第55話 宏明の覚醒


同刻、松原二丁目、テナントビル1階の動物園。

鈴木宏明、改め怪異『ダメ人間』は、飼育係のチョコボール・ユカイと二人で、神経衰弱ゲームを興じていた。

二人のルールには特異なものがあり、負けた方が、顔にチョコレートを塗るのだ。

ダメ人間の顔は既に、チョコレートが塗りたくられており、対座するチョコレート・ユカイの顔(?)と大差がなくなっていた。


 ……そこに、一人娘の声を、乾いた北風が運んできた。

つまり、


『助けて、パパ』


 ダメ人間とチョコレート・ユカイは 同時に同じ方向を見た。


「……何か聞こえたね」


「……はい」


「……行かなくて、いいのかね」


「……はい、自分は、そんな資格ありませんので……」


「そうだね」


 チョコレート・ユカイは、トランプを片づけて日課のエクササイズを始めた。ベリーダンスである。


「ダメ人間はダメ人間らしく、ダメ人間としての怪異生を受け入れなさい。それは何も特別なわけでも、何かを諦めることでもない。

 至極自然なことだからね」


「……はい」


「……ところで、……これは独り言だがね。ここは一階だ。そして、そこの窓ガラスは防音ガラスではなく、ただのガラス戸だよ」


「それがなんですか?」


 チョコレート・ユカイは、魅惑のベリーダンスを中断し、ダメ人間に正体した。


「独り言だと言っているだろう。君には関係のないことだ」


「……はあ」


「君は、ダメ人間だ。できないことはある。それが君だ。

 ワニが空を飛べるかい? ナマケモノがベーリング海を泳げるかい? できないだろう。

 それが君の怪異生だ。できないことはある」


「心得てます」


「娘に助けを求められても、何もできた試しがない。それが君だ」


「そうです」


「父親であることすら放棄した。それが君だ」


「そうです」


「君の顔に塗られたのは、チョコレートじゃない。だったら何か?考えようともしない。それが君だ」


「途中からなんか味噌っぽいな。とは思ってました」


「でもそれに対して、反抗することもやめた。それが君だ」


「……そうです……」


 そこにまた。北風が麻由の声を運んできた。

 『助けて!!」


「行かないよな? うっすーいガラス戸だ。でも君は破ってここから出られない。ガラス戸を破るのが怖いからだ。そうだな?」


「……はい。そんな勇気ありません」


「私がこれだけ言っているのにも関わらず、何もしない! そんな甲斐性無しが君だ! それでいいんだな!」


「はい! 私は! 人間の尊厳を放棄したのです! もう放っておいてください!!」


「放っておくとも! 君は商品だ! ここでグダグダしてもらわないと困る!」


 『助けて!!』


「これだけ娘に呼ばれているのに動かない! それが君だ!」


 チョコボール・ユカイは、片足をゆっくりあげ舞踏のような不思議な動きを始めた。


 『助けて!!』


「君は助けに行けない! 行っても何もできないから! それが君だ!」


 『パパ! 助けて!』


「…… ……うおおおお!!」


 ダメ人間は、窓ガラスに7本の腕で突進し、突き破った!!


「今行くぞ麻由ーー!!!」


 北風が声を運んだ方向に向けて、宏明は走り出した!

それをチョコボール・ユカイは、腕を組んで見守った。


「やれやれ。また、動物が脱走しちまったぜ……もう戻ってくるなよ。宏明さん」

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