第29話 相手の気持ち次第で
翌朝職場に顔を出すと、俺のデスクの横には、もう麗奈の姿があった。
昨日の夜のことは何ともなかったかのように背すじを伸ばして、ノートパソコンに向かっている。
結局昨夜は、タクシーを呼んで沙里亜さんを送り出した後も彼女は起きず、明け方近くになって目を覚ました。
罰として普段よりも幼く見える寝顔を撮影してやろうかと思ったけれど、下手をするとセクハラになりかねないので、それは思い直した。
無防備この上ないとは思うけど、そこは信頼されているってことなのだろうかな。
「私は帰るけど、兼成君が月乃下さんをどうにかしたら、すごく妬けちゃうなあ」
「いやいや、そんなことは絶対にありませんから! 酔って寝てる子に、そんなことは……」
「ふふ、冗談よ。ちゃんと介抱してあげてね」
沙里亜さんの帰り際にはそんな会話もあって、軽く釘を刺された気がしている。
「おはようございま~す」
麗奈が挨拶してくれるけれど、何だか眠そうだ。
昨夜はあれだけ飲んで、床でうたた寝していたのだから、無理もないか。
「おはよう。朝早くからご苦労さま」
「どうもで~す」
会社では普通の先輩後輩に戻って、無難に挨拶を交わす。
「お~い、長船君に月乃下さん!」
自分のノートパソコンを立ち上げたあたりで、村正課長からお声掛けがあった。
相変わらず、今日も強面だ。
「「はい!」」
「すまないが、会議室まで来てくれるか?」
朝一から会議室へのお誘い、なんだか悪い予感がする。
どっしりとした巨体を背もたれに任せた村正さんを目の前に、麗奈と並んで座った。
「ちょっと頼みがある。調査案件だ」
「調査、ですか?」
「ああ。社内通報で相談があったんだ。職場の先輩から言い寄られて困ってますってな」
「え~と、セクハラの疑いってやつですかね?」
「まあそうなるかな。まずは人事と一緒に、君たちで軽く話を聴いてきて欲しいんだ」
この会社には、セクハラやパワハラ、横領といったコンプライアンス違反について、こっそりと相談できるしくみがある。
職場で相談できないことについては、秘密厳守ということで受け付けて、人事や総務の方で調査をする。
内容によっては、法務や他の部署から応援をもらうこともあったりする。
「分かりました。人事からは誰がでるんですか?」
「菊一君らしいな」
菊一は俺の同期だから、俺も麗奈も合わせて、みんな若手だ。
普通はもっと年長者が入ることが多いので、こういうことは珍しい。
「三人とも若いですけど、大丈夫ですかね?」
「今回は、年の近い者同士で話してみるのがいいんじゃないかっていう判断だ。もちろん、聴いてもらった内容次第では、もっと上に上がるだろうけどな。月乃下さんにも、いい経験になるだろう」
「そうですね。同性がいた方が、相談者も話しやすいかもしれないですね」
何気なくそう言葉にすると、村正さんが複雑そうに顔を歪めた。
「それがなあ、今回は逆なんだよ」
「……は?」
「相談者は若い男性社員だ。職場にいる女の先輩に、言い寄られて困っているらしい」
―― えええ!?
「それ、逆セクハラってやつ、ですか?」
「まあな。最近増えてきているとは聞いていたが、まさかうちでもとはなあ」
当然のように、相談者は女性と思ってしまったけれど、違ったようだ。
入社してからいくつか調査に入ったことはあったけど、こんなケースは初めてだ。
職場の男の上司や先輩社員に触られた、いやらしいを言われた、女性からのそんな相談はあったのだけど。
「相談者からの通報内容を送っておくから、内容を確認して、菊一君と一緒に動いてくれるか?」
「分かりました」
村正さんから送ってもらったメールを見ると、相談者は正宗君という技術社員、入社三年目とのことで、どうも俺や菊一の同期らしい。
どんなことをされたのかもつらつらと書いてあるけれど、『部屋に来たいと言われて帰りについて来られた』ことが、決定打になったようだ。
いずれにしても、本人からこっそりと話を聞かないといけない。
証拠になりそうなメールとかがあったら、それも見せてもらうんだ。
その上で、相手側の職場の上司に連絡を入れて、そっちからも話を聞くのが普通だ。
「こんなことってあるんですねえ」
麗奈がメールに目をやって、不思議そうに首を傾げる。
「まあ男側からの相談ってのは、珍しいけどね。こういうのは本人同士がどう思っているかが大事になるからな。恋愛とセクハラとの線引きって簡単じゃないんだ。下手をすると、相手側の方を傷つけてしまうこともあり得るしね」
偉そうに言っているけど、これは全部先輩社員の受け売りだ。
やり方を間違えると、その職場の人間関係を壊してしまうことにもなるので、調査は慎重じゃないといけない。
すぐ隣の島にいる菊一に声をかけて、三人で会議室にこもって、相談者への連絡の仕方とかを相談した。
職場の誰にもばれないような時間と場所で、直接会って話を聴くんだ。
相談者とのアポ取りは菊一に任せることにして、他の仕事をしていると、その日の定時時間後に人事課の場所まで来てもらう、との連絡が入った。
やがて約束していた時間になって現れたのは、小柄で大人しそうな男子社員だった。
「
菊一が声をかけると、正宗君は少年のようなはにかんだ笑顔を覗かせた。
「はじめまして、よろしくお願いします」
挨拶も丁寧で、好青年といった感じだ。
正宗君に菊一、それに俺と麗奈とで会議室の中へと移動して、聞き取り調査が始まった。
「色々と誘われて、やんわりと断っていたんですけど、仕事でお世話になっているので、強くは言えなくて。そのうち、毎日メールが来るようになったり、帰りの時間を合わせて二人きりになることとかが増えて。僕の部屋に来たいなんてことも言い出して。それでどうしたらいいか、分からなくなったんです」
こっちの質問に合わせて、切々と答える正宗君。
「気持ちは嬉しいんですけど、僕には他に好きな人がいるので、応えられないんです」
これが彼の本心なんだろう。
話の内容やメールの頻度からして、セクハラと言われても仕方がないように思えた。
1時間ほどの聞き取り調査を終えて、続きは明日にするということにして、今日は解散となった。
「あ、あの、長船さん……」
「ん?」
「良かったら、一緒に帰りませんか?」
後輩バージョンの麗奈が、遠慮がちに訊いてくる。
まあ、帰る方向は一緒だし、たまにはいいか。
「ん。そうしようか」
「はい!」
同じマンションに二人で向かう帰り道、今日の仕事に話題が及ぶ。
「いくら好きでも、やり過ぎちゃダメなんですね?」
「まあね。相手の気持ちも考えずにやっちゃダメだね。部屋におしかけようとするなんて、やり過ぎだ」
「……ねえ、兼成君」
「ん?」
「私が兼成君のお部屋に行っているのって、大丈夫?」
ああ、そういえばそうだよな。
ほぼ毎日のように入り浸ってきているよな。
「そうだな。俺の方がNGだったら、お前もセクハラ確定だな」
さらりと答えると、麗奈がその場で足を止めた。
「……もしかして、嫌だったりするの……?」
そうだなあ、もうちょっと遠慮してくれるくらいが、丁度いいのかもだけどな。
……あれ? おいおい、こんなとこで、涙目にならないでくれよ……
「ぐすん……」
「おい、そうは言ってないだろ? 例えばの話だって!」
「……良かった! 今日の晩ご飯は、何にしよっか!?」
慌てて返事をすると、目に涙を浮かべたままで、泣き顔からさっと笑顔に変わる麗奈。
泣いたり笑ったり、忙しいやつだな。
もうちょっと、厳しく言ってもよかったかもな……?
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