第7話 旅立ちでさえ恰好つかない

 旅立ちの日がやってきた。玄関でブーツの紐をしっかりと結ぶ。立ち上がってつま先で地面を叩き、各種装備に異常がないか点検する。旅支度がしっかり整っていることを確認すると、俺は父さんと母さんの方に向き直った。


「じゃあ父さん、母さん、行ってきます」


 俺の言葉に母さんはこらえきれず涙を流した。そんな母さんの肩を父さんが抱いて慰めた。その涙の意味には様々な思いが込められていただろう、それを考えると俺も少しグッときた。


「リオン、お前は誰よりも強い。そしてそれに甘んじることなく努力し続けていたことを知っている。本当に、本当に今更なことを言ってしまって申し訳ないが、お前に別の道を示せなかったことを謝罪させてくれ」


 父さんは沈痛な面持ちでそう話した。だから俺は逆に思い切り笑顔になって返事をした。


「勇者は確かに俺たち一族の悲願だけど、それ以上に俺の夢だった。この選択に誇りはあっても後悔はない。アームルートの勇者リオン、魔王討伐に向けて全力を尽くしてまいります」


 俺はそう宣言すると家を出た。折れた勇者の剣を携え重い足取りであったが、誇らしく胸を張れたと思う。目からこぼれた雫を拭って捨て去ると、俺はどんどん歩を進めた。




「お待たせしました」


 待ち合わせ場所でマルスさんとルネに合流する。ルネは変わらずエプロンドレス姿だったが要所要所に防具をつけている、意外と旅慣れていそうな装いで、支度は万全といった感じだ。


 逆にマルスさんはあまりにも普段通りの恰好過ぎた。普通の服を着て刀を杖代わりに使い、背と腰は曲がってぷるぷるしている。こんなに不安という言葉が当てはまる人も珍しいと思う。


「ちょっとルネさん。マルスさん普段通り過ぎませんか?何しに行くのか分かってますよね?」

「分かってますよ。でもマルスおじいちゃんに鎧なんて着せたら一歩も動けなくなりますよ?最低限の装備すらできなかったんです」


 やっぱり危ないのでやめましょうと言いたい、しかし当の本人はやる気満々だった。


「さあ勇者殿参りましょうぞ!不肖ながらこのマルス、あなた様の敵を斬ってごらんにいれましょう!」


 マルスさんは鼻息を荒くしながらぶんぶんと腕を振っている、そんなに張り切ると後に響きますよとルネが止めに入っているのも不安感を煽られる。だけどこれだけやる気のある老人にこっちからやめましょうとは言いにくかった。


「いやあ武者震いが止まりませんなあ!」

「マルスおじいちゃんそれおトイレじゃないですか?一応もう一回行っときましょうよ、旅に出たら早々綺麗なところではできませんから」

「うん?あー、確かにルネちゃんにそう言われるとそんな気がしてきたのお。勇者殿!すぐに済ませてきますので今しばらくお待ちを!」

「ほら行きますよマルスおじいちゃん」


 大切なことだからしょうがないね、うんうん。急に行きたくなっても困るよね、事前に済ませておくなんて偉い。俺はその言葉を頭の中で繰り返しながら腕を組んで足踏みを続けた。これは苛立ちか武者震いか、できれば後者であれと願うばかりだ。




 マルスさんとルネが帰ってきたので、ようやく話を前に進めることができる。俺は咳払いをすると話を始めた。


「えー、それでは準備も済んだということで出発しようかと思いますが、とりあえず目的地をマルセエスに定めました。そこそこ大きな国で他国へ向かう際の中継地として人や物、情報の流入が多いからです。勇者の基本は人助けと情報収集、マルセエスは勇者が初めに目指す国とも言われるほど鉄板な目的地です」

「はい」

「どうぞルネさん」


 挙手をして許可を求めるルネに発言を促した。


「移動手段は何ですか?勿論馬車を使いますよね?」

「とてもいい質問ですね、その積極性も好印象ですよ。しかし答えは外れです。徒歩で行きます」

「えー!徒歩だと何週間かかるか分かりませんよ!?反対反対!老人虐待だ!介護士虐待だ!」

「おだまりなさい!いいですか?我がパーティーの財政状況は最悪です。貴重な路銀を少しでも節約するためには切り詰められるところを切り詰めていく必要があります。さあもうつべこべ言わず行くぞ。ほら、荷物持って歩く!」


 まだまだ後ろでぶつぶつと文句を言い続けるルネを無視して俺は歩き始めた。足りないものだらけの勇者の旅が、特に誰に見送られる訳でもなく静々と始まるのだった。




 旅だって早々に俺たちは休憩を取っていた。まだ30分も経っていない。というかまだまだアームルートが全然目視できた。


 立ち止まった理由は俺とマルスさんの二人にあった。どちらも体が悲鳴を上げて休憩せずにいられなかった。


「だから言ったじゃないですか馬車使おうって。マルスおじいちゃんより先に根を上げるって最悪ですよリオンさん」


 俺は膝を抱えて頭をうずめた。悔し涙を見せないためだ。まさか両親との別れよりも泣くことになるとは思わなかった。


「ふう一息つけましたな。さてそろそろ行きますかの」

「えっ!?も、もう行きますか?」

「おや、まだ休まれますか?しかしこの調子ではマルセエスに到着するのはいつになるやら分かりませんぞ」


 マルスさんの物言いで、俺は両頬を思い切り引っ叩かれたようにへこんだ。正論とはここまで鋭く人の心を抉ることができるとは、折れた剣より役立ちそうだ。


 しかしいくら体力がないとは言え、馬車なんて贅沢な移動手段を使えば後々の懐事情に響いてくることは明白だった。それに俺は少しずつでも体力を取り戻していかなければならない、そのトレーニングも兼ねての徒歩という選択だった。


 それにマルスさんには馬に乗って旅をする体力はないだろう。ルネは乗馬はできないと言うし、そうなると選択肢は限られている。そもそも長旅に耐える馬を買う金もない。


「行きましょう!勇者がこんなところでへこたれていられない!歩き続けるのみです!」

「それでこそ勇者殿じゃ!わしもついていきますぞ!」

「…事情は分かるけど絶対馬車使った方がいいと思うなあ。リオンさんの体力はクソザコだし、マルスおじいちゃんはそろそろ眠くなる時間だし…」


 またしてもぶつぶつと文句を言うルネを無視して俺は歩き始めた。この一歩目はご先祖様が踏んだ一歩目と同じだ。そう自分に言い聞かせて奮え立たせた。




 がたがたと揺れる馬車、向かいに座るルネがじとっとした目でこちらを睨んでいる。マルスさんはルネに膝枕をされ気持ちよさそうに眠っていた。


「乗ってんじゃん」

「…はい」


 力ない返事しかできずに情けない。俺たちは結局街道を走る馬車を止めて乗せてもらうことにした。ぶっちゃけもう少しも動けなかった。俺が。


「はあ、マジで無駄に歩かされたのがムカつく。自分の力量くらい把握しておいてくれません?あのやり取りなんだったんですか?」

「…はい」

「あーもういきなり辞めたいなこの仕事。早いことマルスおじいちゃんがリオンさんに見切りつけてほしい。もう今からでも遅くないから勇者諦めません?」

「…それは絶対に嫌です」

「だったらできることできないことの見極めははっきりさせてくださいよ。一応私たちリオンさんに命預けてるんですよ?野垂れ死ぬにしても路上で体力不足って、笑い話にもなりませんよ」

「もうやめてよお!!」


 ルネの口撃に耐え切れなくなった俺はわっと涙を流して手で顔を覆った。一日でこんなに涙を流したことはないだろう。新記録だ、嬉しくない。


 折れた勇者の剣に一体どれだけ苦しめられなければならないのか、何を恨めばいいのか、やるせなさに俺は打ちひしがれた。もう顔を思い出すのもイライラする王は絶対ぶん殴るとは決めているが、それ以上に力なきことのみじめさが俺を苛んだ。


「はあ…、どうしてこんなことになっちゃったんだ。俺は学校で最も優秀な候補生だったし、選抜試験ではぶっちぎりでトップの成績を残した。選ばれしものだったのに、なんで、どうして、こんな酷い…」

「それだけ優秀だったのに剣に選ばれなかったんですね」


 その一言が俺の心を折った。うつろな目で外の景色を眺めながら、馬車に揺られて目的地へと進む。旅立ちでさえ恰好がつかない。俺はどれだけ悪いことをしてきたんだろう、この無情な仕打ちに心まで削られていく、これが俺たちの本当の旅立ちとなった。

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