第36話 お泊り確定

 麗奈が焼いてくれたステーキにはひと口大で切れ目が入っていて、食べやすくなっていた。

 香ばしい匂いと一緒に、赤ワインでフランベした風味も漂ってくる。


「わあ、美味しそう。頂きます!」


 朱宮さんが、子供のようにはしゃぐ。

 皆で箸を伸ばして口の中へ運ぶと、甘い肉汁の味がじゅわりと広がり、舌を蕩けさせる。


「うん、美味しいわ。麗奈さんはお料理が上手なのね。尊敬しちゃうわ」


「ほんと絶品です、美味しい!」


 沙里亜さんと朱宮さんは、称賛しきりだ。

 何でもできる万能選手のように見える沙里亜さんだけど、実はお料理があまりできないことが玉に傷で、本人もそれを気にしている。

 それでも、それを挽回して余りあるほどの仕事力と、ユーモアも分かる人間性が、彼女にはあるのだけれど。


「ありがとうございます。お料理は好きで、昔からやっていましたので」


 二人から称賛された麗奈は嬉しそうにほほ笑んで、グラスを傾ける。

 実際俺だって、そんな彼女から恩恵を受けている。

 押しかけるようにうちに来るので面倒くさいことはあるけれど、お陰で食の事情は著しく改善している。

 食べたい物を言うとそれに応えてくれるし、栄養のバランスにも気にしてくれている。

 それもあって、さっき前を通った定食屋にも、最近はお世話になっていないんだ。


 夜が更けていって、美味い料理に豊富なお酒と一緒に話しはどんどんと弾んで、だんだんと彼女たちの顔が赤くなっていく。

 

「なんで沙里亜さんは、資格を取ろうと思ったんですか!?」


 朱宮さんは沙里亜さんにもたれ掛かりそうになりながらも、テンションはアゲアゲだ。


「まあ、これからどうなるのかわからないものね。ずっと今の会社にいるのかどうかも。転職に有利になればいいし、いざとなったら独立だってできる。そんな感じで思ったのよ」


「それ、会社に入ってから取ったんですか?」


「そうよ。昔はもっと時間があったから、その間にって思ってね」


 入社したての頃の沙里亜さんのことは、俺はよく知らない。

 けど、きっと、さっさと仕事を終わらせて、時間が余っていたんじゃないだろうか。

 

 とはいえ、沙里亜さんが持っているのは、合格率が一桁前半の超難関資格だ。

 きっとそれなり以上の努力はしたに違いない。

 いつか聞いたことがある。

 寝不足だったり体重が減ったりしながらやっていた時があったって。

 人知れない努力、普段の彼女はそんな姿は見せないけど、たまに俺にはそんな話をしてくれるんだ。


 俺と沙里亜さんとの関係は、ちょっと変わっているのかもしれない。

 お互いに束縛しない間柄だけれど、たまに彼女はこっちのことを気にして絡んでくる。

 完璧に見えるけれど、そうでないところもあって。

 そんな彼女のことを尊敬もするし、可愛くも思うし、一緒にいると楽しい、そんな自分は間違いなくいるんだ。


「そういえば、麗奈さんは、なんでうちの会社に入ったのかしら?」


「えっ!?」


 沙里亜さんから急に話を振られて、レナの火照った体がぴょんと跳ねあがる。

 そういえばまだ、そんな話はしたことがなかった。


「あの、そんな大した理由はないんですよ。ただアメリカにいたことがあって、その時に今の会社の製品がたくさんあったんです。なんかおっきくて色々やってる会社なのかなあって思って。それで就活で応募したら、採用してもらった。それだけですよ」


「ふ~ん、麗奈さんはアメリカにいたことがあるんですか?」


「まあね。2年ほど留学しながら、ずっと放浪してたのよ」


「留学ですか、どこかの大学に?」


「ん。ハーベスト大学にね」


「え……えええ~!!!??? すごいじゃないですか!!??」


 世界一流の大学の名前を耳にして、朱宮さんの目が大きくなる。

 けど、俺の目からすると、朱宮さんだって十分以上に大したものなのだけどな。


「まあ、面白いところだったよ。色んな国の人がいて、知らない話をたくさん聞けたし。勉強は難しくて大変で、よく研究室の教授に怒られたけどね。そういう真理ちゃんだって、お医者さんになるんでしょ? すごいじゃない。どんなお医者さんになりたいの?」


「外科医か、臨床内科医なりたいんです。色んな病気を治せるような」


「いい、いいね。真理ちゃんが先生なら、患者さんもいっぱい元気がもらえそう」


「えへへ、そうですかね? ありがとうございます」


 なんだか楽しそうに話してるな、三人とも。

 すごくハイレベルな会話に聞こえるんだけど、酔っているとはいえ、もうちょっと気をつけて欲しい。

 沙里亜さんも朱宮さんも、さっきからスカートの中がちらちらちらと見えてしまっているし、麗奈は俺にもたれて休むのは止めてくれ。

 体を動かすと麗奈がよろけそうなので、下手に動けない。


 変に意識しないですむように、濃いめの酒を呷りながら、明日のお天気とか、次の与党代表選挙のこととか、全然関係ない話題を思い浮かべて気を逸らす。


「ふ~、なんか眠くなっちゃたあ」


 そんな一言を残して、朱宮さんはフロアの上に、ゴロンと横になった。


「あ~あ、真理ちゃん寝ちゃったかあ。これはお泊り確定かな」


 凧の糸がぷっつり切れたように、急に眠り込んでしまった。

 沙里亜さんも麗奈も相当の酒豪なので、よく今まで一緒についていけてたなってとこだろう。


「車を呼んで家に送ることもできますけど?」


「そんなの可哀そうよ、気持ちよさそうに寝てるのに。それより兼成君、グラスが空よ」


 沙里亜さん、まだまだ余裕だな。

 俺もついていくのが大変だ。


 朱宮さんの足元が寒そうなので、薄い布団を引っ張り出して、彼女の上に被せた。


「でも、すごい偶然ね。たまたま同じ会社に入って、隣同士に住むなんて。しかも同じ職場でしょ?」


「そうですね、私もびっくりです。そうだ、私の部屋に明太子があるから、持ってきましょうか?」


「あら、いいわね。じゃあ兼成君、次は日本酒ね」


 一体この二人、どこまで行くつもりなんだ?

 全然帰ってくれる気配がないし。

 いや、いまこの二人に帰られると、俺と朱宮さんと二人だけになってしまう。

 それはちょっと、彼女が目を覚ました後で、困ったことになりそうだしな。


 麗奈が自分の部屋に戻っている間に、日本酒の瓶とグラスを用意する。


「ねえ、兼成君と麗奈ちゃんって、昔はどんな感じだったの?」


「えっ!? なんですか、急に!?」


「だって、二人ともとっても仲良しだし。きっとこの部屋にも何回も来てるでしょ? 急にそんなふうになるなんて思えないし」


 そうだ、つい気を抜いて放っといたけど、麗奈は慣れた感じでキッチンを動き回っていたな。

 まるで自分の部屋のように。

 カンが鋭い沙里亜さんは、何かを感じ取ったに違いない。


「あの……まあ、普通でしたよ。高三の時に、一度同じクラスになって、それで顔を知ってたんです」


「……それだけ?」


「……まあ、それだけではなかったですけど。でももうそれは、昔の話です」


「そう……でも、兼成君にとっては昔の話でも、彼女にとってはどうなのかしらね」


 どうなんだろうかな。

 麗奈と再会して、ずっと記憶の彼方にあった時間が、頭の中に蘇った。

 それは苦くて耐え難い、黒い思い出。

 でもそれと一緒に、青林檎の透いた味のような時間も顔を見せた。

 ただ純粋に誰かのことを想って、でもそれは口には出せなくて。

 青臭かったけど、でも嫌いにはなれない自分。


「そう。でもちょっと妬けちゃうな。兼成君の昔を知っているなんて」


「いえ、俺は沙里亜さんには知られたくありませんよ。あんなつまんないもの」


 たったそれだけの会話だったけど、沙里亜さんにはそれで充分だったみたいで、それ以上は言葉を継いでこなかった。


「は~い、お待たせです!」


 部屋に戻ってきた麗奈の差し入れの明太子は、鮮やかな赤色で、真ん丸に太っていた。


「ついでに持ってきました。取っておいた『大久保』!」


 それ、有名な新潟の地酒じゃないか。

 まだ飲むつもり満々なのかよ、お前……


 結局その夜は、午前三時頃に麗奈が寝入ってしまってから、やっと終了に。

 彼女たち三人はお泊りが確定。

 沙里亜さんはそのままソファで寝るというので、俺は申し訳なくも、自分のベッドの上で横になったのだった。




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