高砂グランドホテルでの会食

 宗方社長と、三城は地下鉄の駅から地上に出ると顔をきょろきょろさせた。もう日は落ちていた。近くの地図を見て、三城は右手の方向を指さした。


「社長、高砂グランドホテルはこっちみたいです」


 宗方社長はいつも着ないスーツに違和感を覚えながら、肩を回した。


「そうかい、こんなところ滅多に来ないからね、すまんね付き合わせてしまって」


 三城もスーツを身に纏っていた。普段から作業着と部屋着しか着ない毎日だったため、先ほどクリーニング屋で包まれていたビニルを剥がしたばかりだった。

 二人の後ろから耳をつんざくくらいの大きな声が響いた。


「いやー、うまい飯ただで食えるなんてサイコーっすね」


 竹田アントニオも一応スーツを着ていたが、大きすぎるお腹のせいで前のボタンが締められないでいた。


「竹田君、相手は私がいつもお世話になっている大病院の先生なんだから失礼のないようにね」


 アントニオは腹をぽん、と叩いた。


「大丈夫っすよ、任せてください」


 三城は腕時計を確認してから「行きましょうか」と促した。



 ホテル内の指定された部屋の前に着くと、スタッフが丁寧に頭を下げた。


「お名前をお伺いします」

「宗方です」


 スタッフがにこやかな笑顔を浮かべると、「お待ちしておりました」と重いドアを開いた。


「うわっ、すげー」


 アントニオが初めて摩天楼をみる少年のように目を丸くして、部屋を見まわした。丸テーブルに、前菜、飲み物などが用意されていた。

 先に座っていた肥後がスーツ姿で待っていた。


「宗方社長、お待ちしておりました。さあ、こちらへ」


 3人が座ろうとすると、スタッフがそれぞれ椅子をひいた。アントニオは若い女性スタッフを見てにやりとした。三城は表情を崩さず、無駄のない動きで腰をかけた。


「肥後先生、お話じゃ神羽先生にお世話になっている患者の会ってことでしたが、これじゃ我々しか……」

「何言ってるんですか、宗方社長はずっと前から神羽先生の大事な患者さんですから特別なんです。神羽先生も、もうすぐいらっしゃると思いますが……」


 部屋の重いドアが開く音がした。


「噂をしていればほら、神羽副院長! ちょうど今いらっしゃいました」


 神羽は病院でのよれよれの白衣とは違い、グレーのスーツにインナーのベストもしっかり決めていた。四角い顎とがっちりとした肩幅からは日本人離れした雰囲気さえ漂わせる。


「これはこれは、宗方社長と社員の方々、今日はお越しいただきありがとうございます」


 3人は立ち上がると、お辞儀をした。宗方は、近づいてきた神羽にすがるような目線を向けた。


「先生、今日は我々しかいないんですか? 聞いてませんでした。こんな高級ホテルの料理なんて……持ち合わせが足りるかどうか」


 神羽ははっはっ、と笑い飛ばした。


「何をおっしゃるんですか。今日はいつもお世話になっている宗方社長へのお礼の会ですから。そんなものは気にしなくていいんですよ、さ、早速始めましょう」


 神羽と肥後が腰掛けると、ビール瓶を持ったスタッフがグラスにつぐために集まってきた。

 宗方が恐縮してグラスを向けた。それぞれのグラスにビールが注がれ、肥後が全体に目配せをしてから小さくうなずくと「では乾杯と行きますか」と声をかけてから乾杯がなされた。


 「いっただっきまーす」と言ってアントニオが目の前の前菜を頬張った。三城は姿勢を崩さず、神羽を見て少しこうべを垂れてから食を開始した。その姿をじーっと神羽は見ていたが、やがて口を開いた。


「今日はお集まりいただきありがとうございます。私は神羽記念病院副院長の神羽佑介です、そしてこちらが」

「統括診療部長をしております、肥後です、よろしくお願いします」


 宗方は背筋を伸ばし、お辞儀をし、三城もそれに習った。アントニオは食べながら少し首をこくりとさせた。


「せっかくですので、おふた方のこともお伺いしてもよろしいでしょうか」


 アントニオが食べたものを少し吹きながら答えた。

 

「はい、竹田アントニオって言いいます、26歳です。体だけが自慢で、社長に拾っていただいて頑張ってます。それくらいっすかね」


 ははは、と言いながら最後の前菜を口に入れ、目の前のプレートを平らげた。


「そうですか、葬儀屋はかなり過酷な仕事と聞きます。お亡くなりになる方は昼夜問わず時間を選んでくれませんからね」


 アントニオは、はい、ですね、と言いながらスタッフにビールのおかわりを要求した。


「では、隣の……」


 三城は遠慮がちに目を伏せてから小さく口を開いた。


「三城順一と言います。私も宗方社長に拾っていただいて、細々と仕事をしています。このようなところにお招きいただき、ありがとうございます」


 神羽は数回、笑顔でうんうん、と頷いてから、はっとした表情をした。


「はて、どこかでお伺いしたことがあるような……あ、肥後先生もしかしてこの方は——」


 肥後も、あ、という顔をした。


「あの御高名な先生では? 申し訳ありません、最初お会いした時にどこかでお見かけしたことがあるような気がしてのですが、まさかあの先生とは」


 三城の顔が曇った。即座に顔をしかめ、肩と腕に力が入った。心拍数が徐々に上がり始めた。


「何を——おっしゃっているのですか」


 三城の表情が徐々に凍りついていくのをアントニオが気付き、思わず口を止めた。そしてその表情を見て、思わず持っていたフォークが落ちた。


 神羽は、ははは、と笑い飛ばし、

「ご謙遜なさらないでください。三城先生のことは存じ上げております、ねえ肥後先生」

「もちろんです。石川セントラルホスピタルの三城先生と言えば知らない人はいませんからね」


 三城の表情が、ぱちん、とまるで風船が割れたように脱力された。肩の力がすっと抜けるのをアントニオは確認していた。

 三城は軽く笑みをこぼして答えた。


「石川? どなたかと勘違いされているようですね、私は一度も……」


 そんな三城の言葉も聞かず、神羽はスタッフに合図をした。


「まさかこんなところで先生にお会いできるとは。ぜひ神羽記念病院うちのことも紹介させてください。もし先生がよろしければいつでもうちで働いてもらいたいです。今外科医が不足しているもんですから」


 スタッフが神羽記念病院のパンフレットを3人の前に丁寧に、音を立てないように置いた。


 三城は何か言いたそうだったが、口をつぐみ、目の前のパンフレットに目を落とした。


神羽記念病院うちはおよそ1000床の総合病院で、政界、財界とも強い繋がりのある病院です。この前、衆議院議員の石場先生が入院されたのをご存知でしょう、あれは神羽記念病院うちでした。そのほかにも、最新機器を兼ね備えており、今年初めには世界に先駆けて多臓器同時移植手術も成功させました」


 カラーのパンフレットには輝かしい業績がびっしりつまっていた。


「次のページが、現院長の神羽源氏です」


 三城がぺらりとパンフレットをめくると、そこに神羽源氏の表情がドアップで表示されていた。椅子に座り、インタビュアーにむかって力強く、かつ信頼感のある強い表情だった。


「プライベートな話になりますが、彼は私の父にあたります。非常に尊敬できる人物でして、この病院をここまで大きくできたのは現院長の手腕に他なりません」


 三城の目が丸くなった。気づかないうちに口が開き、何か心の奥の押してはならないスイッチが押されたようだった。それはまるで得体の知れない何かにであったときに全身の力が抜けるような、頭の奥をぐるぐるとえぐられるような、感覚が三城の中を渦巻き始めた。


 三城の表情に気づいた肥後が声をかけた。


「三城先生、どうかなさいました?」


 はっとした三城は、首を横に振った。


「いえ、なんでもありません」


 肥後はいぶかしげな表情を見せたが、神羽はそれに気づかずパンフレットを元に病院の宣伝を続けた。

 しかし三城はその後の会話は全く頭に入っていかった。頭は先ほど目に飛び込んできた神羽源氏の表情でいっぱいだった。


(まさか……こんなところにいたなんて)


「……ということで、言いにくいのですが、最近様々な事情から当院の外科医が不足しておりまして、先生のような高名な方を絶賛募集中なんです。ぶしつけなお願いではりますが——」 

「ぜひお願いします」


 三城の力強い言葉に、神羽と肥後は口をぽかんとさせた。


「ということは三城先生、うちで働いて頂けると?」

「ええ、お力になれるのでしたらぜひ」


 神羽の顔が一気に明るくなり、ほら、あれを、と肥後に指図した。肥後は、はいと、書類を持ち出した。


「では仮契約ということで、こちらにサインを」


 三城は渡されたボールペンを受け取ると、書類にざっと目を通し、名前を書いた。その様子を神羽と肥後の二人は固唾を吞んで見つめた。

 書き終わったのを見て、さっと肥後は書類を回収した。


 それを見て、神羽はふう、と息を吐いて椅子に腰かけた。


「いやー、良いお返事をいただいて本当によかったです。ね? 肥後先生」


 肥後は書類に目を落とし、何か一点を見つめていた。


「肥後先生?」


 肥後は、あ、と声を上げて、「あ、いやその……」と言ってから、


「三城先生、確認なのですが、お名前は『三城 順一』で間違いないですか」


 書類にはそう書かれており、再度書類を三城に見せた。


「はい、それが何か?」


「いや、なんでもありません」


 神羽は疑問の表情を浮かべたが、肥後が何故困惑していたのか、その時は全く理解できないでいた。

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