第2話「茉莉花と寂寞の香片茶」
どことも知れぬ街の外れ、あらゆる時と場所から隔離されたようなビルの一角。
誰からの記憶からも抜け落ちたその場所には、それに相応しい喫茶店が建っていた。
「カフェ・メモリア」。
童話かはたまた怪談か、そこは「存在しない店主」により営まれるフレーバードティー専門店だという。
しかも、それらのフレーバードティーは、「記憶」によって香りづけされているという。
「……だってよ。どんなメルヘンだよって話だよな」
「俺はお前がそんなメルヘンな話を信じてることが一番意外だな、女の子を誘うための口実とかじゃないのか」
「そんな背伸びしても続かないだろバカ!俺をなんだと思ってるんだよ」
「無自覚タラシ系クソイケメン。刺されればいいと思ってる」
「そんなに!!??」
ある大学の講義終わり。ラウンジで青年たちはとりとめのない話に花を咲かせていた。
友人の話を半ば聞き流しながら、青年は鬱々とした気分に沈んでいた。
(なんか、講義もなんか耳に入って来なかったなあ)
とはいえ、青年に悲劇的な何かが起こったわけではない。一応家庭環境とかはそんなに良くはなかったけど、自分よりもっとひどい人を知っているから口が裂けても悪いとは言い切れなかった。
良くも悪くも全てそうであった。短所も、長所も、体験も、なにもかも。自分より尖った人がいて、自分より激しい体験をした人ばかりだ。隣で馬鹿騒ぎしている友人もなんか自分より精力的に活動してるし、そもそも本人にその気はなくても女の子に好かれるような人間という時点で雲の上に思える。
(なんか無難な感じの服、CMで気になった流行りの曲、コンビニの惣菜パン)
(大衆と同じものが好みなのはもう仕方ないだろう、みんなが好きなんだから自分も好きでいいだろう)
(とはいえ、なんか背伸びして尖ったものを無理に見つけようとする時期でもないし)
(なんもないんだけどさ、そのなんもないがなんか辛いな)
……
「もしもし!?すまん寝過ごした!今から出るけど一応代返ってできる!?」
「はあ?一応いなかったら代返やってやるけどさあ~ばれたら俺も怒られるんだから間に合うなら来いって」
「すまん!間に合うよう走る、じゃあ!!」
ある朝。目覚めたら講義まで30分もなかったため、友人に一応の代返を頼んで走る。
(多分こっちの道を行ったら近道だろう!ああもう、うんざりだ!なんでこんな希望のないくそったれな生活を続けなきゃならないんだよ!)
「いやこれ道間違った!!」
(もう最悪だ!!遅刻は認められてないし、講義の内容またまとめてもらわないと……あーラーメンでも奢るか……くっそ……)
「というかここどこ!!いつも来ないとこってこれだから!!」
引き返したつもりが別の道に出ていたらしく、本当に知らない路地裏に迷い込む。
「……いや本当にどこだここ?あれ??」
携帯を開いてみてもGPSだけがろくに機能せず、「精度:低」の文字とともにさっきいた辺りをうろうろと現在地がさまよっている。
「なんっなんだよマジ……」
悪態をつきながら頭を切り替える。
(もう間に合わないし、せっかく家を出たんだからなんか食べるだけして帰るか。なんかあそこに喫茶店あるし)
青年はその違和感に気付かない。GPSに引っかからない場所、ほかに何一つない中一つだけ存在する喫茶店。
看板が示す店名は、「カフェ・メモリア」。
「すいませーん」
「はいどうぞ、何名様でしょうか」
「1人です」
「では奥までどうぞ」
喫茶店なのに入店しても店員が出てこないことに違和感を覚えながら喫茶店に足を踏み入れる。
「お荷物そちらのかごにどうぞ」
「あ、はい、ありがとうございます」
(???店員来ないの??)
青年は訝しがりながらも一応かごに荷物を突っ込み、言われた通りに奥に入る。
(ん?)
通路の途中でふといい香りがした。
(あれ?あいつ……いや違うか)
その香りに、今は普通に講義を受けているはずの友人が去来する。なんかいい香りするんだよなあいつ……
(まあ、偶然か)
「いらっしゃいませ。当店は」
入るや否や、ホルンが話しかけてきた。
「……あ!!??ちょ、え??あれ?これ通話??」
びっくりして腰から崩れ落ちる。
ホルンではない。大きな蓄音機?から声がしている。通話にしても店員が出てこないのはおかしいし、蓄音機というともっと音がくぐもっているものだったような……
「おっとお客様、お怪我はございませんか?」
「え……いや、ないです、けど」
「それは何よりです。では改めて説明いたしますね、当店は紅茶の専門店となっておりまして……」
説明が頭に入ってこない。
ふと、青年の友人が話していたおとぎ話のような噂を思い出す。
(じ、実在すんのかよ)
「……ということで、まずはウェルカムティー、今回はコーヒーですが、をご賞味ください」
「あ、はいわかりましたー」
「こちらどうぞ」
「こちら?うわっ本当だ……どっから出てきた」
よく分からない仕組みだが、いつの間にか置かれていた紙コップを手に取る。
「ん?獣……犬?なんか実家の犬みたい」
「そのまさにでございます。……お客様は大変ながら、今からお淹れする一杯以外の思い出が極端に薄く……かろうじて抽出できたのがこちらの『ぺスと怠惰のカフェオレ』のみとなっております」
ぺスとは青年が飼っていた犬の名前だ。本当に記憶を香りづけしているらしい。
ただ、薄い。コーヒー豆の風味にちょっと独特の香りがするだけで、全体としてはちょっと変わっただけのカフェオレだ。
「たしかに薄い……」
「ですのでカフェオレにして少し香りを足しております。いかがです?次の一杯をお淹れしましょうか」
「それはもうもとろん」
青年は気付くべきであった。
実家の思い出すら希薄ななかで鮮明な一杯とは、どういう意味であるかを。
「ではこちらが、『茉莉花と寂寞の香片茶』ですね。ご賞味ください」
「はぁい……あ、これ、さっき店の前でしてた……あいつの」
「茉莉花、つまりジャスミンですね。一部の地域ではジャスミンティーのことを香片茶と呼ぶ文化があるので、ジャスミンと緑茶をブレンドしたものに香りをつけました」
説明を受けて、青年は完全に意味が分からなくなった。
「…………?あの、これ記憶からとったんですよね?あいつまだ出会って一年とかだし、そんな思い出があるわけじゃ……」
いや思い出せないからそう思うだけなのか?とも思い、一応茶を飲んでみる。
思い出が去来した。
未来の。
青年と友人はどんどんと仲が良くなり。
二人でそろえたバイクで日本全国をツーリングしていた。
バイクサークルに参加して、みんなで南国の故郷にもお邪魔したり、逆に知らない東北に旅行したりもした。
友人の家に行くと毎回箱で香片茶が積み上げられており、そういった故郷への執着がない青年には不思議でたまらなかった。
飲み物がそれだけだったので、彼もよく香片茶を飲むようになった。
そんな中、大学のゼミにかわいい女の子がいた。青年は彼女のことが好きになり、しかし彼女は友人に靡いていった。
彼女はほどなくして友人に告白し、手ひどく振られた。彼は気ままな男所帯の旅が楽しいのだからと全く取り合わなかったのだ。
持つものが恨めしかった。そこから彼らの関係は、主に青年本人の逆恨みによって、修復不可能なまでに冷え込んでいった。
その後も何度かバイクで独り旅行に行ったが、やがて走るのをやめた。
あの時の輝きは二度と帰ってこない。あれは、みんなと一緒に走れたから楽しかったのだ。
「…………は?なんだ、これ」
「ああ。それはお客様の記憶ですね。ここまで濃いならば、はっきりと情景まで浮かんだのでは?」
「いや、その、これ俺のじゃない!知らない、まだこんなに……」
「いえいえ、お客様でお間違いございません。よほど忘れたくなかったのでしょうね」
「というかこれが本当だったとして、見ちゃったんならあいつとの関係とかも変わるんじゃ」
「残り香はそう持ちませんとも。すぐに忘れていってしまいます」
青年はがりがりと頭を掻き、落ち着けるために香片茶を口に含む。
つい飲んでしまった。
途端にあの輝かしいバイクの未来が何度でも去来する。そして、すべてを失った後のお湯のような空虚な味わいも。
茉莉花と寂寞とかいうだけある、ひどい後味のお茶だった。
(これから、こんな体験をするのかあ)
その後に破滅が来るのを見ていても、その思い出はあまりに軽快で、
青年はあっという間に香片茶を平らげていた。
「……お会計お願いします」
「千円ですね」
何とも言えない感情のまま千円を支払い、何とも言えない感情で店を出る。
すると、携帯が一斉に通知を鳴らし始めた。友人からのメッセージが並んでいる。
そう言えば代返だけ頼んで欠席したままだ。
それなのにこちらは迷った挙句カフェで時間つぶししていたとあれば、まあ確実に怒られるだろう。
(どこのカフェだったっけな……忘れたな)
なんだか寂しい雰囲気だった気がするけど、詳細はあんまり覚えていない。
怒涛のメッセージに対してなんと返そうか迷っていると、ふと涼し気な風が吹く。
ジャスミンの残り香だ。
思わず何かに駆られて、青年は友人にメッセージを送る。
『そう言えばなんだけどさ』
『バイクとか興味ある?』
『ツーリングやってみたい』
短編「カフェ・メモリア」 とーらん @TOLLANG
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