第2話 面白半分の過去
「お願い、兼成君……」
大人っぽくなっても、綺麗な眼差しのままだな、あの頃と変わらない。
だからなおのこと、胸が苦しくなってくるんだよ、君を見ていると。
「俺は疲れているんだ。また今度にしてくれないか?」
投げやりに言葉を返しても、月乃下さんは引き下がる気配を見せない。
ドアの端を掴んで、一歩も引かない。
心なしか、瞳が濡れているようにも見える。
―― 何なんだよ一体、今日は……
会社では凹む上司命令を受けて、家に帰ってもこれかあ。
自分の不遇を嘆きながら、まあ自分らしいなとも思う。
昔から間が悪かったし、要領だって良くなかったし、運も人並み以下だった。
「今度っていつなの? 本当にまた会ってくれるの? 私はずっと兼成君と話がしたかった。やっと今ここで会えたのに……」
月乃下さんの白い頬を、綺麗な雫が伝って落ちる。
なんだよ、これってこっちが悪者みたいじゃないか……
「だって、ここで突っ立って話すわけにもいかないだろ? 君だって、引っ越したばっかりなら、片づけとかで忙しいだろ?」
とにかく、こんな恋愛ドラマやラブコメのような、ありえない時間からは離れたい。
そう思ったのだけれど、
「だったら……お願い、中に入れて」
「……は?」
おいおい、いきなり何を言い出すんだよ?
友達でも恋人でもない男の部屋に、いきなり上がろうってのか?
「そんな、知らない男の部屋にいきなり入るなんて……」
「知らないわけないじゃない! 私はずっと兼成君のことを見てたんだから! 高三でも同じクラスだったでしょ!?」
……まあ、それはそうかもだけどさ。
俺だって、高校の三年間、ずっと君のことを遠くから見ていたんだ。
ただそれだけ、けれど、ずっとそれでもいいと思っていた。
なのに……
「……怖く無いのか? これでも俺、男だぞ?」
「……怖く無い。だって兼成君だから」
それって、高三の時の俺のことだろ?
あれから何年も経った。
人は変わるんだってことも、あるだろうに。
無警戒過ぎやしないかい?
実際に俺は、あの出来事以来、人を信じなくなった。
そして、見返してやろうと思って、自分なりに必死に頑張った。
それもあって今の会社に採用されて、好きでも好きでなくても、色んな仕事をこなせているんだと思う。
「じゃあ、ちょっとだけな」
このまま押し問答するわけにもいかないので、仕方なくそう告げた。
すると月乃下さんはコクンと頷いて、ためらう素振りも見せないで、部屋の中に足を踏み入れた。
一応定期的に掃除はしているので、女性を入れてもそこは問題ないだろう。
不愛想に部屋の中に案内して、つい先ほどまで座っていたリビングの床に、もう一度腰を下ろした。
「ごめんなさい、ご飯を食べてたのね。コンビニご飯にお酒?」
「ほっとけよ、そっちには関係ないだろ」
何も考えずにビール缶を一口煽ると、月乃下さんがじっと目を向ける。
「……飲むか?」
「うん、もらう」
招きたくない客とはいえ、何もしないわけにもいかない。
そう思って試しにススメると、彼女はこくんと首を縦に動かした。
冷蔵庫に入れてあった缶を手渡すと、彼女はプシュリと栓を開けて、一口分喉を揺らした。
それから沈黙が続く。
そっちが話したいことがあったんじゃないのかよとイラつきながらも、あまり触れらたくない話題を即す気にもなれず。
そのままずっと待った。
「あのね……」
「んん?」
「卒業式の日にね、説明しようかと思ったの。でも兼成君、会ってくれなかったから……」
……ああ、そんなこともあったかな。
確か、月乃下さんが二人で会いたいっていうのを断って、RINEの交換も拒否したのだった。
だって、もう二度と会わなくなる関係でしかなかったのだから。
「そうかよ」
「……何だか変わったね、兼成君。昔よりも、とっても強くなったみたい」
こんな一瞬で何が分かるんだよと言いたくなる。
けれど、それなりには苦労もしたし、努力もしたさ。
少なくとも、過去の黒歴史を忘れられるようになるくらいにはな。
「私ね、本気だったんだよ、あれ」
「……は?」
……俺の聞き間違えか?
じゃなかったら、ふざけないでくれよ、今さら。
そんな冗談を言われても何も感じないし、過去が変わるわけでもないだろう。
「何言ってんだよ今さら。でも俺は本気だったよ。君と違ってね」
「だから……私も本気だったんだってば!!!」
「だったら、何であんなことになったんだよ!!!!!」
冷静さを失って声を荒げた俺に、月乃下さんは悲しそうな目を向ける。
「もういいさ、過ぎたことだ。それを飲んだら出て行ってくれ」
「ごめんなさい、兼成君。ずっと謝りたかったし、伝えたかった。私は本気で、あなたのことが好きだったの」
彼女の言葉を受けて、俺の意識は混濁する。
何を今さら、そんなの信じられるわけないだろう。
これからただの隣人になる間柄、お近づきっていうことはあっても、そんな冗談は笑えないな。
「まあ、そんな言い訳はいらないさ。だから放っといてくれ。これからは普通の隣人同士ってことでな」
「だから、本当にそうなんだってば! お願い、話を聞いてってば!!」
真剣な表情を、近すぎるくらいの距離に近づけてくる月乃下さん。
何なんだよ、もう……
「ごめんなさい、友達とのゲームで、あなたに告白したのは本当。でも、自分には本当に好きな人がいるからってそっとしておいてって、みんなにお願いしてたの。でも、なぜだかあんなことに……」
「やっぱりゲームだったんだな。まあ、頭の悪い連中が考えそうなことだ。君だって、それを断り切れなかったんだろ」
高校も卒業間近になった初春のある日、俺は月乃下さんから呼び出された。
そしてひっそりとした校舎裏で、「好きです」と告白を受けた。
信じられない瞬間だった。
高校に入学してから、ずっと淡い気持ちを抱いていた。
ほとんど話したこともない彼女を、遠くからずっと眺めていた。
いつもたくさんの友達に囲まれていて、先生とも気さくに接していて、放課後の部活では校庭を真剣な顔で走っていた。
眩しくてまともに見られない、でもどうしても目を向けてしまう。
そんな彼女と同じクラスになれた高校三年生も、やっぱりそんな状況は変わらなくて。
でもそれで良かった。
今までよりも近くで彼女を見られるから。
カーストトップの中にいる美少女を、モブ男子が眺めている、ただそれだけのことだった。
そんな彼女に突然呼び出されて、「好きです」と告白されて、有頂天になった。
この世の全ての幸福が自分に訪れた、そんな至高の気分で訪れた翌日の教室で、俺は笑いものにされたんだ。
黒板にはでかでかと『おめでとう、勘違い野郎の長船兼成くん。なわけねえだろ!』と書かれていた。
自分が入っていないグループRINEには、告白を受けて顔を真っ赤に染める俺の写真が出回ったようだ。
ほとんどしゃべったことのない陽キャ連中が、その時だけは肩に手を乗せてきて、下卑た嘲笑を向けてきた。
つまりは嘘告、面白半分だったんだ。
次の日から俺は学校には行かなくて、卒業式の日にだけ、こっそり登校したんだ。
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