第12話 秘密の関係

 麗奈を無事に部屋に送り届けてから、またエレベーターで下の階へと向かった。

 エントランスの前に停まってあるタクシーの中で、沙里亜さんを待たせてあるんだ。

 速足でそこに戻ると、車の外で待っていた彼女が、静かに頬を緩めてくれた。


「お待たせしました。じゃあ行きましょうか」


「うん。よろしくね、魔法使い様」


「なんですかそれ。俺はそんなにいいもんじゃないですよ」


 後ろのシートに乗るように目で即されるので、素直にそれに従って、彼女の隣で腰を沈めた。


 二人を乗せた車が動きだして、深夜の街の中を滑っていく。

 人通りが少なくなって空気が静かになったとはいえ、この街は眠らない。

 いくつもの街灯やネオンが遠くまで休まずに輝いてて、さながら不夜城のようだ。


「さっきのお店の女の子と、いい感じだったわね」


 自分の爪にあしらわれたネイルアートに目をやりながら、沙里亜さんが言葉を送ってくる。


「そうですか? 普通にしゃべってただけですけど」


「『クズ100』の話で盛り上がってなかった?」


 ええっ!? 沙里亜さんの口から、そんなワードが出てくるってか!?

 意外だ、なんだか嬉しくて興奮してくる。


「沙里亜さん、『クズ100』を知ってるんですか?」


「ええ。私もたまに観てたから。あの子がコスしたら、綺麗でしょうね」


 沙里亜さん、俺とあの子の会話を聞いていたんだな。

 とするとかなりの地獄耳だし、聖徳太子のように聞き分けもできるってことになる。

 相変わらず、鋭い人だ。


 確かにバーにいた彼女は、コスプレが滅茶苦茶似合ってて、綺麗で色っぽかった。

 SNSのアカウント名は確か、『MARIRIN』……つい、覚えてしまったくらいには。


「ですね、趣味でやってるみたいです」


「あれに出てくる魔法使いの男の子ってさ、なんだか兼成君に似てない?」


 うおお、また予想外のご発言をしてくる。

 物語の主人公に憧れることはあるけれど、そこまで自分に自惚れてはいないつもりだ。


「そんな、からかい過ぎですよ。俺はあんなに恰好よくもないし、何のスキルもありません」


「そうかしら……? 私には、優しい魔法をかけてくれたけどなあ。派手じゃないけど、じわっときいてくる魔法をね」


 沙里亜さんが肩をくっつけて、体重を預けてくる。

 短いスカートから覗く白い脚をこちらに寄せて、車が揺れると膝と膝とが何回も触れ合う。

 ほんのりと香る甘い匂いと、触れ合う部分の柔らかさが、俺の思考を少しずつ溶かしていく。


「俺、なにもしてませんよ」


「そう? でも私には、そう想えたの」


 二人だけの静かな時間を過ごしていると、車は彼女の家の前で停車した。

 高級感が漂う高層マンションだ。


「ねえ、兼成君……」


「……はい……」


 白くて華奢な手を、俺の武骨な手に重ねてくる。


「寄っていくよね、今日は?」


 ―― こうなるかなって予想はしていたけれど。

 でも実際にその通りになると、俺の心臓はフル稼働状態で、全身がかっかとして燃えるように熱い。


「大丈夫ですか、沙里亜さん。酔っていませんか?」


「全然平気よ、あのくらい」


 やっぱりこの人はお酒には強くて、いつも凛としていて仕事もできて、男からも女からも羨望の眼差しが向けられる。

 でも俺と二人でいる時には、甘えた子猫のようになることがあるんだ。


「ねえ、いいでしょ?」


「分かりました。今日はお付き合いしますよ。支払いを済ませますから、先に降りていて下さい」


 しっとりとした笑みが向けられて、俺の小さな心臓は、またトンっと飛び上がる。


 車から降り、透明なガラス戸を通り抜けて、エレベーターの前で並んで立つ。

 もう遅い時間で、他には人影はない。

 しんと静まった空間が、二人を包み込む。


 上の階まで上がってから、沙里亜さんは部屋の鍵を開けた。


「さあ、どうぞ」


「お邪魔します」


 いつぶりだろうか、ここに来るのは。

 最近は二人とも忙しくて、すれ違う時間が多かった。


 白とベージュで統一された清潔感のある部屋は、前と変わらない。

 南に向いた窓からは、街の夜景が遠くまで見渡せる。


「どうぞ、適当にやって。それとも、シャワーでも浴びる?」


「ありがとう。先に沙里亜さん、どうぞ。俺は一杯もらいます。やっとゆっくり飲めそうだ」


「分かったわ。なんなら、一緒に入ってもいいのよ?」


 おわあ、いきなりそうこられても……

 今日はまだ、心の準備ができていなくて。


「どうぞ、お先に……」


「うふふっ。照れ屋さん!」


 小悪魔的な表情とともに沙里亜さんがバスルームへと消えてから、俺は冷蔵庫の中を勝手に物色する。

 缶ビールにスパークリングワインに日本酒、おつまみのチーズや生ハムなんかも入っていて、超豪華だ。

 キッチンの棚の中には、高級そうなボトルもいくつか並んでいる。


 クリスタルグラスを氷で満たしてから、ボトルの中の液体を注いだ。

 窓辺に移動して、綺麗に瞬く夜景に向かって乾杯した。


「あ~、さっぱりした」


 白くて豊潤な肢体をバスタオルでくるんだ沙里亜さんが、湿った視線を向けてくる。

 お風呂上りなので、ほんのりと頬が赤い。


「兼成君も、どうぞ」


「うん、ありがとうございます」


 お言葉に甘えて、バスルームでシャワーを浴びる。

 温かいお湯が肌を伝って、もう昨日になろうとしている一日の疲れが、洗い落とされるようだ。

 シャンプーにボディソープ、明日は沙里亜さんと同じ匂いをまとって会社にいくのか。

 なんだか照れくさいな。


 下半身だけをバスタオルで巻いてリビングに戻ると、沙里亜さんも俺と同じようなグラスを片手に、ソファに座って夜景を見入っていた。

 すぐ隣に腰を下ろすと、彼女は俺のためにもう一杯作ってくれた。

 グラスを重ね合わせて、今日何回目かの乾杯を交わす。


「ふう~……」


 彼女が体を預けてくると、火照った体温がじわっと伝わってくる。

 同じシャンプーの甘い香りが、柔らかくて心地のよい重みが、俺の思考回路を麻痺させていく。


「兼成君……」


「はい」


 グラスをテーブルの上に置くと、沙里亜さんは俺の体に手をまわしてきて、熱い唇を重ねてきた。

 こっちも我慢ができなくて、力いっぱい抱きしめて、唇を吸い返す。

 彼女の体の上に指を這わせていると、ゆるく結んであったバスタオルがはらりとはだけた。

 白い肌に直接指を埋めると、切なそうな吐息が耳の中に流れ込んできた。


「……兼成君……電気消してもらっていいかな……」


 恥じらいながら、頬を赤く染める沙里亜さん。

 会社では見られない、はにかんだ少女のような表情が、胸をくすぐる。


「はい……」


 俺は彼女から離れて、部屋の灯りを落とした。

 そして、彼女の白い柔肌の中に、自分の顔を埋めたんだ。



 

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