第8話 歓迎会

 昼休みを終えても、ずっと麗奈につきっきりだ。

 まあ今日は仕方がない、俺の仕事は明日からだな。

 そんなことを思いながら、社内を案内したり、仕事の説明をしたり。

 そうしているとあっという間に時間が経って、太陽が西の空に傾いていた。


「じゃあ俺たち、一階にいますんで」


「みなさんお疲れ様です。この後もよろしくお願いします!」


 俺と麗奈とで職場に挨拶をすると、歓声のような怒号のような、そんなのが鳴り渡る。


「おおよ! また後でなあ、月乃下さん!」

「直ぐ片付けて、後から行くよ!!」

「俺ちょっと遅れっかもだけど、乾杯には間に合うようにすっからさあ!」


 全く大した人気だなあ。

 俺が入社した時には、もっとひっそりとしていたように思うが。


 エレベーターの個室に二人だけで乗り込んで、一階のボタンを押した。


「ねえ兼成君」


「なんだよ?」


「ありがとう。私のためにここまでしてくれるなんて、感激!」


 きらきらと瞳を輝かせているけれど、俺はこれから幹事としての役目を果たさないといけない。

 だから、あまり目を合わせないようにして、お役目に徹する。


「別に、お前のためじゃない。他の誰が来ていたって、同じことをやっているんだ」


「そっか……そうだよね。でも私、嬉しいよ」


「それより、約束は覚えているよな?」


 確認がしたくて問うと、麗奈は大きく首を縦に動かした。


「もちろん。兼成君と同じ高校だったってことは内緒でしょ? それと、隣の部屋に住んでいることもさ?」


「ああ、分かっていればいいさ」


 余計なことが知れ渡ったら、どんな噂が流れるか分からない。

 そうなってしまうと、火消しが超面倒くさいんだ。

 だから麗奈には、余計なことは言わないことと、会社では下の名前呼びをしないように約束した。


「でも、なんでそこまで秘密にしないといけないのかなあ? まあ、兼成君と二人っきりの秘密だったら、面白いけどね」


 にたにたと無邪気に笑いかけてくるのは止めてくれ。

 こっちはお前よりも一応先輩、会社の面倒くさいとこは、多少は分かってるつもりなんだ。

 人の好奇心とそこから生まれる噂って、時々真実を捻じ曲げて、我が物顔で闊歩することがある。

 そうなるとまるで魔物、それを消し去ることは容易じゃない。

 だから、変な誤解を受けるようなことは、避けておくべきなんだ。


 吹き抜けになっているロビーの出口で待っていると、一人、二人と知った顔が集ってくる。


「おっす、長船!」


 軽くてよく届く声に話しかけらてた。

 そうか、今日はこいつもいたんだったな。


「よう、菊一きくいち


「こんばんは、月乃下さん。俺、人事課の菊一洋三きくいちようぞうです」


「あ、どうも。月乃下麗奈です。こんばんは」


 白い歯を見せながら笑う菊一に、麗奈は丁寧に腰を折る。

 菊一は俺と同期入社なんだけれど、頭一つ抜けていると同期内では評判だ。

 会社での大きなイベントの仕切りから、採用面接の段取りや役員の車の手配とかまで、目立つ仕事も地味な仕事もそつなくこなして、上司の受けもいい。

 顔もいいので、当然社内の女性受けも抜群だ。


「そのスーツ、よく似合ってるね。なんだか仕事ができる女性って感じがするよ」


「ありがとうございます。でも、感じだけじゃなくて、本当にそうなりたいですよね」


「大丈夫さ、長船がついているんなら。なあ?」


「……へ? あ、まあ、な……」


 よく言ってくれるよ。

 俺なんかよりも、遥かに仕事がきるやつがさ。

 けど、こいつは嫌みがなくて、なぜだかウマが合うんだ。

 入社してからずっと一緒で、なにかとつるむこともあった。

 飲み会の後で奴が女の子をお持ち帰りしたこともあったけど、それは紳士協定ってことで、俺の胸の中での秘め事になっている。


 約束の時間になったので、10人ほどのメンバーを引き連れて、店に向かうことにする。

 麗奈は何人かに囲まれていて、会話の真ん中にいる。

 全く、入社初日にして、大した人気だ。


 15分ほど歩いて、目的の場所に着いた。

 ネットで調べて見つけた和風居酒屋、『漁火いさりび』だ。

 ここを選んだ理由は特にはなくて、多分和食を嫌いな人はいなくて、お酒の種類が豊富そうってことくらいだけど。


 白木造りの店内は清潔な感じで、掘りごたつの広い座敷の他にもいくつかのテーブルがあって、小さなバーカウンターもある。

 麗奈を奥まった場所の真ん中に座らせると、みんなでそれを取り囲むように腰を下ろす。

 俺は一番カウンターに近い幹事席に座り、頭の中で今日の段取りを確認する。


 開始時間間際になって、奈良崎さんと村正さんと人事課の課長、それに沙里亜さんが姿を見せて、全員が揃った。


「うおお、梅澤さん、待ってました!」

「ここ座ってよ、ここ!!」


 黄色い声援が飛び交う中で、奈良崎さんは麗奈の前に座り、村正さんと沙里亜さんも空いた場所に座った。

 沙里亜さんも、社内での人気は絶大だ。

 この機会にお近づきになりたい男社員も、きっといることだろう。


 お店の人にお願いしてビールを運んでもらい、全員のグラスが黄金色の液体で満たされてから、


「それでは奈良崎さん、乾杯のご挨拶をお願いします」


 幹事であり司会進行係の俺が即すと、奈良崎さんがすっと腰を上げた。


「はい。では、月乃下さん、よくうちにきてくれました――」


 流れる水のような乾杯の挨拶が終わってからグラスを合わせると、料理が運ばれてきて、宴会が始まった。

 大皿に乗った鮮魚、青々とした生野菜、串揚げや焼き物……

 ボリュームも味もなかなかにいいな。


 みんな酒も進んで、顔を赤くして会話が弾む。

 幹事である俺はたまに注文を訊いて、それをカウンターやフロアにいる店員さんに伝える。

 まあ、歓迎会とはいいながら、始まってしまうと、普通の飲み会だよな。

 いつものことだけど。


「幹事さんお疲れ様。いいお店ね、ここ」


 沙里亜さんがグラスを片手に寄ってきて、すぐ横に座ってくれた。


「どうも。梅澤さんのお眼鏡にかなって光栄です」


「あら、ご謙遜。長船君と一緒にいて、変な思いをしたことはなくってよ」


 彼女はグラスに注がれていたチューハイをぐっと飲み干して、


「長船君、グラスが空ね。次はなににするの?」


 幹事の仕事に集中していて、自分のことは忘れていた。


「じゃあ、日本酒にしようかな。ここ、種類が多いみたいなんですよ」


「あらそう。あ……本当ね。じゃあ私もそれにしようかな」


「えっと、七海山にしようかな。同じでいいですか?」


「うん、お願い」


 掘りごたつの席の下で白い太ももを重ねあわせて、深い胸の谷間が見えそうな姿は、扇情的ですらある。

 たまに肩が当たるくらいの距離感で、しっとりとした視線を向けてくる。

 でもこの人は、決して酔ったりはしていない。

 酒豪のレベルを通り越して、半端なく酒が強いんだ。

 今までに何度も一緒に飲んだことはあるけれど、酔いつぶれた姿は見たことがない。


「あの子大丈夫? 結構飲まされてるみたいだけど」


 今日の主賓である麗奈は大勢に囲まれて、多くの杯を重ねている。

 周りの面子は上機嫌で、彼女も気さくに応じているみたいだ。


「まあ……大丈夫じゃないですか。酒は弱い方じゃないですから」


「……あら? なんだか、ずっと前から知ってるような言い方ね」


 うえ……いかん、油断して、余計なことをしゃべってしまった。

 この何日か部屋で一緒に飲んでいて、彼女もかなりいける口だってのは、知っていたから。


たらりと、背中を冷たい物が流れ落ちた。


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