*愛い【2024/10/31】【未出キャラ有】

 ――げに、ぬしは愛い奴じゃな。


 夢を見ていた。それは、かつて繰り返し見続けていた夢の様に朧気で、曖昧で。目の前で笑声を零す美しい姫の輪郭も、ゆらゆらと揺れていた。

 何か面白い事でもあったのだろうか。姫はしゃらしゃらと鈴の様な笑い声をあげ続けている。


 ――妾は主の元に下って幸せじゃ、桐。


 そう言うと姫は私の名を呼んで、靄の向こうから真っ直ぐと私を見つめた。もしかしなくても、彼女は私の言葉に笑っていたのかもしれない。そう思うと何だか恥ずかしくて、思わずその視線から逃れる様に顔を逸らしてしまう。


「も、もう……! からかわないでください……!」


 私の口は、私の意識とは無関係に動いていた。きっと、これは夢では無く、記憶なのだ。故にここでは、私の意思は関係なくなってしまう。


「――――……」


 そうして、未だ笑っている姫の名前を呼ぼうとして、世界はぴしりと動きを止める。まるで破れてしまった絵巻の様に、物語はそれ以上進まない。


 だって、私は彼女の名前を知らない。今日も、思い出せない。

 時を止めた世界の中、私は蘇芳色を纏った姫をぼんやり見つめていた。

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