第11話 折れた剣で戦うには

 サクラク村はマルセエス首都部からそこそこ離れた場所に位置する。それでも普通の勇者パーティーなら一日かければ到着するだろう。しかし、俺たちは普通ではない。


 がっつり弱体化した俺と、がっつりおじいちゃんのマルスさん、そしてがっつり戦闘力皆無の介護士ルネ、この三人が集まったのだから当然足取りは重い。休憩を挟みに挟みまくるのでどうしたって移動に時間がかかる。


 それでも俺は大分精気と魔力を吸われた体にも慣れてきた。少し動いただけで息切れをして動けなくなることもなくなった。歩いて移動するだけならば、多少無理をすれば元の水準まで戻すことができた。


 しかしこうなると仲間にマルスさんがいて助かったかもしれない。彼のおかげでこまめな休憩を取ることができて、俺も疲労や体の調子の調整が上手くなってきた。全力で休むことに注力できるので、休憩の効能は前よりも高くなった。怪我の功名というやつだろうか。まあ剣は折れてるから差し引きはマイナスを振り切っているのだが。


 そんなサクラク村への道中、俺とマルスさんは魔物の気配を感じ取って立ち止まる。なんで止まったのか分かってないルネを連れて、姿勢を低くして茂みからのぞき込む。


「ゴブリンですな。一匹ということははぐれか」

「ええ、奴ら群れで行動するのが基本ですからね。恐らく何らかの理由で仲間を見失ったのかと」

「うむ。見た目から推測するに、特別に強い特殊能力持ちの亜種でもないでしょう。彼奴らならばまれに単独行動をすることもありますが、特別ゆえに判断も容易じゃ」

「はー、二人共見ただけでよくそこまで分かりますねえ。私にはただのゴブリンにしか見えないや」


 観察は戦闘の基本だ。おろそかにすれば手痛いしっぺ返しを食らう。マルスさんの最強の名は自称じゃないかなと疑っていたが、どうもちゃんと戦闘経験自体はあるようだ。


 そして一匹でいるゴブリンは俺にとってちょうどいい相手でもある。折れた剣を持つ前ならば練習用の案山子にもならなかったが、今の俺にはこのゴブリンでも十分に死ぬ可能性がある相手だ。だからこそここで挑んでおく価値があった。


「二人共ここで待っていてくれ。俺があいつを仕留めてくる」


 対魔物でどこまでやれるのか、それを試すには絶好の機会だった。




 群れからはぐれたゴブリンはきょろきょろと辺りを見回している。はぐれた仲間の痕跡を少しでも見つけようとしての行動だ。ゴブリンは体も小さく非力で、群れによる攻勢を得手としている。


 それは逆を言うと群れでないと力を発揮できないということだ。頭数が多いことが武器であり、今このはぐれゴブリンは武器を失ったも同然だ。仲間も一匹はぐれた程度で探しにきたりしない。ゴブリンは繁殖能力が高いので、減った分は新しく産めばいい。わざわざリスクを負ってまで助けにはこないのだ。


 だからゴブリンは焦る、早く群れに仲間の元に、早く戻らなければ。痕跡はどこかにないか、仲間を示す手がかりはないか。そうして辺りを見回す。


 この行動は一見全方位を警戒していて隙がないように感じるが、どれだけ注意していてもすべての景観を視野の中に入れることはできない。ゴブリンの目はそういう作りにはなっていないからだ。


 逆に痕跡ばかりに気を取られていて奇襲の警戒はおろそかだ、見計らえば死角は必ずできる。


 ゴブリンに死角ができたと同時にリオンは茂みから飛び出した。完全に不意を突いたが、瞬発力が落ちに落ちている状態のリオンでは気づかれる前に肉薄することは叶わなかった。リオンに気が付いたゴブリンがそちらに向き直る。


 奇襲に失敗して舌打ちをしたリオンは、姿勢を低くしたままゴブリンへタックルを試みる、ゴブリンは向かってくるリオンに持っている石で作った手斧を振り上げた。


 非力なゴブリンには一撃で相手を仕留められるような武器を持つことができない、なので武器には必ず毒が仕込まれている。あまり出来のよい毒ではないが、数で囲んで何度も相手に叩きつければ、毒はどんどん体に蓄積されていき体力を奪う。


 この毒は各種状態異常を回復するキュアの魔法を使えた以前のリオンなら何の問題にもならないものだった。そもそもゴブリンの攻撃に当たることはないし、リオンがゴブリンの首を刎ね飛ばす方が速い。だが今は事情が違う、リオンは必死で攻撃を避けなければならないし、もし当たれば毒を治療する方法がない。治療が遅れたら死ぬ。


 姿勢を低くしたのはタックルの動作のためだけではなく、ゴブリンの攻撃を誘う目的もあった。上から下へ振り下ろす攻撃は武器の重さも相まって一番威力が出る。ゴブリンはごく自然な理由で手斧を振り下ろすことを選択した。


 いくら身体能力が落ちているリオンでも、どんな攻撃がくるのか分かっていれば回避は容易い。最小限の動きで身を捻り攻撃を避けるとタックルを決めてゴブリンの姿勢を崩して押し倒した。


 マウントポジションを取ったリオンだがまだ油断はできない、普通は簡単に抜けることができない姿勢だが、今のリオンではゴブリンが力任せに暴れられたら拘束を解かれてしまう。


 手にした剣は折れていて刃は少ししか残っていなかった。残された刃で首の急所を狙うこともできたが、リオンはより確実な方法を選択する。剣の柄頭で思い切りゴブリンの鼻を殴りつけた。ゴブリンの鼻骨が砕け鼻血が吹き出す。


 鼻が潰されて思わず口を開けたゴブリン、そこへリオンは剣の鍔を差し込んだ。歯に鍔を引っかけるとてこの要領でぐいと引き上げ顎の骨を無理やり外す。これでもうゴブリンはまともに動くことはできなくなった。


 リオンはマウントポジションを維持したまま、柄頭でゴブリンの眉間を繰り返し殴打した。頭蓋が砕け血があふれ出し、中身が飛び散るまで入念に殴りつけてとどめを刺した。それが終わるころには、リオンの全身はゴブリンの返り血で染まっていた。




 ゴブリン一匹仕留めただけ、以前ならば勝負は一瞬でついていた。戦い方はみっともないもので泥臭い、いや、今は血なまぐさいと言った方が正しいだろうか。


 折れた剣に首を刎ね飛ばす刃はないし、残された刃で正確に命を奪う力もない。体の力はほぼすべて剣に奪われている、殴り殺すのが一番確実な方法だった。


 ただ返り血に染まった今の自分の姿を客観視して酷く気分が落ち込んだ。目の前にあるぐちゃぐちゃに潰したゴブリンの亡骸を見ても、やっぱり気は沈み込んだ。がくっと全身から力が抜ける。


「リオンさん」


 ルネに声をかけられ肩に手を置かれた。神経が尖りきっていて敏感に反応してしまった俺は勢いよく振り返ってしまう。体についた血が跳ねてルネのエプロンドレスを汚してしまった。


「あっ、ご、ごめんルネ」

「お気になさらず、汚れる前提の服装です。それよりも血の匂いを残したままでは他の魔物を呼び寄せます。近くに水場がありました。服を着替えて血を洗い流してきてください」

「わ、分かった。確かにルネの言う通りだな、ちょっと行ってくるよ」


 俺は促されるままに荷物をひっつかんで駆け出した。ルネの心遣いに感謝するのを忘れていたが、足は止まらなかった。




 リオンを見送ったルネはマルスに話しかけた。


「勇者の戦いぶりとは思えませんね」

「ルネちゃんにはみっともなく見えたのかな?」

「いえ、そうではありません。今の戦いは本来のリオンさんの実力とは大きく乖離しているんだろうなと思ったんです」


 マルスはその言葉に遠い目をしながら答えた。


「精気は体のありとあらゆる力になる源、それを枯渇寸前まで吸い取られている今の勇者殿は、本来ならば指一本まともに動かせないはずじゃ。魔力が底をついた状態は、失った魔力を取り戻そうと体が常に魔力を求め続ける。消費と供給を繰り返し行い続けることで体は一向に休まることがない」

「…常軌を逸してますよ、それでも勇者を続けようだなんて。このままじゃあ遠からずリオンさん死にますよ」

「ルネちゃん。そんなこと勇者殿はもう覚悟しておるよ。それでも戦うことを選んだのじゃ。折れた剣を手にまだ自分にも何かやれることがあるはずだと、立ち上がったのじゃ」


 ルネには分からなかった。なぜリオンはそこまで勇者の座にしがみつくのか。地位、名声、栄誉、富、得られる方法は他にいくらでもあるのに何故、そう思ってやまなかった。


「はあ、とりあえず今はこれを片づけてしまいましょうか」

「手伝うかね?」

「いえ下がっていてください。これでも元魔法使い。魔物の後処理の方法は心得ています」


 浄化の魔法ピュリフィケーションを唱える。魔物の不浄な部位を消滅させ素材として使えるものだけを残す魔法。人が魔物を効率的に利用するために作り出され、最も発展し誰にでも扱うことのできる簡単な魔法の一つだ。


 ぐちゃぐちゃになったゴブリンの死骸は素材だけを残して消滅した。換金したところで二束三文にしかならないが、ルネは素材を丁寧に拾い集めて袋に仕舞った。

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