高級焼肉店からのホテル

 カウンターには三城を挟むように肥後と神羽が座った。

 目の前の鉄板では、日常生活では見ることのないほどの分厚い肉が切られていた。

 スパッと、まるで豆腐のように切れ味のいいナイフで、食べやすいサイズに分けられた。それを皿の上に手際よく盛り付けられると、三城、神羽、そして肥後の前に並べられた。


 三城は辺りを見まわした。


「ここって、メニューとか値段表とか無いんですか?」


 神羽は早速、フォークで肉を刺すと口の中に放り込んだ。


「値段の書いてある店なんて、最近行ったことないわ。ねえ肥後先生」


 三城が肥後を見ると、同じように肉を食べ始めるところだった。


「私はそんなことありませんが、佑介先生はそうでしょうね」


 とあるビルの最上階、入れても10人くらいのこじんまりとした店内はそこだけ別世界だった。喧騒の溢れる繁華街から完全に騒音がシャットアウトされ、温暖色のライトと綺麗に整えられた店内はそこがまるで外国にでもワープしたかのようにさえ思われる。


 三城はためらいながらも、目の前に出された肉を口に入れてみた。入れた瞬間、とろけるような食感、アピールしすぎない旨みにほんのりわさびの風味が効いて、今まで食べていた肉が肉とは思えないほどの美味だった。


 神羽は口をもごもごさせながら前に立つ店長に声をかけた。


「大将、今日は彼の歓迎会だから、とびきりのやつ出してあげて」


 かしこまりました、とお辞儀をすると再び何やら肉を取り出して焼き始めた。


 後ろで、ガラガラ、と扉が開く音がした。

 神羽が振り返ると、「お、来た来た」と声をかけた。


「お待たせしました」


 1人の若い女性が入ってきた。

 薄ピンクのロングコートに黒のショルダーバッグ。黒髪がさらっと肩までストレートに落ちており、垣間見える手先と膝下からは白く美しい肌がのぞいていた。


「美奈子ちゃん、こっちこっち」


 神羽が手招きすると、美奈子と呼ばれた女性は軽く会釈した。

 数歩あるくだけで、そのモデル顔負けのプロポーションが見てとれた。ハイヒールの音がコツコツと響いた。

 三城の右に座っていた神羽はさらに右に避け、三城と神羽の間に女性が座った。


「失礼します」


 と椅子に腰掛けると、神羽そして三城ににこっと笑顔をふりまいた。


「三城君、板倉 美奈子ちゃんで院長のクラークの人。あれ、クラークってなんていうんだっけ、肥後先生」


 肥後が口を開く前に、美奈子は落ち着いた口調で説明を始めた。


「医療事務作業補助のことです。医師の代わりにカルテを打ち込んだり、検査や薬のオーダーなどを行っています」


 へえ、とにこやかに頷く三城をみて、神羽はにやりとした。


「男3人じゃ面白くないと思ってさ、呼んだんだ。大将、彼女の分も」


 かしこまりました、と鉢巻とエプロンをした大将が答えた。



 三城がトイレで立ち小便をしていると、その背中を神羽がぼん、と叩いた、思わず三城はよろけそうになった。そのまま四角い顔を三城の横に近づけた。


「三城君、きみもやるね」

「何が……ですか?」

「美奈子ちゃん、君のこと気に入ってるみたいよ」

「そうですか? そういう風には——」


 はっはっはっ、と笑いながら、


「高砂グランドホテルのスイート、用意しておいたから。あとはうまくやれよ」


 そう言って肩をポンと叩くと神羽は去って行った。



 焼肉店の入っているビルの一階に、神羽、肥後、三城、美奈子の四人はいた。美奈子はしおらしく、神羽に擦り寄った。


「今日はごちそうさまでした。また呼んでくださいね」

「おお、こちらこそありがとね、そんじゃ!」


 そういうと、神羽は近くを走っていたタクシーを捕まえ、肥後と一緒に乗り込んだ。三城と美奈子が残された。


「三城さん、ではお部屋をご案内しますね」

「あ、はい……」


 



 いつものVIP専用高級バーで、神羽と肥後はくつろいでいた。


「あいつら今頃ハッスルしてんのかねえ」


 肥後はハイボールをごくりと飲んだ。


「美奈子ちゃんの美貌を断れる人はいませんからね」


 あ、来た、と言うと神羽はスマホを見た。


「成功したら、メッセージ送るよう言っといたんだ、決めましたってね」


 メッセージアプリには、「無事決めました」と書いてあった。


「ずいぶん早いな、あいつもしかして早漏侍か? 早漏でそうろうってやつ」


 はっはっはっ、と神羽は下品な笑い声を上げた。

 肥後がハイボールのグラスを、からんからん、と鳴らした。


「早速飼い慣らしてますな」

「こういうのは最初が肝心だからな」


 神羽は得意げに鼻の下をこすった。


「そういうところはお父様にそっくりですね」

「そうか? 顔は似てないってよく言われるけど」

「確かにお顔はお母様譲りです、しかし性格はお父様そっくりですよ」


 神羽は思い出していた。10年前に他界した母のことを。いつでも自分の味方をしてくれた母。そして父はいつでも自分の手の届かない高いところにいた。父はいつでも厳しかったが、病院スタッフの誰もが彼を恐れ、尊敬し、追従していた。いつか自分のあのような存在になりたいとずっと思っていた。

 幸い神羽記念病院ガイアの遺伝子は自分だけだった。

 神羽源氏は籍を入れず、何人もの女性と体の関係はあったが、実際に子どもができたのは神羽佑介だけだった。それもあり、結果的に神羽佑介の母を唯一の妻として迎えたのだった。


「私も早くお父様のようにすごい人になりたいもんよ」


 持っていた赤ワイングラス越しに、自分の院長というポジションを見つめていた。



 高砂グランドホテルの一室、美奈子は震えていた。暗い部屋でスマホの画面の光で顔が光っていた。画面にはたった今送信した自分のメッセージ「たった今決めました」という文字が浮かんでいる。


 首元には腕ががっしりと巻きつけられている。締め付けられるその腕のせいで、呼吸がうまくできない。そこから逃げようとするが、まったく体がいうことを効かない。


「これで……いいんでしょ」


 背後に立つ者に向かって美奈子は声を絞り出した。返事はなかった。

 しばらくの沈黙のあと、美奈子のすぐうしろから声が聞こえた。


「じゃあそろそろ答えてもらいましょうか、先ほどの質問に」


 美奈子は喉元につまった唾をやっとのことで飲み込んだ。息が苦しい。後ろに立つ三城の表情は見えなかったが、ひとかけらも笑っていないことだけは確かだった。

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