第11話 宴を終えて

 俺に沙里亜さん、それに完全に熟睡状態の麗奈を乗せて、街の間をタクシーが走る。

 車窓を流れるネオンをぼんやりと眺めながら、今日一日頑張ったよな俺と、自分で自分を褒めてみる。

 高校時代から比べるとましになったとはいえ、それでも人前でしゃべったり盛り上げたりするのは得意じゃない。

 どっちかっていうと、人知れず黙々となにかをやっている方が、性に合うんだ。


 車の揺れが、疲労した体を、やんわりと抱きしめてくれているかのようだ。


「ね~え、兼成君~?」


 後ろの席から、しっとりとした声が流れてくる。

 ……沙里亜さん、なんかその視線、ちょっと痛いんだけど。

 官能的な美脚をきゅっと組んで、ねとっとした目でこっちを睨んでいる。


「……なんですか、沙里亜さん?」


「君、この子の住んでる場所を知ってるって言ったわよね?」


「ええ、そうですが……」


「この子と君って、今日が初対面よね? なのにもう、この子の住んでる場所を知ってるんだ。なんでかなあ?」


 なんだか、ちょっと怒ってるっぽい。

 彼女の疑問はごもっともかもしれない。

 よっぽどのナンパ師とか、手の早いやつとでも思われたのかな?

 でも、俺がそんなやつではないことは……沙里亜さんは一番よく分かっているはず……じゃないのかな?

 いやもしかして、その逆って思われているのかも?

 まあ、それも無理はないか。

 だって、俺と沙里亜さんとは……


 でも、その答えは、もうじき分かってもらえるさ。

 このシチュエーションだと、沙里亜さんには嘘は付けない。

 俺と麗奈との間の秘密を、知ってもらうことになるだろう。


「まあ、色々と事情があるんです。でも変な意味じゃありませんよ」


「へえ。ど~だかなあ……君、やる時はけっこうやるからなあ」


「ははは、それ、仕事の話ですか?」


「ううん。仕事でも、それ以外でもってことかなあ。君ってさ、自分が意外とモテるって、自覚ないでしょ?」


 ある訳がない、そんなの。

 でもなぜか沙里亜さんは、俺のことをよくしてくれている。

 仕事でも、それ以外でも。


 他に人がいなくなると、沙里亜さんはだいたいこんな感じだ。

 彼女は俺のことを兼成君と呼ぶし、俺は彼女を沙里亜さんと呼ぶ。

 そしてたまに、妙にウザ絡みしてくるんだ。

 まあ、それにはちょっと事情があるからなんだけどさ。


「……それは全然自覚がありません。俺って陰キャでコミュ症のやつでしたから」


「そう。でもそんな君の方が、私が独り占めできていいんだけどな」


 おいおい、沙里亜さんまで酔ってるのか?

 いつもよりも追及が厳しいぞ。


 しばらく車で走ると、いつもの見慣れたマンションが見えてきた。


「ねえ兼成君、この辺って君の家の近くじゃないの?」


「ええ、そうですよ」


 俺が住むマンションの前で車が停まると、沙里亜さんはさらに目を丸くした。


「えっ……ここって、君の家があるとこじゃない?」


「そうなんですよ。実は俺と月乃下さんは、部屋が隣同士なんです。ほんっとうの偶然なんですけどね」


「……えええ~~!!!???」


 驚き方が尋常じゃない。

 無理もないよな、俺だって未だにこんな偶然、信じられないんだから。


「そんな、そんなことって……」


「だから彼女の家を知っていたんですよ。お疑いは晴れました?」


「ええ、まあ、そういうことなら……」


 狐につままれた顔って、多分こんな顔なんだろうな、沙里亜さん。


 車から降りてドアを開けて、麗奈の体を揺すってみる。


「おい、家に着いたぞ。起きれるか?」


「……う~ん、雲海の彼方から朝日が見えて……いざ江戸へはせ参じ……」


 一体何の夢を見てるんだこいつ?

 これは担いで連れていくしかないかな。


「沙里亜さん、俺こいつを部屋まで連れて行きますから。これタクシー代です」


 沙里亜さんとはここでお別れかなと思って挨拶をしたんだけど、


「待って、兼成君。これでも私だって、か弱い女性なのよ?」


 いや、か弱いとは全く思わないけど、綺麗過ぎる女性だとは思うよ、うん。


「はい、そうですが、なにか?」


「このまま私一人で帰らせる気? なんだか寂しいなあ」


 拗ねたような表情と熱い視線を送ってくる沙里亜さん。

 ……久々だな、こんなの。

 でも、彼女だって放ってはおけないか。

 怒らせると後が怖いし。


「分かりました。じゃあここで待っていて下さい。運転手さん、また戻って来ますんで」


 ふらふらで立っているのがやっとの麗奈を車から引きずり出して、抱きかかえながらエレベータホールの前まで移動して、上に昇るボタンを押した。

 麗奈の部屋の前で、鍵を探すために、彼女の鞄の中を漁る。

 なんだか犯罪者にでもなったかのようで心苦しいけど、今は許して欲しい。


 もふもふの猫のキーホルダーがぶら下がった鍵を見つけて、ようやく麗奈を部屋の中へと運ぶことができた。


 えっと……とりま、ベッドの上にでも……

 よく考えると、こいつの部屋に入るのは初めてだ。

 部屋の電気を付けると、白いクローゼットや、オレンジ色のレースが掛かったベッド、それと同じような色のカーテンとかが目に映った。

 清潔で綺麗に片付いている。


「ほら、部屋に着いたぞ。じゃあな」


 ベッドの上に座らせてから立ち去ろうとすると、腕をぐっと掴まれた。


「……麗奈……?」


「……今日はありがとう、兼成君。おやすみ」


 ……えっ!?


 麗奈がぐいっと俺を引っ張るので、俺はバランスを崩して、ベッドの上に腰を着いてしまった。

 そこへ、麗奈のとろんとした顔が近づいてきて……


『ちゅっ!』


「……へ?」


「今日は楽しかった。また明日からよろしくね」


 麗奈の柔らかい唇が触れた頬が熱くて、心臓が早鐘を打っている。


 ……こいつ、へらへらと笑いやがって。

 一体いつの間に目を覚ましていたんだ?

 しかもこんな……


「お、お前何を……」


「お礼のキスだよ。でも、誰にでもする訳じゃないからね?」


「と、とにかく、俺は帰るから。部屋の鍵を掛けて寝るんだぞ!」


 さっと腰を上げた俺の背中を、麗奈の声が追い駆けてくる。


「ねえ、梅澤さんのところに、戻るの?」


 ……一体どこまで分かってるんだ、こいつは?


「まあ、下に待たせてあるからな。挨拶はしとかないと」


「そう……ありがとう。またね」


 ちらっと振り返って目に映った麗奈の顔は、今日一日ずっと明るかった表情とは違って、どきりとするほどに寂しげで切なそうだった。




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