第2話 喜ばないでくれ

 折れた勇者の剣を高々と振りかざしていた俺はゆっくりとそれを下ろす。ようやく手に残された無残な姿を直視することができて顔がさあっと青ざめた。


「ちょちょちょっ!!お、お、折れ、折れてますよこれ!!」

「うん。折れてるねえこれ」

「いやあの、なんでそんな冷静でいられるんすか!?やばいですよこれえ!?」

「あーぶっちゃけどうせまた抜けないんだろうなって思ってみてたから逆に冷静になっちゃって」

「えっ?そんなこと思ってたんすか?…いやいやいや!んなこと言ってる場合じゃないっすよ!これ、これって大丈夫なんですか?」

「そんなん言われても専門家じゃないし…。ちょっ、ねえ誰かいる?ちょっとベテン呼んできてくれない?なるはやで」


 王様が近くで控えていた兵に声をかけそう頼んだ。ベテン様は宮廷魔術師でアームルートの生き字引だ、きっとこの状況にも答えを出してくれるに違いない。まだかまだかと大汗をかきながら待っていると、ようやくベテン様が来てくれた。


「えー…、マジで折れてるじゃないですかこれ」

「ねー見事に折れてるよねえ。ベテンはどう思う?」

「何分古いものですからねえ。うーん経年劣化かなあ?いや分かんねえなあこれ」


 ダメだ、ベテン様も役に立たない。王様と一緒になって頭を抱えて首をひねっている。頭を抱えたいのはこっちだよと言いたくなるのを必死にこらえた。


「うーん、ろくに手入れとかしてこなかったしなあ。そもそも誰も抜けないし」

「やっぱり何かメンテナンスが必要だったんですかねえ」

「いやあ私もこの剣代々受け継いできたって印象より、物置部屋が一向に片付かないって印象だったからなあ。そもそも剣とかよく知らんし」

「ですよねえ」


 ですよねじゃねえんだよ!俺は心の中でそう叫んだ。やけにのんびりしている二人に国宝ぞ?バカ!と言ってやりたかったが言葉を飲み込んだ。


「まあでもこれって抜けたと言えば抜けた判定じゃない?」

「今まで誰が何やってもびくともしませんでしたからそれはそうだと思いますよ」

「よっしゃ。えー…、勇者リオンよ。宮廷魔術師ベテンもこう申しておる。勇者の剣に選ばれし者としてよりいっそう魔王討伐に励むように」


 これは何とかごまかして話を終わらせようとしてるな、そうはさせるかとここで流石に俺は声を上げた。


「王様、そもそもこれが折れたらまずいんじゃないんですか?伝説の勇者の剣ですよ、これ」

「そりゃそうだけど、もうずっと遥か昔の物だし。最近は見学者も少なくなってきてたし。正直ここにあるだけで部屋の掃除の手間とか増えてたし。もういいんじゃない?」

「ええぇ…」

「まあそこまで渋るならば分かった。じゃあ損害賠償を請求するけどいいのかね?元はそちらの家の物とはいえ、今は王家の物だからな。壊したってことで徹底的にやるぞ?王やるぞ?」

「いや壊したんじゃなくて壊れたんでしょ!?」

「見解の相違だな、法廷で会おう」


 子どもの屁理屈かよと叫びたくなるのをぐっとこらえた。さっきからこらえっぱなしで爆発してしまいそうだ。そもそもどうして伝説の勇者の剣が折れるんだ。一番折れちゃいけないだろ。俺は悶々と考えを巡らせたが、これ以上何かを言うと立場が危うくなりそうなのでやめた。


 王様とベテン様がひそひそと「どれくらい請求できると思う?」だとか「そうはいっても不良品押し付けたわけですから1000ゴールドくらいじゃないですか?」だとか言い出したので無理やり話に割り込んだ。


「訴訟だけは勘弁してくださいっ!」


 俺は今までやったことがないほど綺麗な角度で頭を下げた。




 折れた剣を鞘に納めて、とぼとぼとした足取りで帰宅する。これほど足が重いのは生まれて初めてのことだった。折角念願かなって勇者になることができたのに、家族の反応が予想できるだけに扉を開ける手すら重たかった。


「ただい…」

「おかえりなさい!勇者リオン!!」


 扉を開けた俺を待っていたのは、家族だけではなく親戚一同も集まって鳴り響くお祝いの拍手と言葉、そして山盛りのごちそうであった。ろくに顔を合わせることのなかった遠縁のおじさんやおばさんもいて、最近は寝たきりだったはずの曾祖父も曾祖母の遺影を抱えて涙を流して喜んでいた。


「いやあ本当によくやったなリオン。父さんも鼻が高いよ」

「は、ははっ…」


 父さんの目にも涙が浮かんでいた。周りはすごく喜んでくれているのに、俺はすごく喜びにくい空気だった。


 俺たちミネルヴァ家は脈々と勇者の血を受け継ぎ家を存続させてきた。その血を絶やすことなく、アームルートに根差して生きてきた。事実か定かではないが、それが勇者の遺言だった。


 しかし長い歴史の中でミネルヴァ家から次代の勇者が生まれることはなかった。一族の人間に武に長けたものは生まれてこず、気質も戦い向きとは言えなかった。優しく親切で困っている人を放っておけない性格は共通していたが、運動神経はパッとせず魔法の才能にも乏しい。いい人たちだけど勇者の血を引いている人たちとは思えないよね、これが周りからの評価だった。


 そんな一族の中で、俺だけが幼いころから武と魔の才に長けていた。国一番の剣の師範を幼少のころから圧倒し、魔法の習得速度は教師よりも早かった。別に特別な訓練を受けたわけでも、怪しい儀式で怪しい力を授かったわけでもない。ただできた。それだけだった。


 だが俺の持つ天賦の才は家族の期待感を大いに煽った。もう一度我が家から勇者をと望まれて、両親はお金持ちでもないのに高度な教育を受けられる環境を整えてくれた。俺が生きている間に魔王が復活するとは限らないのに、俺ならばきっと勇者になれると信じて託したのだ。


 だから俺は絶対に勇者にならなければならなかった。家族の期待を裏切りたくなかったし、父さんも母さんも無理をして俺のために働いてくれた。その恩返しのためにも公認勇者の座は絶対に欲しかった。


「ねえリオン、もしかしてそれって勇者の剣?」


 母さんにそう聞かれて俺はドキッとした。動揺を見せないようにと気を使ったが、頬は嘘をつけずひくひくと動いているのが分かる。


「えっ!?ど、どうしてそのことを?」

「そりゃもうお城がしきりに喧伝してるもの!あなたが勇者の剣に選ばれしものだって!伝説の勇者の再来だって話も出てて、母さん色んな人からお祝いの言葉もらっちゃって困ったわ」


 嘘つけその顔は困った顔じゃない、自慢げな顔だ。そう言えたらどれだかよかったか。母さんの嬉しそうな顔を見てしまうと、とてもではないがそんな非情なことは言えなかった。


「おお、それがかの伝説の勇者が使った剣か」

「私たちのご先祖様が世界を救うために振るわれた剣よ!」

「鞘に納められているのに神々しく見えるのお」

「とてつもない力を秘めているって話だから、元々強いリオンはもっと強くなっているはず」

「もしかしたらリオンが魔王を倒すかもしれないな」

「伝説の再来だ!勇者の再誕だ!ばんざーい!!」


 どんどん盛り上がる親族に対してがんがん盛り下がる俺。この温度差では風邪をひくだけでは済まされない。ごちそうは惜しいがここは撤退が最善だ。このままではいつ勇者の剣を抜いて見せてくれと言われるか分かったものではない。


「皆ちょっといいかな?」

「お、どうした?」

「実はその…、任命式で緊張して疲れちゃってさ。皆の気持ちは嬉しいけど、今日は早めに休みたいなって」

「そりゃいかん!旅立ちの日に体調を崩しでもしたら大変だ。父さんたちのことはいいからお前は先に休んでいなさい」

「ありがとう。じゃあ…」


 俺は親族に軽く頭を下げてから自室に戻った。俺が立ち去った後では親族たちの大宴会が始まっている。この喜ばしい空気の中に「実は剣が折れました」なんて言う勇気はない。勇者なのに。


 折れた勇者の剣を見つめてため息をつく、あの王勇者に箔をつけるために早速俺が剣を抜いたって嘘ついて喧伝してやがる、この後一体どうなるんだ、俺が抱くそんな不安を折れた剣がさらに煽るのであった。

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