。見透かされたような目に余裕そうな笑みも含まれている、非常に不気味だ。


 俺は努めて冷静にふるまっていたが、正直心臓はばっくんばっくん跳ね回っていた。もしかして、俺の弱体化がバレている?そう考えるほどに鼓動が速くなる。


「ぷっ、あははっ!その必死な顔、ウケる!探られたくないなら、あたしもこれ以上探らないわ。で、話を聞く?聞かない?どっち?」


 ぐぐっと言葉に詰まって、その後ぶはっとため込んだ空気を吐き出した。その大げさなため息の後、俺はヴェーネに言った。


「何を話したいんだ?」

「今回の件、色々気になることあるでしょ?その答え合わせをしてあげる」

「そりゃまた親切だな、そうする理由があるのかが気になるけど」

「そうね、ご褒美みたいなものかな。これは自慢だけど、あたし今まで誰かに関係性を暴かれたことって殆どないの。ましてこんな大々的に暴露されたのは初めてよ。悔しいけど、今回はあなたの勝ち。だからご褒美」


 いらねえ、心底そう思ったが、俺はヴェーネと向かい合って座った。




「なあ、お前たちが手足として使っていた兵、いくら王直属の私兵とはいえ、彼らも人間だ、感情のあるな。国のことを思って、一人でも不正に手を貸すことを疑問に思ったやつはいなかったのか?」


 俺はもう開き直って聞きたいことを聞いてみることしにした。まずは人手についてだ。国中の問題を解決して回るなど、どう考えても激務だ。それに問題の性質上、どんなに大きな功績を上げても、絶対に自分の手柄にはならない。命を張るのは兵士で、手柄はヴェーネ、こんなの納得できる訳がない。


「むしろ人らしい感情を持っているからこそ、ね。あたし、一人一人とお話をして、協力してってお願いしたの。ふふっ、そのおかげで皆忠誠心の塊のようだったわ。ヴィルヘルムに対してではなく、私に対してね」

「まさか、王の私兵を懐柔したのか?見返りもなしに?」

「見返りならあるわ。あたしに尽くせる。これ以上ない見返りでしょ?」


 ありえない、それが素直な感想だ。ヴェーネの話が本当なら、彼女は個人的に話をして、それぞれにお願いをしただけで、兵たちから信を得たことになる。


「…洗脳か、催眠か?」

「そんなもので人の心が操れる訳ないでしょ。それってむしろ逆効果よ、あなた力づくでやれって言われて、彼らと同じことができる?心を縛り付けるのは悪手よ、お願いして自発的にやってもらわなきゃ」

「…本当に可能なのか?そんなことが」

「あなた分かっているくせに、可能だったから、あたしは勇者でいられた。その結果がすべてよ」


 それは悔しいが、ヴェーネの言う通りだった。私兵の中で、誰かが和を乱すような行動をすれば、事態はもっと早く表沙汰になっていたはずだ。つまり彼らは、ヴェーネに従うことを心から受け入れていたことになる。


 しかし相手を意のままに操ることなんて、本当に可能なのだろうか、例えば俺が給料もなしに荷物を運べと言われたら…、絶対にやらない。見返り、見返り、報酬、報酬、頭の中でそれらがぐるぐると回った。卑しいかもしれないが、生き死にがかかってる。


 そして本当になんの気なしに、まったくそんな意図はなく、全然やましい気持ちはないが、ちらりとヴェーネのグラマーな体に目を向けてしまった。俺のその視線を感じ取ったのか、ヴェーネは心底軽蔑したような目で俺を見た。


「バッ!ち、違う、これは別にその、あれだ!だって、も、もしかしたら、そういうこともあるかもだろ!?手段としてさあ!!」


 どうして俺がこんな必死にならねばならない。泣きたくなってきた。


「ぷっ、ふふふっ!あっはっはっは!本当に面白いわ、リオン!ああ、最近こんなに笑ったことないかも、ふふっ、残念だけどこっちの武器は使ってないわ。かすらせる程度には使うけど、あなたの想像しているようなことには使わない。がっかりした?」


 こんな辱めを受けるのならいっそ殺せ、そう思った。こんな状況で答え合わせもくそもあるかよ。ムカつくので思い切りにらみつけてやった。子どもか俺は。


「…はあ、もういいや。じゃあ、どうしてヴィルヘルムに目をつけた?王様だぞ?」

「ああいう大物って、大抵心の底に鬱屈とした何かをため込んでるの。色々なしがらみでガッチガチに固めた外面の硬い殻、そのわずかな隙間を見つけて、柔いところをちょいっと突かれるとコロッと、ね」

「ただリスクだって大きいだろ?」

「だからあたしはそろそろ潮時だと思ってたの、あのスケベジジイも下心隠さなくなってきてたしね。引き際を間違えないのが、続けていくコツだったんだけど、あのおじいさんにはやられたわ。とんでもない隠し玉だった」


 勝負せず逃げるのが正解だった。そう言ったヴェーネは、初めて悔しそうな顔をした。まんまと出し抜いてやったと、ようやく少し勝てた気がする。


 しかし、ちょっとだけいい気にはなれたけど、そもそも戦ったのは俺じゃあない、そう思うとやっぱりへこんだ。


「ま、バレちゃったのは仕方ない、あたしの悪だくみもここまでよ。散々稼がせてもらったし、そろそろ逃げさせてもらおうかな」

「お前、簡単に逃がすと思うのか?今ここで、刺し違えてでも絶対に止めてやる」

「あら怖い。でも、いいの?あたしが何も準備もせずここに来たと思う?…宿屋の主人、確かランカさんだったかしら、彼女の元には今レダがいる。あたしに何かあった時には、すやすや眠る彼女の首を落とすように言ってあるわ」

「っ!お前ッ!!」


 さっきここで目覚めたから、俺はルネやマルスさん、そしてランカさんがどこにいるのかを把握できていない。ヴェーネの言っていることが、本当かどうか分からない。これで下手に手出しすることができなくなった。刺し違えるなどもってのほかだ。


「じゃあねリオン、できることならもう会いたくないわ」

「…今ガメルは厳重警戒されているはず、その包囲網を簡単に出られる訳がない、お前は絶対に捕まる」

「そうかもね。じゃあ、あなたはそう願っていて」


 そう言って来た時と同じように窓から去っていくヴェーネ、本当にランカさんが人質に取られていたとしたら、そう考えると口惜しいが見送るほかない。ギリっと奥歯を嚙み締め去ったのを見送ると、俺はすぐに部屋を出て皆の無事を確認しにいった。




 結局、あの夜ランカさんは人質に取られてはいなかった。レダはまだ勾留されていて、ヴェーネは一人で乗り込んできていた。一際忠誠心が高そうだったレダの名を出されたので、ありえるかもしれないと思い、すっかり騙されてしまった。


「ふむ、なんとも大胆な行動ですじゃ」

「もしかしてあの女、どこかでこっちの様子を見張ってたんじゃないですか?」

「かもな。それで俺が一番油断してそうな時を狙ったのかもしれない」


 計画的、衝動的、ヴェーネならどちらもあり得そうな気がする。言い訳じみているが、彼女の人当たりはよく、正直話も上手くて夜の語らいは、少しだけ楽しくもあった。俺に見せたあの姿が全力ってことはないだろうから、本気で懐柔するときには、あれがもっとパワーアップしているのだろう。


「ちなみにリオンさん、あなた篭絡されたってことはないですよね?」


 ルネがじとっとした目でこちらを見てきた。考えていたことを読まれたのかと、一瞬ドキッとした。


「全然!ありえないって!ニセ勇者だぞ!一番嫌いだ!」

「続けざまの否定、怪しい」

「まあまあルネちゃん。リオン殿も、ほら…、ね?」

「ね?って何ですかマルスさん!ほんとに何もなかったですって!」


 マルスさんがいたずら気にほっほっほと笑うので、からかわれたのだと気が付いた。まったくガメルではいいとこなしだ。俺はがっくりと肩を落とした。

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