第35話 いつもの部屋で

 週末の午後10時、まだまだ街は賑わっていて、夜を楽しむ人たちが前へ後ろへと行き交っている。

 買い物を終えてから俺たちは、俺と麗奈が住むマンションへと向かう。


「へえ、この辺に来るのは初めてです」


 俺や麗奈、それに沙里亜さんにとってはお馴染みの場所だけれど、朱宮さんは珍しそうに目を巡らせる。

 ほの明るく路面を照らす街灯の光を浴びて、金色のシルクのような髪を輝かせながら。


「そこの定食屋、たまに行くんだけど、安くて美味いんだよ。魚の煮つけとか、鳥南蛮とかね」


「そうなんですね。近いから今度来てみようかな。長船さん、一緒に行ってくれませんか? 知らないお店に一人だと、入りづらくて」


「へえ、意外だね。そんな感じには見えないけど」


「そうですか? これでも引っ込み思案だから、いつも同じ場所にばっかり行っちゃうんですよね」


 朱宮さんと一緒に熱帯魚を眺めながら飲んだ夜に、彼女の過去の話を聞いた。

 地味で内気だった高校時代、そんな彼女はもういない。

 きっと誰にでも好かれて友達だって多くて、好きなことだって楽しんでいる。

 

 でも、俺にもなんとなく分かるんだ。

 自分の根っこのところって、やっぱり変わっていないんだ。

 頑張って経験を積んで変わったつもりになっても、やっぱり根暗で卑屈な自分が顔を出すことがある。

 多分、一生付き合っていくことになる、本当の自分。

 

「ねえ兼成君、私、そんな話聞いてないんだけど?」


 浸りかけた感傷を、後ろから飛んできた麗奈の声が突き破った。


「お、そうか? 結構そこは美味いぞ。メニューも多し」


「兼成君は、魚の煮つけや鶏南蛮が好きなのね?」


「あ、そうだな。サバや子持ちカレイの煮つけなんか美味いよなあ。タルタルがたっぷり乗った南蛮も最高だな。できたらレモン付きのやつとかな」


「……分かった。考えとくわよ」


 もしかして、麗奈が作ってくれる料理に、そのうち登場してくれるのだろうかな。

 それはそれで、嬉しくはある。


 雑談をしながら歩くと、やがて見慣れた建物が見えてきた。

 5階のフロアもいつもの通り、同じ形のドアが等間隔で並んでいる。


「こっちが私の部屋なの」


「わあ、ほんとにお隣同士なんですね。いいなあ。なんか合宿でもしてるみたい」


「そうね、お仕事の相談とかはしやすくて便利ね」


 ……麗奈からそんな相談された記憶、あんまりないんだけどな。

 いつも料理をつくってもらって、くだらない話をしている。


 仕事については、麗奈はどんどんと覚えていて、会社の外で何かアドバイスする必要なんて全然ないんだ。

 飲みこみが早いしテキパキとこなせるので、既に上司受けも抜群だ。

 普段は強面の村正組長も、麗奈の前では別人のように、岩のような顔面がデレデレに溶ける。

 美人でスタイルもよくて仕事ができる新人社員、彼女を取った自分の判断に、ほくそ笑んでいるに違いない。


「いいなあ。私も隣が空いたら、引っ越してこようかなあ。あ、でも家賃が高いかな……?」


「はは、もう片方のお隣さんはずっと前からいるから、なかなか空かないと思うよ?」


 麗奈と朱宮さんから飛んでくる能天気な声を聞き流しながら、ドアの鍵を開けた。


「はあ~、着いたあ」


 まるで自分の家にいるかのように、リビングのソファの上に早速倒れ込む沙里亜さん。

 ちょっとお行儀が悪いかな。

 背伸びして足を投げ出しているその姿、スカートの中がやばそうなんですけど。

 一応男の俺もいますからね。


「じゃあ、もっかい乾杯しようか?」


「はい、手伝います!」


 キッチンに立った麗奈が、てきぱきと動きだす。

 まるで自分のホームグラウンドのように、手慣れた感じで。

 その横で、朱宮さんが戸棚からグラスを取り出す。


「沙里亜さんと兼成君は、何がいいですかあ?」


「ありがとう。私、ロックのきつ~いやつ」


 沙里亜さん、やっぱり蟒蛇うわばみだ。

 ゆったりとソファに身を預けて、女王様のような貫禄がある。


「俺は、麗奈と一緒のやつでいいよ。悪いね」


「分かった。じゃあまずはビールね。真理ちゃんは?」


「あ、私も、それでいいです」


 ローテーブルの上に買ってきた豆やチーズを広げて、みんなグラスを片手にした。

 沙里亜さんがコホンと咳ばらいをしてから、


「じゃあみんな、夜はこれから。乾杯!」


「「「かんぱ~い!」」」


 みんなでコクコクと、アルコールで喉を鳴らす。

 外もいいけど、家飲みはやっぱりのんびりできていい。

 何度もここへ来たことがある麗奈と沙里亜さんはすっかりおくつろぎだけど、ミニスカートを履いているんだってのは忘れないで欲しい。

 無防備に動かれると、目のやり場に困るんだ。


「あ、私お肉焼くわね!」


 飲みかけのグラスを片手に、麗奈が再びキッチンヘ。

 買ってきた塊肉を焼くために、フライパンを取り出した。


「いいお部屋ですね、長船さん」


「そうかな、何もない部屋だけどさ」


 最低限の家具だけを揃えていて、壁にはなにも貼ったりしていなくて、観葉植物とかもない。

 いわゆる普通の部屋だ。

 本棚に、今まで買った本が詰まっているのが、俺の梁山泊といえるくらいだ。


「あっ、本棚、ちょっと見ていですか?」


「ああ、かまわないよ」


 朱宮さんが四つん這いになって、ズリズリと本棚の方へと移動する。


「やっぱり! これ「くず100」の原作漫画ですね! 私も持ってます!」


 その通り。今まで発売された30巻全部が揃っている。

 ちなみに、外伝やスピンオフなんかも全部ね。

 本棚の前にしゃがみ込んで、キラキラと目を輝かせる朱宮さん。


「ふうん。もしかして真理ちゃんのコスって、その漫画のやつなのかしら?」


「はい、そうなんです。とっても可愛いんですよ!」


「なるほどおー。兼成君は、そういう子が好きなのね?」


 しっとりとした視線で、こっちを見詰める沙里亜さん。


「えっ!? いやあの、嫌いじゃないですけど。でもそれって漫画だから……」


「漫画の女の子が本当に現れたりしたら、嬉しいものなのかしらね?」


 嬉しい……かな、それは。

 朱宮さんに写真を送ってもらって、内心ドキドキだったんだ。

 好きな漫画のヒロインで、しかもあんなにエッチな……

 思い出すと、また顔が熱くなる。


「まあ、嫌じゃないですよ、もちろん。アイドルやタレントと違って、漫画のキャラは本当にはいません。けど、コスプレをやってくれている子たちが、それを実際に見せてくれるんです」


「……長船さん……」


「ん、どした?」


「嬉しいです、そういうふうに言ってもらえると。長船さんには、実際の私をもっと見て欲しいです。写真だけじゃなくて」


 朱宮さん、目をとろんとさせて、本当に嬉しそうだ。

 写真でも、心臓を直接揺らされて脳天を打ちぬかれるほどに、セクシーで魅力がいっぱいだった。

 実際の姿を目にしてしまうと、やわな俺の心がどうにかなってしまうんじゃないかと心配になるんだけど。


「そうだ。今度衣装を持ってきて、ここで着換えていもいいですか?」


「……は?」


 ……何を言い出すんだ朱宮さん、気は確かですか?

 まだ頭が回らなくなるほどには、酔っていないように見えるけど。


「あら、いいわね。なんだか個人撮影会みたい。私も見てみたいわ」


「そうですね。長船さんに、たくさん写真を撮ってもらおうかな!?」


 おいなんだこれ?

 冗談にしても、暴君ハバネロ大盛級に刺激が激熱な会話だぞ。

 想像しただけで、顔がすご~く暑いんですけど。


「はい、できたわよ!!!」


 ずっとキッチンでフライパンを握っていた麗奈が、焼き立てのステーキ肉が乗った大皿を、テーブルの上にガチャンと置いた。


(…………ふん!)


 耳元で微かに、不機嫌を吐き出したような、そんな息を感じた。

 心なしか、表情も一瞬そんな感じだったけど、でもすぐにまた、いつもの笑顔を貼り付けた顔に戻ったのだった。




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