第25話 同窓会の案内

 公園の中にあるレストランで簡単にランチを済ませると、麗奈は軽い足取りで動物園の方に向かっていく。

 こっちはやれやれと息を吐きながら、チケットを買って中に入ると、そこも大勢の人で賑わっていた。

 進んでいくと、折の向こうでのんびりしている動物たちが出迎えてくれた。


「わわ、パンダだよあれ。可愛い!」


「ああ、パンダだね」


 白色と黒色の模様のふわふわの熊は人気があって、たくさんの人だかりができている。

 俺的にはこっちよりも、小鳥やネズミといった小動物の方が、見ていて癒されたりするんだけども。

 麗奈はカバやサイの前でも立ち止まって、スマホで写真を撮っている。

 おっきくて丸い動物が、お好みなのかもしれない。


 ずっと奥に進んでいくと人が少なくなって、歩きやすくなっていく。

 これなら確かに、動物たちに囲まれた散歩という表現は、当たっているかもしれない。


 猿が入った折の前で、麗奈がこっちを向いて、赤い唇を動かした。


「ねえ、高三の時の同窓会の案内って来てた?」


 ―― なんだ? そんな話を、なぜ今するんだ?

 頭の片隅にさえ置いていなかった話をされて、気分がぐらりと揺れる。


「さあ、覚えていないな」


「うそ。猿渡君から連絡が来てたでしょ? 猿顔で耳が大きかった子?」


 猿顔をした猿渡……そうだ、確かそんな奴もいた。

 だから猿の折の前で思い出したってか?

 なんて単純な、冗談のような展開なんだ。


「来てたとしたら、なんなんだよ?」


「私と一緒に、出てみない?」


 ……なにを……言っているんだ……?

 確かに、実家から、そんな案内が転送されていた。

 思い出すと、過去の黒歴史も脳裏をかすめて、鳩尾みぞおちのあたりに鉛の重さが宿る。

 高校三年生、なにもなく平穏に過ごしていたのに、あのことがあってから、思い出したくない時間に変わった。

 歪んだ笑顔を向けてきた連中の顔が、頭の中でぼんやりと蘇ってくる。

 気分が悪い、なんだか吐きそうだ。


「くだらないことを言うのなら、俺は帰る」


 麗奈に背を向けて、足早にそこから去ろうとした。


「ちょ、ちょっと待って、兼成君!」


 後ろから、麗奈の慌てた声が追い駆けて来る。

 俺は足を止めない。

 すると、右腕をぐっと掴まれた。


「待って待って待って、お願いだから!」


「待たない。もう俺の部屋にも来るな」


 また有頂天になって、気を緩めてしまっていたかもしれない。

 麗奈と再会して、一緒の時間を過ごして、きっとどこか楽しかったんだ。

 そんな俺が、またあいつらの前に出るなんて。

 まるであの時と、同じじゃないか。


 せっかく忘れていたのに、そんなの御免だ。

 もう気にしていないつもりだけれど、さりとて笑って許した覚えもない。


 強引に麗奈の手を振り払うと、今度は背中にしがみ付いてきた。


「ごめん、いきなり! でもお願い、話を聞いて!!」


 このまま引きずって歩くわけにもいかない。

 仕方なくて足を止めると、麗奈は抱き付いたままで、話を続けた。


「私、悔しいの。このまままじゃ」


「悔しい? 何がだよ?」


「みんなに誤解されたままで。兼成君が笑いものにされて。私の気持だって分かってもらってなくて。だってあの時は、私たち……」


 あの嘘告があった翌日から、俺は学校に行けなくなった。

 だから、そこから卒業式の日までは、誰とも会ってなくて、話もしていない。

 なのでその間に何があったのか、何も知らない。

 およそ想像はつくけどな。

 勘違い野郎が凹んで学校に来なくなった、そんな噂が流れて、それはすぐに忘れられて、消えていったんだ。

 あいつらにとっては、数ある遊びの一つでしかないんだ。


 きっとみんな、もうそんなことは、覚えてもいないに違いない。

 今さらそこへ行って蒸し返して、一体何になるんだ?


「実はあの時、私たちは両想いでしたって、そこで宣言でもするのか?」


「分からない。けど……」


 背中にしがみつかれているので、麗奈の顔は見えない。

 けど、多分泣いている。

 ぐっと手に力が入って、お互いの体が密着しているところが熱い。


「あの時の私って、気が弱くって、言いたいことが言えなかった。みんなに私の気持を伝えようとしたんだけど、全然信じてくれなくて。もっと私が、ちゃんと言いたいことを言えてたら、兼成君に嫌な思いをさせることもなかったのに……」


「それはどうかな。麗奈が何を言ったって、要は楽しかったらよかったんじゃないか? だからどうしていたって、変わらなかった気がするよ」


 会社に入って、人事や法務と一緒に、いくつかの修羅場を見てきた。

 ひとつの真実を、10の嘘が塗りつぶしてしまって、追い詰められていく人がいる。

 パワハラやセクハラに声を上げたって、たった一人の声は弱い。

 だから俺たちのように、社内調査をきっちりやって、できるだけ公平な目で事実を見極めるお役目も、時に大事になるんだ。


「そうかもしれない。でも、私がもっと強かったら、もっと違ってたのかもしれないって、ずっと思ってた。だから、もうそんなことが無いように、もっと変わりたいなって思って」


「そうか」


「それでアメリカにも行ったんだよ、思い切って。誰も私のことを知らない場所で、自分を見つめ直したいって思ってさ」


 なるほどな、武者修行の旅みたいなやつかな。

 高校時代の麗奈と今の麗奈、性格も行動も違っている気がするのは、そのためなのか。

 そのことは理解できるし、すごいなとも思う。

 けどなあ……


「なあ麗奈、今さら昔の話を持ち出したって、何も変わりはしないだろ? 変に悪目立ちすると、また笑いものになるだけだぞ?」


「じゃあさ……今は二人仲良くやってますってだけでも、よくない?」


 なんかそれ、恋人報告か結婚報告みたいに聞こえるけど、気のせいかな?

 まあ、仲のいい隣人ってことにはなるのだろうけどもさ。

 でもそれを今さらご披露したって、どうなのだろう?


「ちょっと考えさせてくれ」


「分かった。ごめんね」


 すぐに気を取り直してってわけにはかなかったけれど、それから動物園をぐるりと回って、なんとか気持ちは落ち着いた。


 のんびりとした休日は、時間が経つのが早い。

 動物園以外の公園の中も巡っていくと、午後の遅い時間になっていた。


「そろそろ帰るか?」


「うん。途中でお買い物して帰ろうよ。今日は兼成君の好きな物、なんでも作るよ?」


「そうだな、じゃあブルゴーニュ風エスカルゴと、子羊の香草焼き田舎仕立てと、すっぽんの煮込み四川風味とかかな」


「……う……私、アイアンシェフじゃないから、それは厳しいな。ねえ、もう許してよ」


「ははは、冗談だよ。じゃあ、クリームシチューが食いたいかな」


「はい。一緒にワインでも買って帰ろっか」


 家の近くまで戻ってから、スーパーや酒屋で買い物をして、俺の部屋へと戻った。


「お前、部屋に戻って着替えてきてもいいぞ?」


「ううん、平気。なんだかこの方が、デートの続きっぽくない?」


 こいつの頭の中では、やっぱりデート感覚だったんだな。

 まあいいけどさ。

 ちょっと狼狽した場面もあったけど、いい息抜きにもなった。


 キッチンに立つ麗奈を横目にスマホに目をやると、いくつかメッセージが入っていた。


 その中に、沙里亜さんからのものもあって、


『どうしてる? そっちの家の近くにいるんだけど、今から寄っていい?』


 ……えっと……どう返したらいいんだろ、これ?

 麗奈の鼻歌が耳に流れ込んでくる中、背中を冷たい物が流れ落ちた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る