第14話 先輩と後輩

 朝のオフィスには、いろんな空気がある。

 のんびりとコーヒーを飲んでくつろいでいる者や、なにかの仕事を抱えてピリピリしている者、早くから走り回っている者。


 そんな中でも総務課は、いつものんびりと落ち着いていることが多い。

 いつ何が降ってくるか分からないから、びくびくしていても仕方がない。

 いつしか俺も、そんなふうに思うようになった。


「おはようございます」


 職場のメンバーに挨拶をして、いつもの自分の席についた。


「おはようございます、長船さん。昨日はありがとうございました」


「おはよう。お疲れ様だったね」


 もっと早くから出社していた麗奈が、ちょっとだるそうに話しをしてくる。

 昨日の酒が残っているのかもしれないな。

 俺だって同じ、いや、それ以上に……


 結局あれから朝帰りになってしまって、ふらふらになりながら、でも久々の高揚感も感じながら、会社に来た。

 沙里亜さんと二人きりの夜は、灼熱の太陽に焼かれるように熱かった。

 何度も何度も求めって感じ合って、俺は甘い蜜で満たされた沼の中へと沈んでいった。

 泣きそうになりながらくり返し俺の名前を呼ぶ沙里亜さんの声が、まだ耳の中で響いている。


 こういうことは、初めてじゃない。

 なにかの流れや雰囲気とか、ちょっと嫌なことがあったりとか。

 そんな時にお互いの部屋を訪れたり、シティホテルに泊まったり。

 圧倒的に、沙里亜さんから声をかけてもらうことが多いんだけど。


 でも俺と沙里亜さんとは、付き合ったりしている訳じゃないんだ。

 そんな話はしていないし、告白もしていないし、されていない。


 ……これって、もしかして、セ〇レ……?

 そんなふうに思う時もある。

 けど、会ったからといって必ずそうなるものでもないし、ずっと会わない時だってある。

 体を重ねなくたって、一緒に楽しく過ごして、気持ちを慰め合うことはできる。

 もちろん、沙里亜さんはいつも魅力的で、男心を揺さ振って、理性で抑えないといけない部分をくすぐってくる。

 でもそれ以上に、一緒の時間を過ごせることが、心の隙間を満たしてくれる。


「長船さん、ミーティングの時間ですよ!」


「え? ああ、すまん」


 ほんの少し前の熱い熱い時間を思い返していると、麗奈に横から突っ込まれてしまった。


「よし、じゃあ一階のミーティングスペースだな」


「はい、長船さん」


 麗奈と一緒の最初の仕事は、社食で調理を担当している業者さんとの条件交渉だ。

 一緒に一階まで移動して、相手の担当者と対面した。


「……という感じで、材料費が高騰しています。ですので、メニューを一律で20%の値上げをさせて頂きたいです」


「20%は大きいですね。ちょっと持ち帰らせて下さい、最大限の配慮はいたします。その代わりこちらからも、メニューの充実のお願いがありまして……」


 社員食堂の運用は、会社の福利厚生のために大事で、定期的に条件の見直しの交渉をしている。

 場合によっては、業者を入れ替えることもあり得る。


 一時間ほどの打ち合わせの間、ほとんどを俺がしゃべって、麗奈が熱心にメモを取る。

 一通り話を終えてから業者さんとは別れて、


「今の内容を村正さんに報告してから、法務にお願いして、契約書面にしてもらうんだ。やってみる?」


「はい、分りました。法務って……梅澤さんですか?」


「ああ。彼女がうちの部署の担当なんでね」


「……ねえ、昨日の夜は、ずっとあの人と一緒にいたの?」


 ……なにを訊いてくるんだよ、いきなり。

 全然仕事じゃない話を振られて、きゅっと体が縮こまる。


「いや、家まで送って行っただけだが」


 本当は、そこから先の方が甘くて長かったんだけどな。

 でもそれは、ここでは言えない。


「そう。仲いいね、二人」


「まあ、この会社に入ってから、ずっと世話になっているからな」


「……本当にそれだけ?」


 なかなかにつっこみが鋭いな。

 俺と沙里亜さんとの関係は、誰にも話してない秘め事なんだ。


「たまに一緒に飲みに行ったりはしてたけど、まあそんな感じだよ」


「……二人で?」


「まあ、そんなこともあるよ」


「ふ~ん……」


 納得しきっていない様子で、視線を宙に泳がせる麗奈。


「それより、昨日は大変だったな、寝落ちするなんて。お前だってそんなに弱い方じゃないのに。一体どんだけ飲んだんだ?」


「途中からあんまり覚えてないのよね。みんなが注いでくれるから、全部一気飲みしてたんだけど。でもあんなの初めてだよ」


「気を付けた方がいいぞ。一応お前だって女なんだから」


「あら、心配してくれてるの?」


「……まあ一応、職場の先輩でもあるんでな、俺は」


「ふふ~ん♪」


 おい、そんな甘い目で見上げるのは止めろって。

 ここは会社の中なんだから。


「ねえ兼成君、お願いがあるんだけど」


「おい、会社でその呼び方は止めろって言っただろ?」


「じゃあ、『なりっち』ってどう?」


 ――あだ名か!? そんな呼ばれ方、一回もされたことないんですけど。


「よけいによくないだろ、それ」


「その代わり、私のこと、麗奈とか、『れなっち』って呼んでいいよ。てか、そう呼んで欲しいな」


 頼むから止めてくれって。

 廊下は人がまばらとはいえ、誰が話を聞いているか分からないんだ。


「とにかくそんな話は、会社の外でやろう」


「分かった。じゃあ今夜、そっちの部屋に行くね?」


 ……そうくるのか。

 なんだかんだで、毎晩のように部屋に来られてる気がするんだけど。


「昨日あんだけ飲まされたんだから、今日はゆっくりした方がいいんじゃないか?」


「うん。じゃあ兼成君のお部屋でそうする」


 いや、そういうことが言いたいんじゃないんだけどさ……

 普通そういう時って、自分のとこでゆっくりしたいだろ?


「俺も疲れてるから、寝たいんだけどな……」


「いいよ全然。私のことは気にしないで寝てても。こっそり寝顔を撮ったりはしないからさ」


「……さ、仕事だ」


「はい、長船さん!」


 オフィスがあるフロアに入る前に、俺たちはまた、職場の先輩と後輩に戻った。



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