第26話 突然の来訪者

 どうしよう……今、沙里亜さんに来られるのは、よくない気がする。

 麗奈は俺と沙里亜さんとの関係を知らないし、沙里亜さんだって麗奈がここに入り浸っていることは知らない。

 変に思われてしまうと、明日からの仕事にも支障があるじゃないだろうか?

 それはまずい、非常に良くない。


 よし、ここは断るしかない。

 そう心に決めてスマホの画面をタップしようとすると、


『ね~え、兼成君。今マンションの前にいるんだけど』


 なにいいい!!!???


 居留守を使うか……いやだめだ、もう夕暮れ時で、リビングの灯りが外に漏れている。

 部屋にいるのはバレバレだ。

 ここは……腹を込めて、沙里亜さんと素直に話そうか?

 いや、来客中だからとでも言えばいいか?


「なあ麗奈、ちょっと外へ出てきていいか?」


「いいけど、どうしたの?」


「チーズが食いたくなって……」


「そう。じゃあついでに、アイスもお願い。バニラのやつね」


「はい、了解」


『ピンポ~ン』


 そんな時に、インターホンの音が鳴った。


「あら、誰か来たのかな? 見てこようか?」


「いや、いいって!」


「あれ? どうしたの? なんだか顔色が悪いけど?」


「いや、別に、なんでも……」


 まず相手を確かめないと……でも、嫌な予感しかしていなくて、もう背筋が寒い。


「……はい」


「梅澤です」


 部屋の中から呼びかけると、想像通りの声と名前が返ってきた。

 その声は麗奈にも届いてしまったようで、


「え? 梅澤さん?」


 この事態の深刻さなど分からない麗奈は、すっとんきょうな声を上げる。


「あははは、ちょっと行ってくるわ!」


 仕事のことで立ち寄ってもらったとか、そんな理由でなんとか誤魔化そう。

 今ならまだ、大丈夫だ、うん。


 そっとドアを開けると、沙里亜さんの艶っぽい笑顔が、玄関先に流れこんできた。

 どこかからの帰りだろうか、普段会社では見ないカジュアルな服装だ。

 いつもよりは長めで膝丈の紺色のスカートが、落ち着いた大人の女性を演出している。


「こんばんは、兼成君」


「ああ、今晩は、さん……」


「? どうしたの、顔が固いけど? すぐ近くまで来る用事があったから、つい寄っちゃった。迷惑だったかな?」


 いや、迷惑じゃないけど、今でなければ。

 今までにもこんなことはあったので、彼女からしたら普通の行いなのだし。


「すみません、ちょっと外へ出ませんか?」


「え? もしかして、誰か来てるの? それだと申し訳……」


「あっ、やっぱり、梅澤さんじゃないですか!」


 梅澤さんを外に連れ出して事情を説明する目論見は、麗奈の能天気な言葉で打ち砕かれた。


「こんばんは!」


「……あれ? 月乃下さん?」


「はい。月乃下です!」


 いきなり現れた麗奈の満面の笑顔の前で、沙里亜さんは氷のようにカチンと固まる。

 けれども、すぐに今の景色を理解したのか、いつもの涼やかな笑顔を取り戻した。


「なんだ、月乃下さんが来てたのか。そういえば、お隣さんだったのよね」


「そうなんです。今からと一緒に、ご飯を食べようかって思ってたんです」


「……そうだったの。それならそれで、連絡を返してくれたらよかったのに。!」


 それはそうだ。

 もっと早くに気づいて連絡を返せていたらと、今さらながらに後悔するし、申し訳なくも思う。

 ずっと麗奈と一緒だったこともあって、スマホに目が行かなかった。

 俺と麗奈の関係、俺と沙里亜さんとの関係、ずっと秘密にしておきたかったんだけどな。


「あの、すみません。ちょっと外へ出ていて、ばたばたで……」


「外で兼成君と偶然会ったので、一緒に散歩してたんですよね!?」


 ……まあそういう言い訳のはずだけどさ、それフォローになってるか?

 今の場合……

 いつの間にか、沙里亜さんの前で兼成君って呼ばれてしまっているし。

 これだときっと、職場の先輩後輩とは、思われない。


「ふ~~ん……」


 うわ、沙里亜さんの目が怖い。

 いつも仕事で、相手のことをねっとりと追及して、捻りつぶす時の目だ。


 もう変に隠すことはできないな。

 腹を括って、素直になるしかないか。

 きっちり話をすれば、二人とも分かってくれるはず……と思いたい。

 なにを分かってもらうのか、そんなことも頭の中が全然整理できていないけど。


「せっかくだから、梅澤さんにも上がってもらったら、兼成君!?」


「あ、ああ、そうだな……」


「梅澤さん、よかったら一緒に食べて行きませんか? 今シチューを作ってるんです」


「あら、いいのかしら? 私はお邪魔じゃなくて?」


「ぜんっぜんそんなことはないです。せっかく先輩が訪ねて来られたんだし。ねえ、か・ね・な・り・君!?」


 なんだ? このハイスペック美女同士の応酬は?

 しかも、二人の視線が、俺にだけ冷たい感じがするんですけど。


「はい。よかったらどうぞ、梅澤さん」


「兼成君、そんな呼び方、余所余所しくて嫌だわ。いつも通りに呼んでくれていいわよ」


「……どうぞ、沙里亜さん」


「ありがとう。私も色々と買ってきたから。月乃下さんは、スモークサーモンや肉寿司なんて好きかしら? 赤ワインなんかも買ってきたけど?」


「はい、ありがとうございます。大好きです!」


 どうやら沙里亜さんも、ここに来てくれる気満々だったみたいだ。

 俺と沙里亜さんは二人とも料理は得意じゃないから、お互いの部屋を行き来する時には、こうやって持ち寄るんだ。


 沙里亜さんにも上がってもらって、リビングのソファに座ってもらった。


「シチューがあとちょっとで出来るんです」


「そう。じゃあそれまで待ってる? それとも、先に乾杯しちゃう?」


「せっかく梅澤さんの差し入れがあるから、始めちゃいましょうか!?」


 俺の意志表示も発言もないままに、麗奈と沙里亜さんが、一見和やかに会話をする。

 俺はと言えば、麗奈に命じられてキッチンからお皿を取り出して、リビングにあるローテーブルの上で、沙里亜さんのお土産を盛り付ける。

 新鮮な輝きを放つスモークサーモンに水水しいサラダ、濃いピンク色の霜降肉が乗った寿司、それにちょっと高級そうな赤ワインとドラフトビア。

 これだけでも、かなりの豪華さだ。


 まだシチューを準備中の麗奈もこっちへ来て、


「お疲れ様です、乾杯!」


「乾杯、お疲れ様」


 二人がワイングラスを重ね合わせるのを目に入れてから、俺も静かにグラスを差し出すと、またカツンと、いつもの乾杯よりも大きな音がした。



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