第26話 獲物、引っかかる
その日、ガメルの街は興奮に沸き立っていた。勇者の決闘が行われると知って、民衆はお祭り騒ぎだ。闘技場の控室にいる俺たちに、外の人々の声が聞こえてくるほど、熱狂ぶりは伝わってきた。
「まったくうるさいですね。人の形をしたネズミ共に、殺鼠剤でもおみまいしますか?」
「お前はどうしてそう一々物騒なんだ。冗談でもやめなさいって、先生よくないとこだと思うよ?」
「そんなことより、本当に上手くいくんですよね?マルスおじいちゃんに危険が及ぶようであれば、私がリオンさんのことやってやりますよ?」
「全部が俺の思惑通りにことが運ぶとは限らないけど、これだけははっきりしてる。戦闘モードのマルスさんに勝てる奴は向こうには誰もいないよ。レダって奴だけはそこそこ強いけど、まあマルスさんの敵じゃない」
俺がそう説明しても、まだルネは疑いの目を向けていた。信用ねえなあと悲しくなるが、見立てに間違いはないと自信があった。
「あのヴェーネって勇者はどうなんですか?」
「ん?ああ、ヴェーネは論外。どうしようとも戦いにならないよ」
「はあ?それはどういう意味で…」
ルネが言葉を言い終わる前に、控室の扉がノックされた。入ってきたのは、ヴェーネに常にくっついていたレダだった。
「どうしたんですかレダさん?何かありました?」
「…本当にいいんすか?」
「何がですか?」
「…5対1、この条件す」
ああ、そのことか。俺が答える前に、マルスさんが割って入ってきて言った。
「まったく問題ないですじゃ。むしろ多勢に無勢の方が闘志は燃え上がりますじゃ、不肖マルス、年甲斐もなく昂ってきましたぞ!」
マルスさんが拳にぐっと力を込めた。その時背中にぴきっときたのか、あいたたたと、背をさすって痛がった。
「大丈夫?マルスおじいちゃん。前にも注意したけど、急に興奮すると危ないでしょ、ほら深呼吸深呼吸」
「おお、おお、すまないねえルネちゃん」
すかさずルネがマルスさんを支えて、その背中をさすった。二人のやり取りを見ていたレダは、ますます不安そうな顔をした。
「…今からでも遅くないす。決闘をやめるべきす」
ごもっともで。しかし俺は言い返す。
「それは無理でしょ。これだけ人が集まってるんです。今更引けませんよもう」
「…リオン様、あんたは人でなしす」
「さあ敵情視察はこれくらいでいいでしょう?さっさと自陣営に戻ってください」
レダの目には怒りの色が見えた。俺が決闘前に言い出した「仲間全員まとめてかかってこい」というものに抗議しているのだろう。しかしどんな顔や目をされようとも、この条件を変えるつもりも必要もない、俺はレダのことを無理やり追い出した。
「あいつも不正に絡んでるんですよね?」
「ヴェーネに一番近いやつみたいだし、間違いなく絡んでるだろ」
「その割に、何というか、まっすぐなやつですね。あんなことわざわざ言いに来なくてもいいのに」
マルスさんの身を案じての発言だとは思うが、俺もルネと同意見だった。そもそも自分たちの心配をするべきだと、俺もルネもそう思っている。今後のことを思うと、中々不憫なやつだなとレダのことを案じた。
「どうだった?相手はやっぱり条件を変えないつもり?」
「…はいす」
「そう…。ありがとうレダ」
全員まとめてかかってこいという発言は、ヴェーネの陣営に大きな衝撃を与えていた。本当に全員を試合に出すとなると、100人近くの兵をずらりと並べることになる。流石にそんな真似はできないので、ヴェーネはその中から、戦いの精鋭を4人選抜していた。
ヴェーネと合わせて5人、これがヴェーネ側の戦力であった。
「ヴェーネ様、これは魔物を相手にするのとは訳が違いますよ。戦えない爺さんを囲んで叩くとなりゃあ、批判は免れませんぜ」
「ねえ、本当にマルスって人は戦えないの?調査通りの人?」
「はい。それはもう念入りに調査しましたから。リオン一行が宿泊している宿屋を見張っていましたが、奴の言うようにマルスはどこからどう見てもただの老人です」
「戦う力がないというのも本当だと思います。杖代わりに使ってる刀も、数打物で特殊なものでもなく。普段の立ち振る舞いも剣士のものではありません」
調査の内容を聞いたヴェーネは決闘を受けた。いくらなんでもこの老人に負けることはない、それは誰から見ても明らかなことだった。
「でも昔は強かったんでしょ?」
「そのような噂は確かに確認できましたが、武芸に携わるものでマルスという名を聞いたものはいませんでした。それに例え年を取り、衰えようとも達人は達人、本物はそれ相応の気迫というものが目に見えて分かるものです。マルスからは、それが一切感じられない」
「なら一対一でもよかったじゃない。流石のあたしでも、あのおじいさんには勝てるわよ。こっちは装備だって一級品よ?一体何を考えているのかしら」
言葉通りヴェーネの装備品はすべて高性能のもので固められていた。一見ドレスのように見える華美な鎧は、数々の職人を集めて技術の粋を凝らした逸品であり、動きやすいだけでなく、運動能力の強化もする。
どんな強力な攻撃や魔法も容易に防いで、装着者の身を守り、更に自己修繕、自浄作用完備で手入れいらず。まさに至れり尽くせりの最高級品だ。
ヴェーネが扱う武器は、身の丈以上の刀身をもつ大剣。希少な鉱石に高名な錬金術師が精製した魔石が配合されて作られており、非常に軽くて扱いやすく丈夫、切れ味も抜群で、使い手次第では一振りで山をも斬り裂くことも可能とされる、金に物を言わせて作り上げた伝説級の代物だった。
大剣はその持ち主を守る者たちを常時強化し、少しの傷ならば瞬時に回復させる治癒効果も与える。こうしてヴェーネの守護をする者たちは、誰もが一線級の精鋭となり、戦闘ではヴェーネのことを身を挺して守り、眼前の敵を打倒す屈強な軍団が出来上がる。
「あたしの装備はどれも最高級品、あたしを守るあなたたちは精鋭、そしてこっちは試合前に強化魔法の補助も施せる。確かあのルネって子は、そういう魔法は一切使えないんでしょ?」
「ええ、調査したところ、彼女が使える魔法はエクスプロージョンとスリープだけです。そしてスリープは介護用、エクスプロージョンを使える理由は、狙わなくともいいからというお粗末なものです」
「何度聞いても正気を疑うわね。しかも彼女の職業は…」
「介護士です。調査と大それたことを言いましたが、ただ彼女の履歴書を見ただけです。全部書いてありましたよ」
ヴェーネは性格上、他人に同情することはめったにない。その彼女でさえも、リオンの現状には同情をせざるを得なかった。いくらリオンが実力者で、勇者の血筋を引くもので、その勇者が使っていた伝説の剣に選ばれしものとはいえ、仲間と呼んでもいいものか迷う二人が供というのはあんまりだ。そう感じていた。
その考えは他四人も同様に持っており、決闘を申し込んできた時のリオンのマルスに対する要求、それが調査によって、ますます信ぴょう性が高まっていた。罠を警戒したが、そんな様子はみじんもなく、リオンはただただ事実を言っていた。そう結論付けるのが自然であった。
その中でレダは、確かに皆と同じように考えていたが、5対1というのは流石にやりすぎであると憤っていた。しかも民衆の前で醜態をさらさせるとは、これが勇者のやることかと、リオンのことを敵視していた。
ヴェーネ陣営、精鋭の内訳はこうだ。二人は剣士、うち一人がレダ。一人は槍兵、もう一人が弓兵だ。過剰な戦力だ。ヴェーネたちはそう考える。
「…ヴェーネ様、どうするす?」
「作戦通りよ。流石に相手も簡単に怪我させるような準備はしてこないでしょうし、リオンの思惑に乗っかりましょう。私がおじいさんの相手をして、皆は適度に手を抜いて補佐、私ならおじいさんと戦って、仮にいい勝負になったとしても、絶対にわざとらしくならない。後のタイミングはレダに一任するわ」
「…うす」
両陣営別々の思惑を抱えたまま闘技場へと上がる。そこで待ち受けるものが、天下無双の達人であることを、ヴェーネたちはまだ知らない。
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